上茶谷大河選手は、現在横浜DeNAベイスターズに所属し、投手として活躍しているプロ野球選手です。
現在は、幼稚園からの同級生であった妻と暮らし、食事面や私生活でのサポートをしてくれているようです。
では、上茶谷大河選手の幼少期を支えた両親は、一体どんな方たちだったのでしょうか?
今回は、上茶谷大河選手の実家家族について、ご紹介していきたいと思います!
<この記事でわかること>
- 上茶谷大河選手の生い立ち・生まれ育った場所
- 両親葉どんな父親・母親?
- 兄弟について
- 上茶谷大我選手の性格は?
それでは一緒に見ていきましょう♪
上茶谷大河選手の生まれ育た場所は?
まず初めに、上茶谷大河選手が幼少期を過ごした、出身地を少しご紹介します。
上茶谷大河選手が生まれ育った場所は、京都府京都市北区です。
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北区とは、京都市を構成する11区の中の一つです。
区内には、京都府の観光名所としてとても有名な、金閣寺があります。
他にも観光名所として、大徳寺・上賀茂神社などもありとても賑わっている地域です。
更に、いくつものプロ野球選手を輩出した、立命大学もある場所です。
上茶谷大河選手は、立命大学には進学せず東京の、東洋大学法学部に進学したようですが、少しは影響があったのでしょうか^^
上茶谷大河選手の母親はどんな人?
上茶谷大河選手は2023年のシーズン前に入籍し、発表当初はファンからの祝福の嵐となっていました。
ファンから愛されるキャラクターや、ファン思いなところが多い為とても愛されていることが分かります。
そんな上茶谷大河選手の幼少期を支えた実家家族は、一体どんな方たちだったのでしょうか?
まずは、上茶谷大河選手の母親からご紹介します。
上茶谷大河選手の母親はスポーツ経験がありませんが、お父様(上茶谷大河選手の祖父)が社会人野球で、投手として活躍していた方だったそうです。
中学時代の上茶谷大河選手は、あまり上達していなく試合に出ることも、少なかったようです。
大学に進んだ時のことを上茶谷大河選手の母が、
「親元離れてちょっとずつ、しっかりしてきたなというのが一番に思うところです。人間としても本当に大きくなって、東洋に行ってもらってよかったなと思います」
と、語っていました。
確かに一人暮らしや寮生活をすると、今まで実家で当たり前にされていたことが、自分でしなくてはいけないなど、成長する場面が多くなりますよね!
他にも、先輩後輩の上下関係などもあるため、人としても成長すると思います。
2018年のドラフト会議でプロ入りを果たした時に、上茶谷大河選手の母親が
「プロでもみんなを笑わせて、みんなを楽しませる選手になって欲しいです」
と、語っていました。
「プロでも」ということは、幼いころからとても明るい性格で、周りの人を笑わせてきたのでしょうか^^
現在は上記でも紹介した通り、ファンを楽しませてくれるほどの高いギャグ線の持ち主です。笑
そんな様子が、横浜DeNAベイスターズの公式YouTubeやTikTokで見れるので、気になる方はぜひチェックしてみてください♪
プロ入りを果たした時に記者から、「誰に一番に伝えたいですか?」という質問に対し上茶谷大河選手は、
「両親に。順風満帆ではない野球人生の中で、中学生の頃とかスタメンじゃなかったんですけど、その時期に支えてくれたのも両親だったので、両親に伝えたいです」
と、語っていました。
このことから上茶谷大我選手の母は、野球がうまくいかないときに1播近くで支えてくれた存在、だという事が分かりましたね!
上茶谷大河選手の父はどんな人?
では次に、上茶谷大河選手の父親はどんな方だったのでしょうか?
上茶谷大河選手の父親は、現在京都府にある総合病院で調理師として、勤務しているようです。
母親と同じく、スポーツ経験はほとんどないようです。
ですが上茶谷大河選手が、小学校1年生の時に野球を始めたのをきっかけに、父親は野球の猛勉強を始めたようです。
当時現役だったプロ野球選手の動画などを見て、フォームなどを勉強していました。
更にけがをしにくいフォームの研究をし、幼少期の上茶谷大我選手のフォームと見比べて、指導していたようです。
自分が経験者でなくても、真剣に野球に取り込む息子のために、ここまで勉強できる上茶谷大河選手の父は、本当にやさしい方ですね^^
上茶谷大河選手の父親は、実家のガレージに野球専用の練習場所を作ってくれたようです。
「雨風はしのげるガレージで、カーテンレールを取り付けネットを吊るしたのが、野球を始めてすぐの事でした。それから中学卒業までの8年間、毎日毎日ネットスロート素振り・ティー打撃をやりました。」
と、上茶谷大河選手の父親が語っていました。
練習は、家族で夕食を食べた後の20時ごろから始めていたようで、ランニングも含めて計2時間半もしていたそうです。
更に、「休んだ記憶はないくらいです。」と話していたので、これを毎日小学校1年生から続けていたとなると、本当に努力家なことが分かりますね!
上茶谷大河選手の父親も、この練習に付き合っていたそうです。
ですが、当時のことを振り返った上茶谷大河選手によると、
「熱量は父の方がすごかったです。笑」
だそうで、野球をプレーする本人よりも父の方が熱く、経験がなくとも勉強し息子に教えていたようですね!
上茶谷大我選手は、現在も練習を怠ることなく努力し励んでいるので、その努力家な性格は父から受け継いだ、という事が分かりました。
上茶谷大河選手に兄弟はいるの?
素敵なご両親に育てられた上茶谷大河選手ですが、兄弟はいるのでしょうか?
結論から言うと、上茶谷大河選手の兄弟に関する情報は無く、わかりませんでした…。
幼いころからの練習も、父と二人でしていたと話していたので、一人っ子の可能性が高いと私は思いました。
一人っ子だからこそ、父がつきっきりで練習に付き合ってあげられたのかもしれませんね^^
上茶谷大河選手の性格
上茶谷大我選手はかなりの努力家のようで、学生時代の指導者の方たちが記者の前で語っていました。
当時東洋大学で監督をしていた高橋昭雄さんによると、
「東洋大OBの京都学園の堂監督から『面白い投手がいる』と聞き、最初はスポーツ推薦枠で取ろうとした。でも、上茶谷は勉強もできた。『自力で合格します』と指定校推薦で入学。」
と、上茶谷大我選手はスポーツだけでなく頭もよかったようですね!
髙橋昭雄さんは「推薦枠を1つ使わずに済んだので、助かりました。」と、笑いながら話していました。
確かに枠を一つ使わなければ、優秀な生徒を一人増やせることになりますもんね。笑
「性格はしっかり者。自分自身を客観的に見つめることができた。右手中指の血行障害で手術もしたが、それでも諦めず、自分の力を信じて黙々と練習に励んだ。」
とも語っていて、ケガをして野球をできなくなってしまっても諦めずに、自分の力を信じて復活できたようですね。
けがをしてしまうと何かしらの違和感や、これまで出来ていたことができなかったりすることがあります。
ですが上茶谷大河選手は負けずと練習に励み、復活よりも進化して戻ってきたようです!
本当に努力家で、素晴らしいですよね!
まとめ:上茶谷大河選手の両親や兄弟も野球経験者?家族構成やエピソードもまとめ
今回は、上茶谷大我選手の実家・家族について、ご紹介させて頂きました。
- 上茶谷大河選手の生まれ育った場所
- 母は低迷期を支えてくれた存在
- 父は勉強家で熱心に向き合ってくれる人
- 兄弟はいない
- 上茶谷大河選手はとても努力家
今回調べていて、上茶谷大我選手の父が息子思いで、すごく勉強家なことに感動しました。
自分が野球経験がなくとも、息子のために勉強し研究している姿は、上茶谷大我選手の性格の源ともいえると思います。
私はこれからも、上茶谷大我選手や横浜DeNAベイスターズを応援し続けたいと思います!