巨人のベテラン選手で常に注目の的の坂本勇人選手。
遊撃手としての最多試合出場記録、遊撃手として出場時の最多通算本塁打記録保持者でもあります。
また、入団当初から優れたルックスに注目されており、女性ファンが多く、現在も人気は健在ですね。
これだけの逸材をこの世の誕生させた家族がどんな両親なのか、兄弟についても気になった人が多いことでしょう!
そこで今回は、坂本勇人選手の実家家族について調査しましたので、まとめていきます。
ぜひ最後まで読んでみて下さいね♪
坂本勇人選手の父親は経営者!父親とのエピソードにじんわり
坂本勇人選手の父親のお名前は、坂本喜代三さんだそうです。
坂本勇人選手の幼少期、父親の喜代三さんはアメリカで、牧場経営をしていました。
その為父親は、年に1~2回しか実家に戻ることがなかったことから、幼少期に父親と遊んだような記憶が、坂本勇人選手には、ほとんど残ってないそうです。
両親は離婚をされているのですが、年に1~2回しか帰宅できないなら、母親が離婚を決意してもおかしくありませんね。
2020年頃には食肉を飲食店に卸す会社を経営していたようですが、当時62歳だったため、現在は定年退職しているかもしれません。
父親とのエピソード
坂本勇人選手は中学生の頃、素行不良のため、どこの野球強豪校にも推薦状を出せないと中学校側から言われてしまいました。
しかし、甲子園を目指したいという息子の夢を何としても叶えたかった母親が、知人のツテを頼ったことで、無事、青森県にある八戸学院光星高等学校に進学しています。
ただ、高校進学後、坂本勇人選手の素行不良が復活。
中学時代は自由に野球を楽しめていたものの、野球強豪校に進学となればキツい練習や朝早くから夜遅くまで野球漬けの毎日です。
中学から高校にかけての環境の変化に耐えられず、坂本勇人選手は反抗する意味を込めて、高校時代の監督の前に鼻ピアスをして現れたことがきっかけで、実家に戻されてしまいました。
実家に戻ると父親の喜代三さんがいたそうで、坂本勇人選手は初めて「野球を辞めたい」と打ち明けました。
ただ、父の反応は冷たく「やめたいならやめろ」と返しただけだったそうです。
その後、坂本勇人選手には野球部のチームメイトからメッセージが届きます。
「一緒に監督に花咲かせようや!」
引用:スポーツ報知
『あの監督の言いなりで負けて逃げて帰っていいんか? もう一回一緒にやっつけたろうぜ』
引用:中日スポーツ
チームメイトからのメッセージが心に響き、坂本勇人選手はもう一度野球がしたいと青森に戻ったそうです。
父親も、本当もやめてほしくなかったのでしょう。
現在、父親の喜代三さんは、坂本勇人選手の活躍を応援しており、巨人に入団してからは坂本勇人選手が出場する試合は全て観戦。
仕事関係で見られない時は録画して見ており、2軍戦もDVDに残しているとのことです。
1軍試合の初安打は鮮明に記憶に残っているものの、坂本勇人選手がここまで活躍する選手になるとは思っていなかったそうです。
父親は、坂本勇人選手2000本安打を達成した際、サンスポに特別手記を寄せています。
「勇人、よう頑張ったな。一生懸命に練習しない人間なら、ここまで来られなかったやろうな。」
引用:サンスポ
坂本勇人選手は、父親が肺がんを患った際、医者探しに奔走したり、外車であるBMWを買ったりと学生時代に素行不良があったとは思えないぐらい、親孝行な息子になっているようです。
坂本勇人選手の活躍を見守るのが、現在の父親の生きがいとなっているそうで、息子の活躍は、父親にとって、何よりも誇りに感じているのでしょうね。
坂本勇人選手の母親はどんな人?亡くなった理由はガン?
坂本勇人選手の母親は、松村輝美さんという名前です。
鳥取県出身で、背が高かったと言われています。
母親の息子たち、つまり坂本選手の兄弟は全員、幼少期に少年野球チーム「昆陽里タイガース」に所属していていました。
母親は少年野球チームの会計をこなしたり、車をエルグランドに乗り換えてより多くの子供達を送迎できるようにするなど、「昆陽里タイガース」に所属している子供の親として積極的に協力していました。
坂本勇人選手は、2006年ドラフト会議にて外れ1位で巨人から指名されプロ入団が決まりましたが、ドラフト前に母親の小腸ガンが発覚し、余命宣告を受けます。
しかし母親は、ドラフト会議を終えるまで坂本勇人選手には、小腸ガンによる余命宣告を受けたことは明かさなかったそうです。
プロ志望届を提出し、プロ野球選手になる夢が叶いそうになっている坂本勇人選手に、母親としては水を差したくなかったのだと思います。
坂本勇人選手はプロ1年目、イースタン・リーグで対日本ハム2軍との一戦が兵庫県姫路市で行われることがあり、母親を招待しました。
この時、母は車椅子で観戦しに来たそうです。
この試合で、坂本勇人選手はホームランを放ちました。
母親はホームランを打った息子の姿を見て号泣したそうです。
坂本勇人選手は母親の容態がよくないことを分かっており、この日の2軍戦が最後の観戦になるかもしれないと予感していました。
坂本勇人選手の悪い予感は的中してしまい、母親は観戦の約1か月後の2007年6月19日に47歳で帰らぬ人に・・・
坂本勇人選手は母親が亡くなった約1か月後に、1軍入りを果たしています。
この出来事が、坂本勇人選手の母親に対する唯一の心残りとなっているそうです。
「1年目で亡くなったので、1軍でのプレーを見ていない。それだけが(心残り)」
引用:デイリースポーツ
できれば、1軍の試合に出場している姿を、坂本勇人選手は母親に見せたかったでしょう。
母親の逝去から1ヶ月後の1軍昇格だからこそ、尚更心残りとなっていると思います。
プロで活躍し続ける間も、坂本勇人選手の母親に対する思いは変わっておらず、2021年の6月19日には通算250号のメモリアルアーチを放っています。
「オカンも喜んでくれていると思う」
引用:スポーツ報知
と試合後に語ったそうです。
母の日にある試合にも、坂本勇人選手は気持ちをこめて臨んでいます。
母の日のみ坂本勇人選手の登場曲は「LETTER~おかんに贈る音の手紙~」に変更しており、2021年の母の日には試合後のインタビューで、
「無観客でテレビを通じて全国の子供たちは、いつも頑張ってくれているお母さんに感謝して、大切さも感じてほしいです」
引用:スポニチ
と語っています。
プロ入り後1軍で活躍する前に母親を亡くした坂本勇人選手だからこそ、説得力のある発言ですね。
坂本勇人選手にきょうだいはいる?弟が坂本勇人選手の野球人生を支えている?
プロ野球選手坂本勇人選手の兄弟2ショット!弟の勇斗さん!!坂本選手は3兄弟!とても仲が良いのです!!#坂本勇人#坂本勇斗 #坂本勇太 pic.twitter.com/ajN6iUHGFe
— 炭治郎 (@AAA_Tanjiro) July 8, 2020
坂本選手は、3人兄弟の真ん中
兄 勇太さん 6歳年上
弟 勇斗さん 3才年下
坂本勇人選手の兄弟には、6歳年上の兄・勇太さんと、3歳年下の弟・勇斗さんがいます。
弟の名前を見て「あれ?」と思ったかもしれませんが、勇斗さんは「はやと」ではなく「ゆうと」と読みます。
兄
坂本勇人選手は、兄・勇太さんの影響を受けて野球を始めています。
元々左利きだった兄の坂本勇人選手ですが、兄・勇太さんが右利き用のグローブを使用しており、兄のグローブを借りることがあったため、右投げになったのではないかと言われています。
ちなみに兄・勇太さんは結婚しており、息子1人と娘1人と子宝にも恵まれました。
坂本勇人選手は、甥っ子と姪っ子を可愛がっているそうです。
弟
弟の勇斗さんは、高校卒業後解体業に従事していました。
2013年から、坂本勇人選手から頼まれ、坂本勇人選手の個人マネジャー兼運転手を務めています。
弟・勇斗さんも幼少期に野球を経験しているため、自主トレの手伝いをすることもあり巨人入りが噂されたこともあります。
東京五輪で金メダルを取った坂本勇人選手に対し、
「全部がすごい試合でドキドキしながら見ていました。兄は五輪でもいつも通りのプレーをしていて、さすがだなと」
「勇人が見ていないときにメダルをじっくり眺めて、触ってみたいです。本当は噛んでみたいけど、『いいよ』って言わないでしょうね」
引用:サンスポ
とコメントを残し、弟としてもマネジャーとしても喜んでいることが伝わってきます。
弟の勇斗さんは、坂本勇人選手の個人マネジャー兼運転手を務め始めて10年以上が経ちました。
弟の勇斗さんがいることで、坂本勇人選手は心強いと感じている部分がありますし、ルーティンの一部にもなっているかもしれません。
大変な仕事かもしれませんが、坂本勇人選手の現役生活が続く限りは、個人マネジャー兼運転手として頑張ってほしいですね。
まとめ:坂本勇人選手は家族仲良好!家族の応援を受けて活躍し続ける!
では今回のまとめです。
- 坂本勇人選手の家族構成は、父親・母親・兄・本人・弟の5人家族。
- 両親は離婚している。
- 父親は、アメリカで牧場経営をしていた。
- 母親は、2007年6月19日に他界されている。
- 兄弟は3人兄弟で、坂本選手は真ん中っこ
- 兄の影響で野球を始めている。弟は運転手!
坂本勇人選手の母親、松村輝美さんは坂本勇人選手のプロ入り後すぐに他界しています。
母親に1軍での活躍を見せられなかったことが、坂本勇人選手の中で心残りとなっているようです。
母親に対する思いを感じるコメントを時々しているため、坂本勇人選手の母親愛はこれからも変わらないでしょう。
坂本勇人選手の喜代三さんは現在、坂本勇人選手の活躍を見守ることが生きがいとなっており、録画してでも観戦しているとのこと。
坂本勇人選手が2000本安打を達成した際は、サンスポに特別手記を寄せています。
坂本勇人選手の6歳年上の兄・勇太さんの影響で野球を始めています。
現在は勇太さんの子供達を可愛がってるそうです。
坂本勇人選手の3歳年下の弟・勇斗さんは、2013年から坂本勇人選手の個人マネジャー兼運転手を務めています。
10年以上兄の支えになり続ける勇斗さんは、とても献身的だなと感じました。
これからも家族やファンからの応援を受けながら、どんどん記録を打ち立てていってほしいですね。
最後までご覧いただきありがとうございました。