広島東洋カープに所属している二俣翔一選手。
育成契約ながら、一軍への出場機会も増えてきています。
遠投120m、50m走6.2秒と、強肩・俊足が特徴の選手です。
チームでは「マティ」という愛称で親しまれています。
なかでも、同じく広島東洋カープに所属している菊池涼介選手からは「三又又三」と呼ばれるなどかわいがられているようです。
そんな二俣翔一選手ですが、父親の影響を受けながら野球人生を歩んできたそうです。
二俣翔一選手が生まれ育った家庭はどのようなもので、父親はどのような人物なのでしょうか。
<この記事でわかること>
- 二俣翔一選手の家族構成
- 二俣翔一選手の経歴
- 二俣翔一選手と父とのエピソード
- 二俣翔一選手のプロフィール
ぜひ最後までご覧ください!
二俣翔一選手の実家の家族構成は?兄弟はいる?
- 父親
- 母親、兄弟の存在は不明
二俣翔一選手はインタビューなどで度々父親とのエピソードを語っています。
父親以外の家族についてはメディア露出が無く、今のところ存在は不明ですが、母親はきっと二俣翔一選手が幼いころから栄養面などで全面的なサポートをされてきたことでしょう。
今後のインタビューなどで語られることに期待しましょう。
父親についても名前などの詳細な情報は明かされていませんでしたが、この後、父親とのエピソードに触れていきますね。
二俣翔一選手の出身地が静岡県御前崎市ということで、現在も実家が静岡県にある可能性が高そうですね。
二俣翔一選手と父親との二人三脚エピソード
二俣翔一選手の父親は、こと野球に関して二俣翔一選手を熱心に指導していたそうです。
ここからは二俣翔一選手がプロ野球選手になるまでの軌跡を、父親とのエピソードを軸に紹介します。
父親とのエピソードを紹介する前に、二俣翔一選手の簡単な経歴を以下に記しました。
二俣翔一選手の経歴
御前崎市立第一小学校(黒潮野球スポーツ少年団)
御前崎市立浜岡中学校(小笠浜岡リトルシニア)
磐田東高等学校
広島東洋カープ
父親の影響で野球を始めたという二俣翔一選手。
小学校から野球を始めて以来、二俣翔一選手の父親はそばで厳しさと優しさの両面から二俣翔一選手を支えてきたと言います。
そして、二俣翔一選手は高卒で現在所属している広島東洋カープと育成契約を結びます。
現在は内野手や外野手として試合に出場している二俣翔一選手ですが、高校時代までは捕手として活躍していたそうです。
二俣翔一選手が捕手を志望したのは父親の影響があったそうです。
二俣翔一選手の父親は野球の経験者で、高校で怪我をして野球を辞めるまではずっと捕手をやっていたそうです。
二俣翔一選手にとって父親は憧れの存在なのかもしれませんね。
父親の影響から、高校までの長い期間を基本的に捕手として過ごしてきた二俣翔一選手。
プロ野球でも捕手をやりたい野望があったりするのでしょうか。
専門的なポジションなので簡単ではないですが、高校から二俣翔一選手を見ているという方は、捕手として活躍している二俣翔一選手の姿を見てみたいという方もいるかもしれませんね。
二俣翔一選手の父親は、二俣翔一選手が中学生のころまでは二俣翔一選手の試合や練習をよく見に来ていたそうです。
そんな父親からアドバイスを受けることもあったそうで、試合や練習に来るたびに「捕ってから遅い」と言われてきたそうです。
試合にとどまらず、練習も見るなど二俣翔一選手の父親の熱心さが伝わってきます。
父親からのアドバイスについて二俣翔一選手は、捕ってから投げるまでのスピード、捕球後の足の運び方を意識づけるきっかけとなったと語っています。
また、二俣翔一選手は父親から捕手の視点で人間観察をする大切さを小学校から教わってきたそうで、高校に入学して以降も、味方投手の癖や相手打者の癖など、選手の特徴はメモも活用しながら頭に入れてきたそうです。
二俣翔一選手は当時を振り返って、選手を観察する力は成長したと語っています。
父親の指導が、野球選手としての二俣翔一選手の根幹の部分を形成しているのですね。
二俣翔一選手の幼少期、二俣家には変わったルールがあったそうです。
そのルールとは、試合で失点したらその日は家に帰ってから玄関で正座をするというものです。
二俣翔一選手の父親にとって、チームの勝敗の責任は捕手にあるというような考えがあったのかもしれないですね。
二俣翔一選手の父親の捕手観というようなものが垣間見えたような気がします。
このルールによって、二俣翔一選手に捕手としての責任感や勝利にこだわる気持などが見についたのではないでしょうか。
二俣翔一選手の父親は当時を振り返って「厳しく教えてましたね。でも一生懸命に頑張ってましたよ。野球が大好きで高校時代なんかは仲間と過ごした時間が宝物だったと思います。私の前では全然折れて泣いたりしなかった息子が、高校三年生の最後の大会での試合おわりで負けて泣いてしまいました。翔一が野球で泣く姿を見たのはそれが初めてでした」と語っています。
二俣翔一選手は父親に野球を辞めたいと愚痴をこぼしたことがあったそうです。
父親は二俣翔一選手に声をかけ、思いとどまったそうです。
ずっと見守り続けてきた父親からすれば、二俣翔一選手がプロ野球選手となったときの喜びは人一倍だったのではないでしょうか。
二俣翔一選手の父親は、二俣翔一選手がプロ野球選手になった後も、変わらず見守り続けているそうです。
二俣翔一選手が二軍に広告になってしまった際には、父親から「ファームに落ちるの早かったな!まぁ特例だから仕方ないか」と連絡がきたそうです。
頻繁に連絡を取っているのでしょうか。
今でも息子を心配している様子が伝わってきます。
二俣翔一選手は父親に財布をプレゼントしたことがあるそうです。
その財布は二俣翔一選手が広島東洋カープに入団してから初めてのお給料で買ったものだそうです。
父親は宝物として大事に扱っているそうで、できるだけ汚さないようにしているそうです。
自分の子どもが初任給でプレゼントをくれたら嬉しいですよね。
二俣翔一選手と父親の関係性の良さが垣間見える、とても素敵なエピソードです。
まとめ: 二俣翔一選手の家族構成が気になる!兄弟は?父親の二人三脚エピソードに感動!
今回の記事のまとめです。
- 二俣翔一選手の家族でメディア露出があるのは父親のみ。母親、兄弟の存在はまだ明かされていない。
- 二俣翔一選手とは父親の影響で野球を始める。
- 二俣翔一選手は父親の影響で捕手となり、高校まで捕手として活躍
今回は二俣翔一選手の家族についてご紹介しました。
二俣翔一選手は父親から大きな影響を受けてきたことが分かりました。
二俣翔一選手にとって父親は親であり恩師でもあるのですね。
現在はまだ父親以外の家族の情報は明らかにされていませんが、いつか二俣翔一選手の活躍によってインタビューの機会が増え、存在が明かされる時が来るかもしれません。
最後までご覧いただきありがとうございました。
プロフィール
出身地 | 静岡県御前崎市 |
生年月日 | 2002年10月21日 |
身長・体重 | 180cm・78kg |
投球・打席 | 右投・右打 |
ポジション | 内野手、外野手 |