京田陽太(きょうだ ようた)選手は、現在横浜DeNAベイスターズに所属し内野手として活躍する、プロ野球選手です。
京田陽太選手は、2006年にドラフト指名され中日ドラゴンズに入団したのち、交換トレードで横浜DeNAベイスターズに移籍しました。
一時期低迷期はあったものの、妻や子供たちが支えとなって今は、スタメンにもなるほどの実力の持ち主です。
では、京田陽太選手の幼少期を支えた実家家族は、一体どんな方たちだったのでしょうか?
今回は、京田陽太選手の両親や兄弟について、ご紹介していきたいと思います!
<この記事でわかること>
- 京田陽太選手の生まれ育った場所
- 母はどんな人?
- 父はどんな人?
- 京田陽太選手に兄弟はいるの?
- 兄貴とは?
それでは一緒に見ていきましょう♪
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京田陽太選手の生まれ育った場所
まず初めに、京田陽太選手の生まれ育った場所について、ご紹介します。
京田陽太選手は、1994年4月20日に石川県能美郡寺井町で、生まれ育ちました。
石川県能美郡は山と川に挟まれた土地で、2024年の元旦に起こった能登半島地震での被害も受けた場所です。
幸いなことに石川県でも下部の方なので、地震の被害は最小限に収められたそうです。
実家がある場所に地震が起こると、本当に心配になりますよね…。
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京田陽太選手の母親はどんな人?
では次に、京田陽太選手の幼少期を支えた実家家族は、どんな人たちだったのでしょうか?
まずは京田陽太選手の母親から、ご紹介します。
2023年5月14日の母の日の取材で、京田陽太選手が母親について語っていました。
京田陽太選手は幼いころから、人との接し方や挨拶・ふるまい方・礼儀などには、母からとても厳しく教えられていたそうです。
「1人では何もできないので、周りの方に支えられて、自分っていうのがあるので感謝はしっかりしなさい」
という、母からの教えを今でも大切に心にしまっていると、記者に語っていました。
京田陽太選手は日ごろから、チームメイトやコーチなどにとても礼儀正しく、挨拶もしっかりしている印象です。
それは幼いころからの、母からの教えだったのですね。
更に、
「プロ入りできたのも両親のおかげですし、怪我がないのも丈夫な体に生んでくれたおかげで、日々感謝している」
と話していました。
京田陽太選手は、本当に今まで大きなけがはありませんでした。
「丈夫な体で産んでくれたおかげ」と言っていましたが、私はそれ以外にも京田陽太選手の努力する姿勢と、練習量にあると思います。
京田陽太選手は、学生時代から部活が終わった後でも、寮の夕食の終了時間ギリギリまで、一人で練習を続けるような生徒でした。
さらに、大学時代でも練習を怠ることはなく、当時の監督からの「やめろ」と言われるまで、練習をやめない努力家でした。
母親のおかげももちろんですが、京田陽太選手の努力家な性格からも、これまでに大きな怪我が無い理由だと、私は思います。
このようなことから、京田陽太選手の母親は人との付き合い方・感謝の気持ちに対して、厳しく指導してくれた方だという事が分かりました!
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京田陽太選手の父はどんな人?
次に、京田陽太選手の父親についてご紹介します。
京田陽太選手が、野球を始めるきっかけとなったのが、父親だったようです。
幼い頃から父親と公園に通い、毎日のようにキャッチボールや練習などをしていました。
小学校2年生の頃に初めて、地元の少年野球チームに所属しましたが、初めの頃は入団したくなかったようです!
その理由として、「ユニフォームを着たくなかったから」でした。
普段公園で、ジャージを着て父と野球練習をしていた京田陽太選手だったので、入団後もジャージを着ると思っていたそうです。笑
野球を夢見る子供は、ユニフォームに憧れを持つものと私は思っていたので、これを知った時は驚きました…。
ですが友達の熱い誘いもあり入団したところ、野球の魅力に引き込まれ夢中になったそうです。
父親に関する情報は少なく、「野球を始めるきっかけ」としかわかりませんでした…。
いつか取材やテレビ出演などで、両親について語るのを楽しみにしたいと思います。
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京田陽太選手に兄弟はいるの?「兄貴」とは?
素敵なご両親に育てられた京田陽太選手に、兄弟はいるのでしょうか?
結論から言うと、京田陽太選手の兄弟に関する情報は一切なく、一人っ子という可能性が高いと、私は思いました。
ですが、中日ドラゴンズ時代に「兄貴」と慕っていた方が、一人いる事がわかりました。
「兄貴」と慕っていた方は、以前中日ドラゴンズで活躍していた、木下雄介さんです。
木下雄介さんは、京田陽太選手と同じく2016年10月26日の日本プロ野球ドラフト会議で、中日ドラゴンズから指名されプロ入りを果たしました。
京田陽太選手とは同期ですが、年上のため「兄貴」として慕っていたようです。
木下雄介さんは、2021年7月6日にナゴヤ球場で練習し、その休憩中に息苦しさを訴えた直後、突然倒れてしまいました。
意識を完全に失い、心肺停止状態になってしまったため、トレーナーによるAEDでの処置が施されました。
ですが意識は戻らず、そのまま名古屋市内の病院に緊急搬送されました。
病院での処置も施されましたが、8月3日に27歳という若さで死去してしまいました。
京田陽太選手と木下雄介さんは、家族ぐるみの付き合いがあったようで、1か月後に行われた追悼試合では、木下雄介さんの長男と長女の手を京田陽太選手が引き、マウンドへ向かいました。
木下雄介さんの生前の背番号は、「98」です。
中日ドラゴンズでは、背番号98が準永久欠番番号となりました。
京田陽太選手は、横浜DeNAベイスターズに移籍する際に、背番号98を希望しました。
このことについて当時の取材で、
「移籍が決まったとき、すぐ頭に浮かんだ番号でした。プライベートでも家族ぐるみでお付き合いさせていただいて、本当兄貴といってもいい存在だったので、迷いなく98番を選ばせていただきました」
と、凛とした表情で語っていたそうです。
そして、尊敬する兄貴・木下雄介さんの思いも背負って、横浜DeNAベイスターズで再スタートすることを誓いました。
京田陽太選手の実の兄弟に関する情報はありませんでしたが、兄貴と慕っていた木下雄介さんについてご紹介できたことを、私は嬉しく思います。
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まとめ:京田陽太選手の実家家族構成|両親はどんな人?兄弟はいるの?
今回は、京田陽太選手の両親や兄貴と慕う方について、ご紹介させていただきました。
まとめると
- 京田陽太選手のうまれ育った場所
- 母は感謝について厳しく指導してくれた人
- 父は野球をするきっかけとなった人
- 兄貴と慕うのは木下雄介さん
今回調べていて、京田陽介選手の母の言葉がとても印象に残りました。
母の教えがあったからこそ、今の努力家の京田陽太選手があるのですね^^
さらに、兄貴と慕っていた木下雄介さんについても、ご紹介させていただきました。
私はこれからも、京田陽太選手の活躍を楽しみにしていきたいと思います!