2023年の「FIBAバスケットボールワールドカップ」の日本代表にも選出されたニック・ファジーカス選手。
巧みなインサイドプレーと精度の高いシュートが定評で、チームを勝利へと導く力のある選手です。
Bリーグの最強ビッグマンとしての呼び声が高いニック・ファジーカス選手は、アメリカ出身で、元NBA選手でもあったのですが、なぜ日本代表に選ばれたのでしょうか。
そこで今回は、ニック・ファジーカス選手が日本代表に選ばれた理由についてご紹介します。
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ニック・ファジーカス選手の国籍は日本!プロフィールについて
名前:Nick Fazekas
生年月日:1985年6月17日
出身地:コロラド州
出身大学:ネバダ大学リノ校
国籍:日本
身長:2m10cm
体重:111kg
足のサイズ:33センチ
所属チーム:川崎ブレイブサンダーズ
ポジション:C
2018年4月に日本国籍を取得したニック・ファジーカス選手。
しかし、日本国籍を取得しても「日本で生まれた日本人」とは、扱いが異なるそうです。
国際バスケットボール連盟(FIBA)は満16歳以降に国籍を替えた選手(いわゆる帰化選手)の代表チームへの登録を1名以内と定めている。Bリーグでも外国籍選手、日本人選手のいずれとも違う扱いを受ける。ただ4クォーターでのべ6名以内の外国出身選手のオン・ザ・コート(同時起用)数が、帰化選手が加わるとのべ8名になる。これは所属チームにとって決して小さくないメリットだ。
※ヤフーニュース引用
扱いが純日本人と異なったとしても、Bリーグ最強選手ともいわれてきたニック・ファジーカス選手が日本国籍を取得したことは、チームの戦力がアップする事は間違いないでしょう!
日本国籍の取得(帰化)の難易度
実は、日本国籍の取得(帰化)はかなり難易度の高い手続きだそうです。
少し前に、アメリカのメディアが国籍取得の難しい国トップ5の1つに日本を挙げていたほどです。(トップ5はオーストリア、ドイツ、日本、スイス、アメリカ)
日本国籍の取得(帰化)が 難しいといわれている理由は、用意する書類が多く(在留資格や生計状況によっては100枚以上の書類を提出することも)その多い書類の翻訳を自分でしないといけない事や、自筆で気化の理由を書く必要もあるため、ある程度の日本語力も必要である事など、その他条件があるからです。
ニック・ファジーカス選手は、1年足らずで手続きが完了しているのですが、これは異例の速さだったようです。
報道では、クラブのオーナーである東芝グループが、国籍変更のノウハウを持っていたのだろうと推測していましたよ。
日本が大好きだというニック・ファジーカス選手。
クラブにとっても、ニック・ファジーカス選手にとってもお互いに心強い存在なのでしょうね。
ニック・ファジーカス選手はなぜ日本代表に選ばれたのか
ニック・ファジーカス選手がなぜ日本代表に選ばれたのかについては、まず1つは冒頭でお伝えしたとおり、2018年に日本国籍を取得しているからです。
そして、ニック・ファジーカス選手は、Bリーグで最も脅威な選手と言っても過言ではない程の最強選手だからです。
2012年に来日した際も、東芝(現川崎)ブレイブサンダースに加入すると、前年に最下位だったからチームを、準優勝に引き上げる活躍を見せています。
また、Bリーグで得点王とMVPも獲得し、2021-22シーズンのB1では、54.1%のフィールドゴール成功率を記録するなど、最もフィールドゴールを成功させた選手の2位にも選ばるほど、コートを支配する存在なのです。
実績の例も以下にまとめますね。
リーグベスト5・得点王受賞(NBL・2013年)
NBLオールスターに選ばれる(2013年)
レギュラーシーズン最優秀選手賞受賞(Bリーグ・2016-17)
レギュラーシーズンベスト5に選出(Bリーグ・2016-17)
得点王(Bリーグ・2016-17)
日本FIBAバスケットボールワールドカップ2023 アジア地区予選代表候補に選出。ワールドカップ予選突破を果たす(2018年)
FIBAバスケットボールワールドカップ2023 アジア地区予選選手に選出。
レギュラーシーズンベストファイブ(2016-17シーズン)レギュラーシーズンベストファイブ(2017-18シーズン)レギュラーシーズンベストファイブ(2020-21シーズン)レギュラーシーズンベストファイブ(2021-22シーズン)
さっきテレビでニック映ったよ❤️
絵描いてたら母に呼ばれて即見に行った✨
動画ブレブレなのは申し訳ない笑笑#川崎ブレイブサンダース #ニックファジーカス pic.twitter.com/pnT1Wo810V— こと (@1228_cy) October 16, 2020
ヒョイッと軽くシュートを決めてしまうニック・ファジーカス選手は、日本のチームに欠かせない存在ですね。
なぜ日本代表?国籍を日本に帰化した理由
ニック・ファジーカス選手が日本代表選手に選ばれた理由については、ご理解いただけましたでしょうか。
では、そもそもなぜアメリカで生まれ、元NBA選手だったニック・ファジーカス選手が、日本国籍(日本に帰化)に変えたのでしょうか。
ニック・ファジーカス選手は、2018年に日本に帰化した際、川崎ブレイブサンダースの公式サイトから『ニック・ファジーカス選手 帰化のお知らせ』と題してこのように発表をしています。
ファジーカス選手からのコメント
5年間、川崎でプレーして、日本人のあたたかい心やおだやかな性格が好きになり、川崎で長くプレーしたいという気持ちが強くなったため、帰化をしました。これからも、チームを勝利に導けるように、チームのために、全力でプレーします。
応援、よろしくお願いします。
「帰化しませんか?という話があったわけではありません。あくまで自分が帰化したいと考え、クラブや家族に相談したうえで決断したことです。理由はシンプルに日本が大好きだから。幸い両親も妻も私が日本に帰化したいという強い気持ちを理解してくれて、最初からサポートしてくれました」
※ベースボールスピリット引用
日本でプレーをする事が好きで、できるだけ長く日本でプレーしたい一心で気化したんだね。なんてほっこりする理由なのかしら♪
ニック・ファジーカス選手は日本に来日したその日から、クラブやチームの仲間、そしてファンの皆さんの日本の温かさに触れ、日本が好きになったと言います。
いまでは、日本は生まれ故郷の次の第二のふるさとのような場所です。
また日本国籍にした理由は、やなり一緒に日本に来た奥さんが、ニックと同じように日本をとても気に入ってくれたことが大きいそうです。
日本に来るまでに紆余曲折あっただけに、奥さまもほっとしたのではないでしょうか。
そうなんです。
ニック・ファジーカス選手が2012年に来日し、東芝ブレイブサンダースに入団するまでには、多くの苦労の連続だったようです。
ここからは、日本との接点をもった経緯を簡潔にまとめていきます。
日本との出会いまでは長い道のりだった
日本での活躍は目覚ましいものがありますが、日本へ来たキッカケは、こんな理由からでした。
ニック・ファジーカス選手は大学を卒業後、バスケ界の最高峰とも言われている米プロNBAのドラフトで指名されているのですが、わずか1年で解雇されているのです。
ニック・ファジーカス選手にとってNBAは、学生時代からの夢でした。
解雇された理由は、ドラフトからわずかわずか8カ月後の2008年2月、チームはスター選手のジェイソン・キッドを獲得したことから、選手枠を空けるため、解雇されてしまったのだそうです。
NBAは強烈なビジネスの世界だと言われています。
その後も何チームか交渉するもののまとまらず、わずか1年足らずでNBAの世界から去ることになってしまいました。
その後は様々な国でチームを経験していますが、馴染めない環境や給与未払い、大けがなど、ニックファジーカス選手にとっては暗黒の時代を経験しています。
以下はこれまで所属していたチームの一覧です。
- ダラス・マーベリックスに所属(2007-2008)
- ロサンゼルス・クリッパーズに所属(2008-2009)
- ベースオーステンデ(ベルギー・2008-2009)
- ASVEL(フランス・2009)
- JDAディジョン(フランス・2009-2010)
- リノ・ビッグホーンズ(NBADリーグ・2010-2011)
- ペトローン・ブレーズ・ブースターズ(フィリピン・2012)
- サン・ミゲル・ビアーメン(アセアンリーグ・2012)
- 東芝ブレイブサンダース(2012-2015)
- 川崎ブレイブサンダース(2016-)
まるせ世界旅行のように広範囲でプレイをしているんですね。
しかし世界旅行のような楽しい毎日ではなかったようです・・・
例えば、希望していったわけではなく、代理人が懇意にしているというだけの理由で決まったチームで馴染めなかったり、フランスでは運営がめちゃくちゃで、給料も期日までに支払われないこともあり、さらには左足首に痛みが走るようになったりと、辛い事の連続だったようです。
左足首については、「足首に骨のかけらがたくさんある」と診断され、後のバスケット人生を左右するような大けがにつながったそうです・・・
そしてこの暗黒時代に、光が差し始めたのが2012年のことでした。
2012年、26歳の時に声がかかったフィリピンのチームで成績を残し、徐々に調子も良くなっていったそうです。
フィリピンのバスケは人気競技で世界ランキングでは日本より上なんですね。
当時、フィリピンから中国に渡るアメリカの選手が多かった事や、中国はアジアでトップクラスの実力を持つことからも、ニック・ファジーカス選手も、その後は中国でのプレーを希望していたそう。
なぜ外国人選手が中国でプレーをしたがるのかというと、ギャラが高い上、シーズンが短いことから人気が高かったようです。
しかし、エージェントからニック・ファジーカス選手は中国では実力不足だと言われてしまったのです。
相当ショックだったことでしょう。
ちょうどそのタイミングで、日本(東芝、現在の川崎ブレイブサンダースが、得点力のある選手を探していて、ニック・ファジーカス選手に声がかかったのです。
当初は日本のことをしらなかったニック・ファジーカス選手ですが、日本と親交のあるプレイヤーたちからの勧めもあり、日本でプレーをする事に決めたようです。
これが、日本との縁の始まりだったのです。
日本から声がかからなかったら、全く視野に入っていなかった国だったと思うと、タイミングって大切ですね。
そしてこれまでの選手人生の中で、最終的に日本に国籍を移してまで、日本を好きになってくれて日本人の私たちとしては、この上ない歓びです。
日本は間違いなく住みやすい街ですし、ニック・ファジーカス選手の事を大切に思っていますから、第一希望ではなかったかもしれませんが、ニック・ファジーカス選手にとっても、結果、日本に来てよかったに違いないでしょう。
ニック・ファジーカス選手はなぜ日本代表?国籍を日本に帰化した理由も まとめ
これまで、世界各国のチームを渡り歩いてきたニック・ファジーカス選手が、最後に選んだのは日本でした。
人生とは苦労の連続ですが、自分を信じて目の前の事に取り組みながら、夢や希望を抱き続けたら、きっと道は開けるんだということをニックの人生から思いました。
ニック・ファジーカス選手の今の気持ちについて、日本に帰化したという事は、自分が最初に憧れ抱いていた場所(NBA)とはちょっと違うけれど、日本と言うこの場所で戦って行こうと思えたんでしょうね。
ニック・ファジーカス選手のこれまでのバスケ人生を調べていて私がふと思ったことが、まるで福山雅治さんの歌の『明日の☆SHOW』がみたいな人生だなって思いました。
ということで、ニック・ファジーカス選手にこの曲を送りたいです♪
聞いた事がない人は、凄くいい歌詞なのでぜひ聞いてみてほしいです。頑張ろうって思えるから♪
この記事があなたの、ちょっと知りたいのお役に立てたらうれしいです。
と言う事で、最後までお読みいただきありがとうございました。