プロ入り2年目から開幕1軍入りし、活躍し続けている実力派の中継ぎ投手の木澤尚文選手。
小学1年生から中学3年生まで千葉県船橋市に住んでいたこともあり、ドラフト指名された後、船橋市の市長を表敬訪問し、
「まずは1軍の開幕ローテーションに入ることに集中して、キャンプを過ごしていきたい」
引用:船橋経済新聞
と目標を語っていました。
プロ入り1年目は1軍出場が叶わず、2軍戦でもかなり打ち込まれてしまいました。
オフシーズンにシュートという球種を習得してから活躍できるようになり、開幕1軍入りという目標を叶えることができました。
現在順調なプロ野球人生を送っている木澤尚文選手は、どのような家庭で育ったのか気になるところです。
今回は、木澤尚文選手の実家家族について調査しましたのでまとめていきます。
木澤尚文選手の父親はどんな人?お金に厳しい?
木澤尚文選手の父親は、英博さんという名前です。
父親の英博さんは1960年5月1日生まれなので、2024年に64歳です。
父親は一般人のため、職業に関しては明かされていませんでした。
木澤尚文選手はプロ1年目を終えて、年末年始は実家に帰省していました。
帰省した時に父の博さんは木澤尚文選手に、税金やお金の使い方を教えたそうです。
確かにプロ野球選手として活躍すると、収入が急上昇すると同時に所得税率も上がっていくので、貯金をする必要や、急な出費をしないように教えたのかもしれません。
とはいえ、木澤尚文選手は高級車を買ったり、ブランド物を爆買いするようなイメージが無いので、父親の心配は杞憂に終わりそうですね。
木澤尚文選手は初任給を遣い、父親の英博さんにネクタイをプレゼントしています。
2021年の父親の誕生日祝いには、母の日が近いことも兼ねて両親お揃いのシャンパングラスを贈っています。
ただ、お金に関して教育するような父親ですから、ネクタイよりも木澤尚文選手はプロ2年目での初勝利や、初勝利時に持ち帰ったウィニングボールの方が嬉しかったかもしれません。
父親には野球経験があるという情報はなく、野球に関して口出しするような人ではないようです。
木澤尚文選手は、幼いころからのびのびと野球できる環境にいたからこそ、今の活躍があるのだと感じました。
木澤尚文選手の母親はどんな人?チャレンジ精神旺盛は母親譲り?
木澤尚文選手の母親は聡子さんという名前です。
母親の生年月日は明かされていないものの、父親・英博さんの8、9歳年下です。
母親は木澤尚文選手の船橋市役所表敬訪問に同行しており、顔写真を公開しています。
顔写真からは、かなり上品な印象を受けました。
初任給で英博さんにネクタイを贈った木澤尚文選手は、母親には花を贈ったそうです。
母親の経歴はかなり独特で、英博さんと結婚する前は航空会社の機内通訳を務めていました。
結婚後は1度専業主婦になったものの、木澤尚文選手の高校進学を期に、英語を教える外国人教師の補助の仕事を始めています。
母親が、かなり流暢に英語を話せることは間違いないでしょう。
英語を得意としている母親は、ずっと英語関係の職業に就き続けるのかと思いきや、介護系に転職。
木澤尚文選手は母親について、
「最近、国家資格の介護福祉士の試験に合格したと言っていた。新しいことに年齢にかかわわらず、トライする姿は若々しい」
引用:スポニチANNEX
と語っています。
母親から受け継いだチャレンジ精神があったからこそ、木澤尚文選手はプロ2年目のシーズン前に新球種を習得し、活躍することができたのかもしれません。
また、母親はポジティブ精神も持ち合わせており、苦しい場面にマウンドに上がった木澤尚文選手に対し、
「ピンチでも冷静に投げているように見えたよ」
引用:サンスポ
と試合後に前向きになれるような言葉をかけていました。
母親はマウンド上で活躍する木澤尚文選手から元気をもらっているそうで、
「逆に私が頑張っている息子の姿に刺激をもらっています」
引用:スポニチANNEX
とコメントしたことがあります。
木澤尚文選手も、母親からのコメントは嬉しかったのではないでしょうか。
船橋市に住んでいた木澤尚文選手は、慶応高校に進学後は入寮しています。
入寮した木澤尚文選手に聡子さんは、毎年夏になると船橋市の梨を送っていたそうです。
木澤尚文選手に対し、プロ入り後も梨を送り続けると船橋市役所表敬訪問の際に宣言していた聡子さん。
日本の暑くて辛い夏も、母親から送られる梨があれば元気に乗り切れそうですね。
木澤尚文選手にきょうだいはいる?
木澤尚文選手に兄弟がいるという情報はなく、プロ1年目に実家帰省した際にも両親と母方の祖父母にしか会っていないことから、一人っ子であると考えられます。
木澤尚文選手に兄弟はいないようですが、兄貴分としている選手がいます。
現在、日本ハムに所属している郡司裕也選手です。
郡司裕也選手は、木澤尚文選手と同じ慶応義塾大学野球部に入部しており、木澤尚文選手の1年先輩にあたります。
木澤尚文選手がヤクルトからドラフト指名を受けた際、
「郡司さんと対戦したい。一回も抑えたためしがないので。紅白戦できれいにライト前に打たれた記憶しかない」
引用:中日スポーツ
とコメントしていました。
木澤尚文選手がプロ入り1年目の頃、郡司裕也選手は同じくセ・リーグ球団である中日に所属していた為、勝負したかったのだと思われます。
木澤尚文選手は郡司裕也選手について、
「頻繁に連絡くださって、親身になって相談に乗ってくれます」
引用:中日スポーツ
と頼りになる兄貴的存在であることがうかがえます。
郡司裕也選手は大学時代捕手として活躍していたため、木澤尚文選手とバッテリーを組んだこともあります。
勝負を熱望して木澤尚文選手でしたが、2022年に1度対戦した際には郡司裕也選手にヒットを打たれてしまいました。
そのまま2人は勝負機会に恵まれず、郡司裕也選手は2023年に日本ハムにトレードされました。
交流戦でしか対戦機会がなくなってしまいましたが、2024年6月7日の対日ハム戦で対戦のチャンスに恵まれ、郡司裕也選手を三振に打ち取りました。
郡司裕也選手は三振に打ち取られた後、木澤尚文選手について、
「それまで腕が縮こまっていたのに、僕のときだけ急に開き直って制球が良くなった」
引用:サンスポ
と冗談っぽく語っていました。
対戦機会が少なくなってしまいましたが、また木澤尚文選手は兄貴分との対戦を楽しみにしているはずです。
木澤尚文選手の両親は息子の活躍を見守っている!一人っ子の木澤尚文選手は郡司裕也選手が兄貴的存在!
では、今回のまとめです。
- 木澤尚文選手の両親はあまり野球について口出しするタイプではないため、のびのびした環境で野球ができたのではないかと考えられます。
- 木澤尚文選手の父親英博さんは、プロ1年目を終えて帰省した息子に対しお金の使い方や税金について教えたそうです。
- 将来収入が上がった時のことについて、心配になったのかもしれません。
- 木澤尚文の母親聡子さんは、船橋市役所の表敬訪問に同行しており、顔写真が公開されています。
- 聡子さんは英語が話せるというスキルを活かし、英博さんとの結婚前は航空会社で機内通訳を務めており、結婚を期に専業主婦になりました。
- 木澤尚文さんが高校進学後、英語を教える外国人教師の補助をする職についていました。
- 近年は介護職にも挑戦し、2022年には介護福祉士の資格を取得しています。
- 木澤尚文選手はプロ入り後に新しい球種を習得しており、聡子さんのチャレンジ精神はしっかりと息子に受け継がれているようです。
- 木澤尚文選手には兄弟がいるという情報がないため、一人っ子だと思われます。
- 慶応義塾大学野球部の先輩で、大学時代にバッテリーを組んだこともある郡司裕也選手を兄貴分として慕っています。
残念ながら兄貴分の郡司裕也選手が日本ハムに移籍してしまったため、勝負機会は交流戦の時期のみになってしまいましたが、元バッテリーの選手同士の勝負はまた見たいところですね。
最後までご覧いただきありがとうございました。