現在、Bリーグの島根スサノオマジックで育成強化本部長を務めている広瀬健太さん。
島根県出身の広瀬健太さんは、サンロッカーズ渋谷やパナソニックトライアンズ、日本代表でも活躍したバスケ選手です。
広瀬健太さん自身が大好きだという「家族」「バスケットボール」「島根」のうち2つを仕事として取り組めることにご本人もワクワクしているとのことで、これからの島根スサノオマジックの躍進にも期待している方も多いのではないでしょうか?
そんな広瀬健太さんの母親は、東洋の魔女と呼ばれたバレーボールの日本代表でマネージャーだったそうです。また、父親はレスリングで国体にも出場したことがある選手でした。
今回は広瀬健太さんのご家族についてまとめてみたいと思います。
この記事でわかること
- 広瀬健太さんの家族構成
- 広瀬健太さんの母親は、バレーボール元日本代表!
- 広瀬健太さんの父親は元レスリング選手
- 広瀬健太さんのプロフィール
それでは、家族構成から見ていきましょう!
広瀬健太さんの家族構成|兄弟はいる?
広瀬健太さんのご家族は、ご両親と広瀬健太さんの3人家族ではないかと思われます。ご兄弟がいるのかについては、詳細がわかりませんでした。
- 父親:博志さん/レスリングで国体出場
- 母親:真理子さん:バレーボール元日本代表マネージャー
- ご本人:広瀬健太さん
また、現在広瀬健太さんはご結婚されており、X(旧Twitter)でお子さんとのやり取りなどをユーモアたっぷりに投稿されていたので、親近感を持って見ていたファンの方も多いのではないでしょうか?ちなみにお子さんは、男の子と女の子が一人ずついらっしゃいます。
息子に応援したか聞いてみると
「鬼滅の方を応援してる」
と返答がありました。
順調に成長してるな。
— 広瀬健太 Kenta Hirose (@knt_hrs) December 12, 2021
Xの投稿について広瀬健太さんは 、コロナでファンの方との交流が減ったことや、長いキャリアを振り返った時に感謝の気持ちがわいてきたことにより、ファンの方とのつながりが持てる場として投稿していたそうです。
引退を機に、投稿回数は減っていますが、ぜひまた楽しい投稿をしてもらえたら嬉しいですよね!
広瀬健太さんの母親は、バレーボール元日本代表!
広瀬健太さんの母親 真理子さんは、幻のモスクワオリンピックのバレーボール女子日本代表で活躍をしていました。
幻のモスクワオリンピックとは?
1980年に開催されたモスクワオリンピック。バレーボール女子日本代表は2連覇を目指していましたが、ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議してアメリカが西側諸国にボイコットを提唱したことから、開幕2か月前に不参加を表明しました。
広瀬 真理子(ひろせ まりこ)
旧姓:佐々木真理子
出身地:島根県佐田町
【在籍チーム】
ユニチカ貝塚
ユニチカ貝塚といえば、「東洋の魔女」を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか?
東洋の魔女とは?
大日本紡績(のちのユニチカ)貝塚工場の女子バレーボールチームを起源とした女子バレーボール日本代表チームの呼び名。1960年代、圧倒的な強さを誇った女子バレーボール日本代表は、欧州遠征で24連勝した際に現地で「東洋の魔女」と呼ばれるようになりました。
東京五輪では、ソビエト連邦(現ロシア)を破って金メダルを獲得した決勝戦がスポーツ中継のテレビ視聴率として史上最高の66・8%を記録するなど、その注目度の高さがわかりますよね。
伝統あるユニチカ貝塚、そして日本代表で活躍していたとはすごいですよね。Wikipediaのモスクワオリンピックの日本選手団を調べると、広瀬健太さんの母親 真理子さんはマネージャーとして参加していたようです。また、当時のチームメイトには、現在日本バスケットボール協会代表理事の三屋裕子さんもいらっしゃいました。
広瀬健太さんの母親 真理子さんは、広瀬健太さんが現役時代は全国の試合会場を回って応援していたそうですよ。
広瀬健太さんの父親は元レスリング選手
広瀬健太さんの父親はレスリングの元国体選手で、松江市内でレスリングの教室を開いていたため、広瀬健太さんが4歳の時に初めて触れたスポーツはレスリングだったそうです。
出典:山陰中央新報デジタル
小学校4年生の頃に近所で仲良くしていた先輩に誘われてバスケを始めるものの、小学校6年生の頃には全国小学生レスリング選手権で2位という成績を残します。
父親が国体に出場しているだけあって、レスリングのセンスも抜群だったのでしょうね!
中学3年生の4月には西日本中学生レスリング選手権で優勝し、この優勝を機会に、バスケット一本の道を歩み始めたそうです。きっと、レスリングの経験がバスケにも生かされていたのではないでしょうか。
広瀬健太さんのプロフィール
広瀬健太さんのプロフィール
広瀬 健太(ひろせ けんた)
生年月日:1985年7月11日
出身地:島根県
身長:193cm
ポジション:SF
【出身校/在籍チーム】
小学校:松江市立大庭小学校
中学校:松江市立湖東中学校
高校:松江東高校
大学:青山学院大学
2008年〜2013年:パナソニックトライアンズ
2013年〜2022年:日立サンロッカーズ(現 サンロッカーズ渋谷)
前述の通り、4歳から父親の影響でレスリングを始めた広瀬健太さんは、小学校4年生でクラブ活動を始める際に、「個人競技ではなくチームプレーが出来るものもいいな」と考えてバスケットを始めたそうです。中学3年の4月にはレスリングで西日本優勝を果たしていますが、バスケットでも、島根県総体優勝、中国総体優勝、全国総体でもベスト16という成績を収めています。
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4歳の頃からの幼なじみととして、吉本興業所属のコントグループ「ネルソンズ」の青山フォール勝ちさんがInstagramで広瀬健太さんとの写真を投稿していました。 青山さんも松江市出身で、4歳からレスリングを始めたそうなので、広瀬健太さんの父親のレスリング教室に通っていたことがわかりますね。
高校は島根県立松江東高校へ進学し、2年時にインターハイ初出場、3年時には全国ベスト8へ導くなど、常にチームの士気を高めてきました。
青山学院大学では、4年生の時にインカレで優勝し、最優秀選手賞とアシスト王を受賞しています。
大学卒業後は、パナソニックトライアンズに入団し、ルーキー・オブ・ザ・イヤーにも輝くなど、順風満帆な選手生活でしたが、2013年のパナソニックトライアンズ休部という予期せぬ状況となります。歴史あるチームの休部だっただけに、ファンとしても衝撃的でしたが当時の実業団バスケは休部や廃部が相次ぎ、今のBリーグの盛り上がりからは想像がつかないような時代でしたね。
その後、日立サンロッカーズ東京(現地サンロッカーズ渋谷)へ移籍した広瀬健太さん。Bリーグ発足後もプロ契約をせず、社員選手として活躍をしていました。
2022年シーズンで引退。引退試合は地元である島根の島根スサノオマジックでした。
引退後は、所属していた日立サンロッカーズ東京の親会社である日立製作所の不動産関連の部署に配属されましたが、2023年には故郷である島根スサノオマジックの育成強化本部長となりました。
広瀬健太さんのお父様同様、地元で次の世代の選手を育てることになったのは感慨深いでしょうね。
まとめ
今回は島根スサノオマジックの育成強化本部長として活躍している広瀬健太さんのご両親と広瀬健太さんの経歴についてまとめてみました!
2026年にリーグの大幅な構造改革が敢行されるBリーグ。地元である島根に新たな風を吹き込む広瀬健太さんの今後の活躍にも期待したいですね!