
2023年まで日本プロ野球で投手として活躍していた宮國椋丞選手。
さかのぼること、2010年に行われたドラフト会議で巨人2位指名を受け、プロ入りしました。
2012年シーズンは、巨人の10代選手としては29年ぶりとなる1軍初登板初勝利、桑田真澄選手以来の高卒2年目での初完封を記録し、活躍が注目されていました。
しかし、2012年5月16日に右肩の違和感により約2ヶ月離脱すると、2013年にはチームのポストシーズン進出直前に右下腿内側痛を発症。
2014年シーズンは不調が続き、高卒4年目にして減額制限を超える年俸を提示されてしまいました。
2015年は先発投手から中継ぎ投手に転向し、活躍し続けたものの2020年の成績が芳しくなかったことや、右肩痛により巨人を戦力外となり、2021年からは横浜に移籍したものの、2023年には2回目の戦力外通告を受け現役を引退。
引退後は、難関資格である宅建士に1発合格したことで話題になりました。
活躍の陰には家族の支えがあったことでしょう。
そこで今回は、そんな宮國椋丞選手の実家家族について調査しましたのでまとめていきます。
<この記事でわかること>
- 家族構成
- 両親はどんな父親・母親なのか。
- 兄弟について
それでは一緒に見ていきましょう!
宮國椋丞選手の父親はどんな人?巨人で引退しなかったのは父親の言葉が要因?
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宮國椋丞選手の父親の名前は透さんです。
父親は野球経験者であり、高校球児でもあったため宮國椋丞選手が野球を続けてプロ野球選手になってくれたことは、間違いなく嬉しかったことでしょう。
顔写真については見つけられませんでしたが、教師として働いていたという情報がありました。
もしかしたら、野球部の指導者としても活躍していたかもしれませんね。
しかし、宮國椋丞選手の父親は、2017年2月1日に急性心筋梗塞により56歳という若さで亡くなってしまいました。
キャンプ直前の出来事ではありましたが、3日に葬儀を終えた宮國椋丞選手は翌日にキャンプに合流。
長い間悲しむのではなく、野球で結果を出すことで天国の父親の期待に応えようと思ったのでしょう。
しかし、残念ながら2020年に宮國椋丞選手は巨人を戦力外になってしまいました。
巨人からは球団スタッフの打診もあったのですが、宮國椋丞選手は固辞。
巨人からの打診を断ってでも現役にこだわったのは、父親からの言葉が大きかったと言います。
「『投げられるんだったら1年でも長く野球を続けなさい』とずっと言われていたので。そういう言葉が僕を後押ししてくれたと感じてます」
引用:NumberWeb
父親は大学や社会人野球でもファーストを守っていたという情報がありますが、宮國椋丞選手のようにプロ入りはできませんでした。
父親としては、せっかく宮國椋丞選手がプロ入りしたからには、野球を長く続けてほしいという思いがあったのでしょう。
父親の言葉が無ければ、宮國椋丞選手は横浜に移籍することなく28歳の若さで引退していたかもしれません。
宮國椋丞選手の母親はどんな人?ハーフ説の真相は?
宮國椋丞選手の母親は優子さんという名前です。
宮國椋丞選手が巨人からドラフト指名を受けた際、母親は49歳であることが明かされていたため2025年に64歳か65歳になると思われます。
母親の職業は小学校の先生であり、そろそろ定年退職を迎えます。
宮國椋丞選手は、2022年1月にFull-Count公式ツイッターがプロ野球界の各ポジションごとのイケメン選手を決めるアンケートを行った際、中継ぎ投手として2位にランクインするほど、目鼻立ちがくっきりした顔立ちで知られており、ハーフ説も上がるほどでした。
実際は両親の名前の通り日本人であり、宮國椋丞選手も純日本人です。
両親ともに宮古島出身であり、宮國椋丞選手は石川県生まれであるものの宮古島で育ちました。
沖縄県出身の芸能人にも日本人離れした顔立ちの人が多いため、宮國椋丞選手にもハーフ説が上がってもおかしくありませんね。
宮國椋丞選手は小学生の頃やんちゃな児童だったようで、母親は小学校の先生を務めているにもかかわらず学校に呼び出されることがあったそうです。
離島ではすぐに子供のやんちゃ具合は島中に知れ渡ってしまいそうなので、母親は周囲の目にも苦労したかもしれませんね。
小学校からやんちゃだと反抗期が心配になってくるところですが、母親の職業を理解したのか宮國椋丞選手は中学時代からは真面目な生徒になったそうです。
宮國椋丞選手がドラフト指名された際、実家には両親と親戚が集結。
母親は、
「小さいころから野球大好きな元気者だった。プロの世界は楽しいことばかりではないと思うが、一生懸命頑張ってほしい」
引用:宮古毎日新聞
と語っており、心配しながらも息子を送り出していました。
宮國椋丞選手が宅建士に一発合格しているのは、教師の両親のDNAを受け継いでいるのかもしれませんね。
母親は宮國椋丞選手に対し、周りの人への感謝の気持ちを持つことを大事にするよう教えてきたそうです。
横浜から育成契約の打診があった際、宮國椋丞選手は、
「周りの方々の支えを身に染みて痛感した」
引用:BASEBALLKING
とコメントしており、母親の教えが活き続けていることが分かります。
宮國椋丞選手はセカンドキャリアでも、感謝の気持ちを持って働き続けることでしょう。
宮國椋丞選手に兄弟は兄と妹!きょうだいもエリートだった!
<きょうだい構成>
- 兄
- 宮國椋丞選手
- 妹
- 妹
宮國椋丞選手には兄が1人、妹が2人います。
兄妹は全員一般人のため、顔写真や年齢などは明かされていませんでした。
宮國椋丞選手は、先に野球を始めていた兄の影響を受けて自身も野球を始めたそうです。
巨人を戦力外になった際には、横浜から声がかかるまで沖縄で兄に捕手役をしてもらい、一緒に練習していることが明かされており、弟の夢を応援する心優しい一面が感じられます。
兄は数学教師、上の妹は家庭科の先生、下の妹は看護学校に通っていたという情報があったことから、現在は看護師をしていると思われます。
両親や兄妹の職業を考えると、全体的に頭が良かった家庭だと想像できますね。
教師や看護師の職に就いている人だらけの家庭に、プロ野球選手が混じっているというのはかなり異質のように感じます。
頭脳系の家庭でプロ野球選手という夢のある職業に就く人が出たのは、兄妹としても嬉しかったのではないでしょうか。



まとめ:國椋丞選手の実家家族はエリート家系!父親と兄が野球経験者!宮國椋丞選手の頭の良さは遺伝?
では、今回の振り返りです。
- 宮國椋丞選手の実家家族構成は、両親と兄1人、妹2人です。
- 父親は2017年2月1日に急性心筋梗塞により亡くなってしまいましたが、生前の職業は教師。
- 母親と兄、上の妹も教職についており、下の妹は看護専門学校に通っていると言う情報があることから、看護師になっている可能性が高そう。
宮國椋丞選手は、2024年に合格率20%以下の難関資格である宅建士に合格したことで話題になりました。
宮國椋丞選手の頭の良さは、両親から受け継いでいるように思えますね。
父親は元高校球児であり、大学・社会人野球でも活躍していましたが、プロ入りはしていません。
そのことがあってか、父親からは「1年でも長く野球を続けなさい」と言われていたとか。
この言葉は、宮國椋丞選手が巨人から戦力外通告と共に球団スタッフの打診を受けた際、固辞する大きな理由になりました。
巨人を戦力外になってから横浜から育成契約の打診があるまで、兄に練習を付き合ってもらうことがあった宮國椋丞選手。
家庭全体で宮國椋丞選手のキャリアが長く続くよう、支えてもらっていたのかもしれませんね。
宮國椋丞選手は母親から、周りの人に感謝を持ち続けるよう教えられてきました。
セカンドキャリアでも感謝の気持ちを忘れず頑張ってほしいですね。
最後までご覧いただきありがとうございました。