
東京ヤクルトスワローズの監督を務めている高津臣吾監督といえば、現役時代からもすごいピッチャーとして注目を集めていましたよね。
そんな高津臣吾監督を支えてきた妻(奥さん)はどんな人なのでしょうか?
高津臣吾監督と妻(奥さん)の馴れ初め、子供についてなど、家庭生活においてのことも気になるところです。
そこでこの記事では、高津臣吾監督の妻(奥さん)はどんな人なのか、馴れ初めや子供がいるのかについても調査してみました。
- 高津臣吾監督の妻はどんな人?
- 高津臣吾監督と妻の出会いについて
- 高津臣吾監督と妻が結婚時期
- 子供について
ぜひ最後までお読みください♪
高津臣吾監督の妻(奥さん)は美人!画像は?
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高津臣吾監督の妻(奥さん)は真紀さんという名前の一般の女性の方です。
大阪府出身であり、元客室乗務員なのだそうです。
元客室乗務員ということで美人の妻(奥さん)であることが予想できますよね。
画像については公けにされていませんが、周囲からも美人と言われているそうで、やはりプロ野球選手の妻(奥さん)は美人である傾向は高そうです。
妻(奥さん)の真紀さんは学生時代に英語が好きだったそうです。
そのため、学生時代には交換留学もしていて、イリノイ州へ留学していたこともありました。
大学は関西外国語大学のハワイ分校に通っていたこともあり、客室乗務員になることに憧れていったと言われています。
妻(奥さん)の真紀さんが客室乗務員として働いていた期間は約7年間と言われており、きっと充実した時間だったのでしょうね。
憧れとなる職業に就くことができて、目標を叶える力があるのでしょうね。
高津臣吾監督と結婚したことで客室乗務員の仕事を辞めているそうなので、家庭に入って家庭を支えていきたいと考えていたのでしょう。
客室乗務員の仕事となると忙しい日々を送っていると思われますし、当時プロ野球選手であった高津臣吾監督を支えるのには仕事を辞めた方がいいなと判断したのでしょうね。
妻(奥さん)の真紀さんは結婚してから学校にて発達行動障がいのある子供たちの学習支援をしているそうです。
新しい夢を見つけて叶えていったのでしょう。
子供たちの成長を見るのが楽しいと思っているそうで、この仕事をしていることが自分らしくいられる時間だと思っているとのことでした。
きっと子供好きで思いやりのある女性なのでしょうね。
高津臣吾監督と妻(奥さん)の馴れ初めは?
高津臣吾監督と妻(奥さん)の真紀さんの馴れ初めは、1995年12月に行われた古田敦也さんと元フジテレビアナウンサー中井美穂さんの結婚披露宴後の飲み会の場だったそうです。
高津臣吾監督は古田敦也さんとチームメイトだったため、結婚披露宴も参列していましたが、妻(奥さん)の真紀さんは参列していなかったそうです。
共通の知人に誘われたことがきっかけで飲み会に参加したら、たまたま高津臣吾監督と知り合ったとのことでした。
当時の妻(奥さん)の真紀さんは野球に詳しくなかったということもあり、高津臣吾監督の存在を知らなかったそうです。
知らないからこそより一層話が盛り上がったのかもしれませんが、飲み会の終盤に妻(奥さん)の真紀さんが席を立つと、高津臣吾監督も席を立ち、「違うところでもう少し飲もうか」と誘ったとのことでした。
もしかしたら、高津臣吾監督の一目惚れもあったのかもしれませんね。
そして、2人で飲み直したことで仲が進展していったとのことでした。
当時、高津臣吾監督は携帯電話を持っていましたが、妻(奥さん)の真紀さんは携帯電話を持っていませんでした。
そのため、家の番号にて連絡先交換に至ったそうです。
高津臣吾監督もプロ野球選手として忙しい日々を送っていて、妻(奥さん)の真紀さんも客室乗務員として仕事が忙しい日々を送っていました。
連絡先を交換したものの、なかなか2人で会う時間は取れず、会えない間は電話やFAXで連絡を取り合っていたそうです。
意外にも高津臣吾監督はマメな性格であったということもあり、妻(奥さん)の真紀さんも徐々に高津臣吾監督に惹かれ交際に至っています。
きっと高津臣吾監督の真剣なアタックが実を結んだのでしょうね。
高津臣吾監督と妻(奥さん)が結婚したのはいつ?
結婚はいつ?:19997年
高津臣吾監督と妻(奥さん)が結婚したのは1997年のことでした。
具体的な日付については発表されていません。
高津臣吾監督は妻(奥さん)の真紀さんに対して決定的なプロポーズをしていないそうです。
妻(奥さん)の真紀さんは大阪府出身であるものの、父親は東京出張の機会が多かったそうです。
そのため、高津臣吾監督、真紀さん、真紀さんの父親の3人で食事をする機会もあったとのことでした。
そのタイミングにて高津臣吾監督は真紀さんの父親に対して「僕も遠征が多い、彼女もフライトに行く、あまり会う時間がないから一緒に住んでもいいですか?」とお伺いを立てたそうです。
快く真紀さんの父親も認めてくれたことで、高津臣吾監督と妻(奥さん)の真紀さんは同棲生活を始めたとのことでした。
そこからは改めてプロポーズもなく、結婚式の日取りを決めたことで、その日が入籍日となったとのことでした。
高津臣吾監督と妻(奥さん)との間に子供は2人!
- 子供の人数:2人
- 子供の性別:2人共男の子
高津臣吾監督と妻(奥さん)の真紀さんとの間には2人の子供がいて、2人とも男の子です。
長男の名前は高津大嗣(だいし)さんといい、1998年11月24日に誕生しています。
学生時代には野球をしていて、高校生になってからはピッチャーとして活躍していたそうです。
大学まで野球をしていましたが、大学卒業のタイミングで野球は辞めています。
現在はフジテレビに入社して営業部に所属しているとのことでした。
やはり父親がヤクルトの選手、監督であることから、関係のあるフジテレビを選んだのかもしれませんね。
次男の名前は高津翔太(しょうた)さんといい、2001年1月1日に誕生しています。
次男の翔太さんも野球をしていて、兄の大嗣さんと同様に武蔵大学にてプレーをしているそうです。
現在の進路については不明でしたが、しっかりと目標を定めて、目標の通りに進路を進めているのではないでしょうか?






まとめ:高津臣吾監督の妻(奥さん)の真紀は美人!画像や馴れ初めは?子供は何人かも総まとめ!
高津臣吾監督の妻(奥さん)は古田敦也さんの結婚披露宴後の飲み会でたまたま出会った、当時は客室乗務員として働いていた真紀さんという一般女性でした。
きっと飲み会の際に高津臣吾監督が行動をしていなかったら結婚はしていなかったかもしれないと思われるため、行動力は大事だなと思えるエピソードでしたよね。
高津臣吾監督と結婚したことで妻の真紀さんも仕事を辞めて家庭に専念したことによって、高津臣吾監督は選手時代にいい結果を残し続けてきたのでしょう。
では、今回の記事のまとめです。
- 高津臣吾監督の妻は大阪府出身で元客室乗務員の仕事をしていた一般女性であり、学生時代には英語が好きで交換留学した経験や大学ではハワイ分校に通っていたり、自分のやりたいことを叶えることのできる人であることがわかっている。
- 高津臣吾監督と妻との馴れ初めは古田敦也さんの結婚披露宴後の飲み会であり、たまたま真紀さんが居合わせて、高津臣吾監督から飲み直しの誘いをし、連絡先交換をしてマメな連絡の上で交際に至った。
- 高津臣吾監督と妻が結婚したのは1997年であるものの具体的な日付はわかっていない。しっかりとしたプロポーズはしておらず、真紀さんの父親に一緒に住むことを認めてもらった上で結婚式の準備を進めていった。
- 高津臣吾監督と妻との間には2人の子供がいて、長男も次男も武蔵大学にて野球をしていて、長男は大学卒業後フジテレビ営業部として入社、次男の進路はわかっていないもののしっかりと道を決めているものだと思われる。
高津臣吾監督には2人の息子がいて、2人とも野球をしてきたということで、父親にとっては嬉しい出来事だったのではないでしょうか?
長男に関してはピッチャーとして試合に出場していた情報もあったため、もしかしたら高津臣吾監督にアドバイスを聞いていたかもしれませんね。
今後も高津臣吾監督の監督としての活躍に期待しましょう!