川崎フロンターレの10番を背負う大島僚太(おおしまりょうた)選手。
サポーターからは絶大な人気を誇る、まさにクラブの象徴的プレーヤーですよね。
そんな大島僚太選手ですが、どのような環境で育ったのか気になる方も多いと思います。
今回、大島僚太選手の両親や兄弟などについて調査しましたので、ぜひ最後まで読んでください。
〈この記事を読んでわかること〉
・大島僚太選手の両親や兄弟について
・生い立ち・子供時代について
大島僚太選手について
大島僚太選手についてまとめました。
生年月日:1993年1月23日
出身地:静岡県静岡市
身長:168㎝
体重:64
ポジション:MF
日本代表経験もある大島僚太選手はサッカー王国静岡で誕生しました。
サッカーの経歴を見ると小学生の頃は、清水FCに所属し、中高は静岡学園でプレーするなどまさにエリート街道を突き進んできた選手ですね。
清水FC
清水FCとは、現在の清水区内にあるサッカークラブから選抜されたメンバーで構成されたチームで、このクラブから多くのJリーカーを輩出しています。
・堀池巧
・長谷川健太
・大榎克己
・藤田俊哉
・西澤明訓
・市川大祐
・水野晃樹
他にもたくさんの選手がいますが、残念ながら現在はこのチームはありません。
このチームが獲得した全国でのタイトルは、ジュニアクラブチーム再多の計21回です。
そんな強豪で、少年時代はサッカーをしていたのですね。
静岡学園
中高と静岡学園でサッカーをしていますが、静岡学園もサッカー名門校として全国的に有名です。
1・2年生の頃は、控えにまわることが多く、3年生の頃にレギュラーポジションを掴んだようです。
大島僚太選手ほどの実力をもってもレギュラーになるのは難しかったんですね。
しかし、夏のインターハイで全国出場を決めたあとに疲労骨折になり、全国大会には出場できませんでした。
悔しい思いをした大島僚太選手ですが、その後に開かれた高円宮杯でのプレーがプロ入りする大きなきっかけとなりました。
この時、川崎フロンターレのスカウトをしていたOBが応援にきており、大島僚太選手のプレーが目に留まります。
「その時は大学進学を考えていたんですが、『一人で学ぶ』と書いて『大学』という字になりますよね。大学でサッカーをするならそれだけ自分自身を律しなければならないけど、それはできないだろうという判断もあり、大学に行ったらサッカーはしたくないと思っていました。だから広島戦に(向島)建さんが応援に来てくれなければ、プロになる道はなかったと思いますし、天と地ほどの差がある人生になっていたかもしれないですよね」
引用元:公益財団法人日本サッカー協会
この大会は、大島僚太選手の未来を変えた大きな岐路だったのですね。
ただ、大島僚太選手がもしサッカーサッカーを続けていなかったら大学で何を学びたかったのかもちょっときになりますね(笑)
実は、川崎フロンターレのHPの選手紹介のページに「もしサッカー選手になってなかったら」という項目があり、体育教師になりたかったと答えています。
フロンターレの話がなかったら体育大学に進学していたかもしれませんね。
ちなみに大島僚太選手の代でも数名プロになっています。
・中西倫也
・星野有亮
・利根瑠偉
大島僚家族構成の家族構成
大島僚太選手の家族構成についてです。
・父親
・母親
・兄
・本人
4人家族で、静岡県静岡市の地に大島家の次男として生まれました。
忙しい中でも、年に数回は会うようにしているようで、とても家族を大事にしているようですね。
詳しいことはわかりませんでしたが、今でも地元の清水に実家があるのではないでしょうか。
大島僚太選手の両親葉どんな父親・母親?
大島僚太選手の両親については残念ながら、名前などはわかりませんでした。
ただ、両親について問われると優しいと答えていますので、今でも良好な関係だというのが想像できます。
実は父親は野球が好きで、大島僚太選手に幼いころに野球も習わせていたようです。
ただ、サッカーも野球も試合が日曜日にあるため、大島僚太選手が意思でサッカーを選択しています。
「僕の近所はみんな野球をやってました。だから僕も最初は野球とサッカーの両方をやってました。でも、僕はサッカーにハマった。野球って待っている時間が長いじゃないですか。だからサッカーのほうが楽しいなって。小学生の時は、公園でみんなが野球をやっている横で、ひとりでボールを蹴ってました」
引用元:Ameba
大島僚太選手自身、野球も嫌いではなく、むしろサッカー以外で好きなスポーツを野球と話しており、マイブームには野球ゲームのプロスピを挙げるほどです。
子供の意見を尊重してくれる素敵なお父さんですよね。
母親母親についても残念ながら名前は、わかりませんでした。
大島僚太選手は自分の目元は、母親似と感じているそうです。
初めてのプロでの給母への母へのネックレスだったそうで、母親はとても喜んだのではないでしょうか。
実は、子供のころにピアノを習っていたそうですが、センスのなさに気付いてやめたそうです。
もしかすると母親の勧めもあったのかもしれませんね。
大島僚太選手の兄弟について
大島僚太選手の兄弟にはお兄さんが一人います。
サッカーを始めたきっかけは、お兄さんと、いとこのお姉さんの影響のようですが、あまりお兄さんの情報はありません。
ネットを見てみると、「もしかしてサッカー選手なのでは」といった声もありますが、調べたところプロとして活動された記録はありません。
家族仲が良いと話していましたので、お兄さんとも頻繁に会っているのかもしれませんね。
大島僚太選手の性格
大島僚太選手は、自分のことを良い意味でも悪い意味でも「ブレない」と自己分析しています。
サポーターの多くもそれを魅力と感じているのではないでしょうか。
マイペースや自分の考えがしっかりしているのは、幼いころからだったようで、周囲もそれを感じていました。
サッカーを選んだ少年時代ですが、実は友達の多くが野球をしている中、すぐ傍で一人サッカーをしていたそうです。
学生時代に指導した顧問たちも大島僚太選手に対して他の生徒とは違う印象をもっていたそうです。
中学生時代の顧問の話です。
「問題を起こしたこともなかったし、ものすごい挫折を味わったわけでもない……。大きなエピソードがないのが大島のエピソードですかね」
「ちょっと注意するとか、そういうのはありますよ。でも、それは誰に対してもあるもので、僕が見る限り大島は、波なく毎日コツコツ努力できる子。中学生ってサボったり、他のことに気が向いたりするものなんですけど、大島は安定していました」
引用元:Ameba
次に高校生時代です。
「上手いんですよ。でも『先輩たち、凄いなあ』という感じで、ポジションを奪ってやるというギラギラ感はなかった。要はマイペースで、慌てないというか」
「ベンチの横でひとりアップを続けて、『行けます』ってアピールしてるんです。出たくてしょうがない。でも『出して下さい』とは言わない。ただ黙々とアピールしていた」引用元:Ameba
子供のころから、一貫して真面目に取り組む姿勢はプロになった今でも変わってませんね。
まとめ:大島僚太選手の両親や兄弟はどんな家族?家族のエピソードと共にまとめ
今回は、川崎フロンターレを象徴するプレーヤーの大島僚太選手の両親や兄弟、そして子供時代について調べました。
・両親と兄の4人兄弟
・父親は野球が好き
・母親と目元が似ている
・兄の影響でサッカーを始めた
色々なことがわかりました。
現在の大島僚太選手の活躍を見て家族はとても喜んでいるのではないでしょうか。