読売ジャイアンツに所属している吉川尚輝選手といえば、守備範囲の広い選手としても知られていて、チームに欠かせない存在ですよね。
そんな吉川尚輝選手の実家の家族はどのような人たちなのでしょうか?
両親やきょうだいについても気になるところですよね!
そこでこの記事では、吉川尚輝選手の実家家族はどんな人なのか、両親やきょうだいについて調査してみました。
- 吉川尚輝選手の実家家族はどんな人?
- 吉川尚輝選手の父親はどんな人でエピソードは?
- 吉川尚輝選手の母親はどんな人でエピソードは?
- 吉川尚輝選手にきょうだいはいる?
ぜひ最後までお読みください!
吉川尚輝選手の実家家族はどんな人?
吉川尚輝選手の実家の家族構成は、父親、母親、兄2人、吉川尚輝選手の5人家族です。
<家族構成>
- 父親
- 母親
- 兄2人
- 吉川尚輝選手
吉川尚輝選手は岐阜県羽鳥市に誕生し、小学校1年生の頃からスポーツ少年団で野球を始めていました。
吉川尚輝選手の親戚は羽鳥市にて「吉川養鶏場COCCOPURIO」を営んでいるそうです。
そのため、巨人の試合で年に一度開催される岐阜県開催の際には、球場でもグッズ購入特典なども配布していたそうです。
吉川尚輝選手は地元から愛されている選手なのでしょうね。
「吉川養鶏場COCCOPURIO」では、吉川尚輝選手のグッズや実際に使用したユニフォームやグローブなども展示されています。
他にもメッセージを書き込む「応援ノート」が置いてあるそうで、ファンが応援メッセージを書き込んでいるのを、吉川尚輝選手が帰省したら目を通しているそうです。
ファンからの気持ちが伝わるような構成も素晴らしいですよね。
吉川尚輝選手自身も卵を使った料理はなんでも好きと話すほど、養鶏場との縁があります。
ファンとしては一度訪れたい聖地ですよね。
吉川尚輝選手の父親はどんな人でエピソードは?
吉川尚輝選手の父親は吉川好さんといい、岐阜県羽鳥市出身なのだそうです。
父親の好さんは高校野球をしていて、市立岐阜商業高校に通い、甲子園出場経験もある実力者です。
吉川尚輝選手は足の速い選手として知られていますが、父親の好さんも足が速いとのことで、50メートルは5秒台なのだそうです。
打球が三遊間に飛べば内野安打になっていたということで、打順も1番を打っていたため、リードオフマン的存在として活躍してきたのでしょう。
吉川尚輝選手も父親の足の速さをしっかりと継いでいるのは素晴らしいことですよね。
父親の好さんは高校卒業後には東邦ガスに入社し、社会人野球選手としても野球を11年間続けてきました。
かなり長く野球を続けていている存在であるため、吉川尚輝選手にとって尊敬できる存在でしょうね。
父親の好さんは現役を引退した後には、東邦ガスにて営業職をしながら、休みの日には岐阜南ボーイズにて監督をしているそうです。
チーム内では「礼儀と勉強」を大事にしているそうで、中学生としての野球の基礎を教え込んでいるとのことでした。
長年野球をしてきたからこそ教えられることはたくさんあると思うため、教わっている子どもたちにとっては有意義な時間になっているでしょうね。
吉川尚輝選手の母親はどんな人でエピソードは?
吉川尚輝選手の母親の名前は、吉川陽子さんといい、愛知県名古屋市の出身です。
身長は163センチとかなり大きいわけではないものの、バレーボール選手として活躍してきました。
高校卒業後に東邦ガス女子バレーボール部に所属し、セッターとして全国大会に出場した経歴を持っています。
吉川尚輝選手の父親は甲子園、母親は全国大会に出場するほどの実力の持ち主であるということで、かなり強力な遺伝子があったのでしょう。
吉川尚輝選手は中学校3年生の頃に野球を辞めようとしたことがあったそうです。
それに対して母親の陽子さんは高校野球の夏の予選を見せに行ったりして、なんとしてでも野球を続けるような環境づくりをしてきました。
声かけも「あなたは良いものを持っているんだから続けてみたら?」と前向きになれることを言っていました。
結果として野球は続けようという気持ちになり、「お父さんみたいに甲子園に出たい」という気持ちで、岐阜県の中京高校に行きたいと吉川尚輝選手はいうようになったそうです。
遠くて寮生活になるものの「誰も知らない環境で野球をやりたい」との思いを初めて母親にしっかりと意見をぶつけたとのことでした。
結果として、中京高校への進学を認め、吉川尚輝選手は中京高校へ進学しています。
ほとんど自分の意見を言わなかった息子が言うようになったということで、応援したいという気持ちが強くなったのでしょうね。
ちなみに当時は父親の好さんには相談せず、母親の陽子さんだけに相談したそうです。
母親にだけ打ち明けられる気持ちはきっと誰にでもあるものだと思われるため、相談しやすい環境だったのでしょうね。
吉川尚輝選手に兄弟は兄が2人
吉川尚輝選手の兄弟には兄が2人います。
吉川尚輝選手が野球を始めたのは兄2人の影響があったとのことでした。
やはりきょうだいから刺激を受けて野球を始める選手は多いですよね。
吉川尚輝選手が小学生になるくらいの時に、兄2人が野球をしていて、自宅の庭に野球場を作ったのだそうです。
打席までの距離はしっかりと18.4メートルを確保、マウンドには土を盛り、本格的に野球に取り組めるような環境となっていました。
吉川尚輝選手の実家は田んぼの真ん中にポツンとあるような家であることから、広い土地があったのだそうです。
稲刈りした後なら走ることができたそうで、そのような土で野球の練習をしていたことから、イレギュラーなボールを取る動きなども身についていったのだと思われます。
吉川尚輝選手は4歳の頃から田んぼでノックを受けてきたとのことで、遊びの中からどんどんと成長していったことが伺えます。
まとめ:吉川尚輝選手の実家・家族は5人!両親や兄弟もスポーツ万能!
吉川尚輝選手の実家の家族について調査してみたところ、運動神経がとても良い両親のもとに誕生したことが判明しました。
両親はどちらとも東邦ガスにて野球、バレーボールの選手だったということで、社内恋愛の上で結婚したというのも素敵ですよね。
両親がスポーツ選手だったからこそ、吉川尚輝選手の精神力は鍛えられたり、野球選手としても開花していったのでしょう。
では、今回の記事のまとめです。
- 吉川尚輝選手の実家の家族構成は、父親、母親、兄2人、吉川尚輝選手の5人家族で、地元は岐阜県羽鳥市にあり、そこでは親戚が「吉川養鶏場COCCOPURIO」を営んでいる。
- 吉川尚輝選手の父親は元甲子園球児で、高校卒業後は東邦ガスにて社会人野球を11年間も続けてきた野球選手であり、現在は中学生の野球チームにて監督業をしていて、吉川尚輝選手も父親が監督しているチームでプレーをしていた。
- 吉川尚輝選手の母親は元バレーボール選手で、東邦ガスでプレーしている時にはセッターとして全国大会に出場するほどの実力者であり、吉川尚輝選手が野球を辞めたいと言ったときには「いいものがあるから」と支え続けてきていた。
- 吉川尚輝選手には兄が2人いて、兄2人たちも野球をしていたことから、自宅の庭(田んぼ)に本格的な野球場を作り、投球練習をしたり、父親にノックを打ってもらい守備の練習などもし続けていた。
吉川尚輝選手は卵が好きな選手として知られていましたが、その要因は親戚が地元にて養鶏場を営んでいることがきっかけでした。
子どもの頃からたくさん卵を食べて育ってきていたため、立派な体格に育っていったのでしょうね。
今後も吉川尚輝選手の活躍を応援していきましょう!