井上広大選手は、身長187㎝、体重101㎏と体格に恵まれている外野手です。
小学2年生の時にソフトボールを始め、中学時代に野球に転向。
中学卒業後は硬式野球部強豪校である履正社高校に入学しました。
高校3年生で出場した夏の甲子園では、3本塁打、14打点の大活躍をし、履正社初の甲子園優勝に貢献しました。
高校時代は通算49本塁打を記録しています。
甲子園での活躍が評価され、2019年度ドラフト会議で阪神から2位指名。
2023年まで、1軍試合出場にはあまり恵まれていなかったものの、2024年シーズンに入りスタメン入りすることが増え、勝利に繋がるヒットが増えていることから今後の活躍が注目されています。
今回はそんな井上広大選手の実家・家族について調査したので、まとめていきます。
井上広大選手の実家家族構成は?
井上広大選手の実家家族構成は、母親と弟です。
- 母親
- 井上広大選手
- 弟
高校時代に特集が組まれた際、この家族構成になったのは「井上広大選手が小学6年生から」と記載がありました。
そのため、井上広大選手が小学6年生の時に両親が離婚したと考えられます。
井上広大選手は、幼少期から母親思いで、家計が苦しいことも分かっていました。
中学時代に井上広大選手が所属していた少年野球チームの監督は、
「進路の相談になったときも、母親に迷惑がかかると思って、寮に入る他府県の私立は渋っていた。だから、履正社へ背中を押してあげた」
引用:サンスポ
と語っていました。
弟とは年が離れており、井上広大選手が父親代わりに世話することも多かったそうです。
履正社高校は自宅から通える距離にあるため、弟の面倒も見られると考えて進学したのでしょう。
高校進学後も、履正社高校の監督やコーチとの面談で、
「卒業したら社会人かプロに就職します」
「大学に行ったら(母親に)負担をかけてしまうので。自分が野球をして(家族の)面倒をみるという気持ちと覚悟をもって野球をしたいです」
引用:サンスポ
と話しており、井上広大選手は野球よりも家族を第一に考えていたことが分かります。
井上広大選手の母親はどんな人?結果が出せずに投げやりになった息子に喝も?
井上広大選手の母親は、貴美さんという名前です。
母親の貴美さんの年齢は、2019年8月時点で50歳と報道されていたため、1969年か1968年生まれなのではないでしょうか。
母子家庭となった後も、母親は井上広大選手の野球に関して、ほとんど口出しすることはなく見守っていました。
そんな母親ですが、1度だけ井上広大選手の野球について喝を入れたことがあります。
高校3年生の時、春のセンバツに出場したものの星稜高校に完封負け。
井上広大選手は打撃不振に陥っていたため、4番打者から外されて下位打線にされてしまったのです。
4番打者には、強打者が選ばれるイメージがあります。
下位打線でも強豪校のレギュラーとして、試合に出られているだけでも素晴らしいと思うのですが、4番打者から外されることは、井上広大選手のプライドを傷つけることになったのでしょう。
4番打者を外れてから、井上広大選手は家でも投げやりになったり、落ち込んだり、不機嫌な態度になることが増えていきました。
しびれを切らした母親は、
「(野球)やめればいい。ゴミ袋に道具まとめなさい」
引用:日刊スポーツ
と井上広大選手を一喝。
井上広大選手は、日頃野球について口を出さない母からの喝を受けて驚き改心したそうです。
「本当に頑張らないといけないなと思いました」
引用:日刊スポーツ
野球への情熱を取り戻した井上広大選手は、3年夏の甲子園決勝でホームランを放ちました。
貴美さんも井上広大選手を見守るために全試合甲子園で観戦。
しかし家計の影響で甲子園で観戦し続けるのはとても大変なことだったようで、
「甲子園まで来るのは、1人では無理。たくさんの人に感謝しています」
引用:日刊スポーツ
と貴美さんはコメント。
井上広大選手も甲子園で優勝したことについて、「ここまで野球を続けさせてくれた母親に感謝している」とコメントを残しました。
優勝したものの、井上広大選手は「プロ野球選手になってまた甲子園に戻ってこれるように」という気持ちを込めて、他の高校球児のように甲子園の土は持ち帰りませんでした。
貴美さんは「高校卒業後はプロか社会人野球に就職」という井上広大選手の決意を聞いて、「ためになるから大学に行った方がいい」と助言しました。
しかし、井上広大選手の決意は変わりませんでした。
「中学、高校と迷惑をかけたので自分が(家族を)支えていきたい」
引用:サンスポ
甲子園優勝報告会では、初めてプロ志望届を出すと貴美さんに明言しました。
井上広大選手は家事を全て母親に任せてきていたため、「1人でやっていけるん?」と心配されたそうです。
井上広大選手はこの発言をうけ、絶対に活躍すると心に誓いました。
2020年10月16日に行われたヤクルト戦で、代打で出場した井上広大選手がプロ初安打と初お立ち台を経験。
お立ち台では活躍を報告したい相手を聞かれ「お母さんです」と即答。
高校時代は厳しい喝を飛ばした貴美さんですが、プロ入り後は優しい言葉をかけるようになりました。
1軍入り後は毎日のように連絡が来て「打てんくても次頑張りや」と、励まされることが増えたそうです。
貴美さんの優しい言葉は井上広大選手の気持ちの切り替えに役立っているそうです。
2024年の母の日に行われた試合では、タイムリーヒットを放った井上広大選手。
貴美さんの支えを受けて、これからもプロ野球界で頑張ってくれそうですね。
井上広大選手に兄弟はいる?
井上広大選手の弟は祝榮(しゅうえい)さんという名前です。
井上広大選手と弟の祝榮さんは8歳も歳が離れています。
井上広大選手は昔から、弟の世話をよくしており、保育園の送迎をすることがあったそうです。
弟の祝榮さんも兄の姿を見てソフトボールを始めています。
高校時代は夜遅くまで練習することが多かったため、祝榮さんと話す機会はあまりなかったそうですが、時間が会えば一緒に素振りをしたり、野球の話をすることがありました。
弟の祝榮さんが笑顔で素振りしているのを見て、井上広大選手は「野球を楽しむ」という原点に立ち返ることができ、「自慢のお兄ちゃんになろう」と決意できたそうです。
阪神入団が決まった際、井上広大選手は契約金の使い道について、
「弟も野球をやるということなので、そっちの方にお金を使えたらと思います」
引用:サンスポ
と語っていました。
祝榮さんは井上広大選手のお下がりを使うことが多いため、新品を買ってあげたかったそうです。
もしかしたらプロの世界で兄弟で活躍する姿が見れるかもしれませんね。
まとめ:井上広大選手の心に響いた母親の喝!弟思いなお兄ちゃんの一面も
では今回のまとめです。
- 井上広大選手が小学6年生の頃、両親が離婚し母子家庭で過ごしました。
- 家計が苦しい中でも野球を続けさせてくれたことに、井上広大選手は感謝しているそうです。
- 家族に迷惑をかけたくない一心で、高校時代に井上広大選手は「高校卒業後大学に進学せず、プロ野球選手になるか社会人として就職する」と決意しました。
- 現在決意通り高校卒業後プロ入りしているのは、井上広大選手の努力のたまものといえるでしょう。
- 高校時代に4番打者を剝奪され荒れていた井上広大選手は、母親である貴美さんから「野球をやめたらいい」と喝を入れられ、心を入れ替えたそうです。
- あまり野球について口を出すタイプではなかったようですが、母親として井上広大選手の様子を見ていられなかったのでしょう。
- 貴美さんが喝を入れたことで井上広大選手は心を入れ替え、高校3年生の夏に出場した甲子園で優勝に貢献するホームランを放っています。
- 井上広大選手には8歳年下の弟、祝榮さんがいます。
- 井上広大選手は面倒見がよく、祝榮さんの保育園の送迎を担当することもあったそうです。
- 祝榮さんも野球を始める予定のようで、井上広大選手は契約金の使い道について「弟の野球道具を買ってあげたい」と話していました。
井上広大選手がベテラン選手となる頃、祝榮さんもプロ入りすることを祈りたいですね。
最後までご覧いただきありがとうございました。