
バスケットボールの試合を陰で支える審判員。
彼らの存在がなければ試合は成立しませんが、選手ほどスポットライトを浴びることは少ないのが現実です。
そんな審判の世界で、日本初のプロフェッショナルレフェリーとなり、Bリーグで8年連続最優秀審判賞を受賞しているのが加藤誉樹さん。
さらに、パリ五輪の審判として世界の舞台にも立ち、日本バスケ界を支える存在となっています。
どうやら加藤誉樹さんの弟さんや妹さんも凄いのだとか。
そこで今回は、そんな加藤誉樹さんの経歴や家族構成、驚きのキャリアについて詳しく解説します!
日本初、Bリーグ初となるプロ審判員としても知られる加藤誉樹さんはどんな経歴をたどってこられたのでしょうか?
また、ご両親、妹さんもバスケ選手というアスリート一家ということで、ご家族についてもまとめてみたいと思います!
この記事でわかること
- 加藤誉樹さんの家族構成は?
- 加藤誉樹さんの父親はバスケット元全日本代表選手!
- 加藤誉樹さんの母親も元バスケット選手!
- 加藤誉樹さんの弟は名門校出身のバスケット選手!
- 加藤誉樹さんの妹は現役バスケット選手!
- 加藤誉樹さんは元銀行員?経歴は?
では、順番にチェックしてみましょう!
加藤誉樹さんの家族構成は?
加藤誉樹さんの家族は、全員がバスケットボールに関わるアスリート一家。
家族構成
名前 | 関係 | 経歴・所属 |
---|---|---|
加藤千豊さん | 父親 | 元住友金属バスケ部・日本代表 |
加藤(旧姓・野倉)陽子さん | 母親 | 元シャンソン化粧品バスケ部・日本代表 |
加藤誉樹さん | 本人 | Bリーグプロ審判・パリ五輪レフェリー |
加藤寛樹さん | 弟 | 元BLUE BEES.EXE・法政大学出身 |
加藤優希さん | 妹 | 東京羽田ヴィッキーズ所属選手 |
幼少期からバスケ漬けの毎日
ご両親がバスケ選手だったということで、幼い頃からバスケを身近に感じていたという加藤誉樹さん。
加藤誉樹さんが小学校4年の頃にミニバスを始め、その頃には父親である加藤千豊さんは高校でバスケを指導していたため、週末になると高校生に混ざってバスケをしていたそうです。
まさに、バスケが生活の一部だったわけですね。
父・加藤千豊さん|元日本代表の名プレイヤー
加藤誉樹さんの父親・加藤千豊(かずとよ)さんは、大学時代は筑波大学でバスケ選手として活躍、卒業後は1983年に住友金属バスケット部へ入社しました。
身長200㎝という恵まれた体格で、全日本代表にも選ばれています。1983年~1985年頃の日本代表に選ばれており、当時のバスケット男子日本代表には、
- 内海知秀さん(元ジャパンエナジー(現ENEOSサンフラワーズ)ヘッドコーチ)
- 池内泰明さん(拓殖大学ヘッドコーチ)
- 陸川 章さん(東海大学ヘッドコーチ)
- 小野秀二さん(バンビシャス奈良ヘッドコーチ)
- 加藤三彦さん(西武文理大学監督/元能代工業高校監督)
上記のような選手が選ばれていました。バスケ界に大きく貢献した名だたる選手がそろっていますよね。
母・加藤陽子さん|女子日本代表にも選ばれた実力者
加藤誉樹さんの母親、旧姓・野倉陽子さんは、シャンソン化粧品のバスケ選手でした。
市邨学園に通っていた高校時代、1982年のウィンターカップではベスト5にも選ばれています。
渡邊選手ってお母様似なんだなーと、改めて◎ https://t.co/j22Op76pqD
— 青木美帆|ブルーノオト✍️🏀 (@awokie) September 23, 2021
加藤誉樹さんの母親・野倉陽子さんも父親の加藤千豊さんと同様、日本代表に選出されています。こちらは1986年の女子日本代表の写真ですが、同時期に渡邊雄太選手(千葉ジェッツ)の母親・久保田久美さんも選出されています。
弟・加藤寛樹さん|名門・洛南高校出身のバスケ選手
加藤誉樹さんの弟、加藤寛樹さんは洛南高校、法政大学のバスケ部出身で名古屋の3×3のプロチームBLUE BEES.EXEに所属していました。
また、男子関東SB2(関東地域)リーグのRBC東京にも所属しており、2023-24シーズンをもって退団したことがチームのInstagramで発表されていました。
この投稿をInstagramで見る
洛南高校時代は、比江島慎選手(宇都宮ブレックス)、谷口大智選手(島根スサノオマジック)と同じ学年で、ウィンターカップ三連覇を経験しています。
加藤 寛樹(かとう ひろき)
生年月日:1990年6月30日
身長:192㎝
【出身校/在籍チーム】
高校:洛南高等学校
大学:法政大学
新生紙パルプ商事
TOKYO WINGS.EXE
BLUE BEES.EXE
ZETHREE.EXE
RBC東京
妹・加藤優希さん|Wリーグで活躍する現役選手
加藤誉樹さんの妹・加藤優希選手は、東京羽田ヴィッキーズ所属のバスケ選手です。
出典:WJBL公式サイト
加藤 優希(かとう ゆうき)
生年月日:1997年2月3日
出身地:愛知県安城市
身長:179㎝
【出身校/在籍チーム】
中学:名古屋市立若水中学校
高校:桜花学園高等学校
2015年~2019年:シャンソン化粧品
2019年~2023年:トヨタ紡織サンシャインラビッツ
2024年~:東京羽田ヴィッキーズ
2024-25シーズンからプレミアとフューチャーの2ディビジョン制となったWリーグ。東京羽田ヴィッキーズは、Wフューチャー初代チャンピオンとなり、2025-26シーズンからはプレミア所属となります。萩原美樹子ヘッドコーチからも「安心して任せられる」と信頼されている加藤優希選手。優勝に大きく貢献する活躍を見せました。
若水中学校時代は全中優勝、バスケの強豪 桜花学園高等学校時代は三冠を飾るなど、各世代の代表としても活躍しています。

加藤誉樹さんの驚きの経歴|元銀行員からプロ審判へ
2017年に日本初となるプロフェッショナルレフェリーとなった加藤誉樹さん。
主にBリーグ、B3リーグ、Wリーグ、日本代表関連の試合で笛を吹くことが多いですが、バスケットボール・チャンピオンズリーグ・アジア、パリ五輪予選、東京五輪やパリ五輪でもレフェリーとしてコートに立ちました。
特にパリ五輪は、30名しか選ばれない狭き門。日本を代表するレフェリーとして多くのバスケ関係者が注目していました。
がんばれ兄ちゃん🤝🔥 https://t.co/0YZ79yfqhX
— 加藤優希 (@02yuuki03) July 19, 2024
パリ五輪のレフェリーとして選ばれた時や最優秀審判賞に選ばれた時も、妹の加藤優希選手はSNSで兄の活躍について投稿していました。
加藤 誉樹(かとう たかき)
生年月日:1988年6月30日
出身地:愛知県安城市
【出身校】
高校:福岡大学附属大濠高等学校
大学:慶応義塾大学環境情報学部
大学院:慶応義塾大学大学院健康マネジメント研究科
高校は地元の愛知県を離れ、福岡大学附属大濠高等学校へ進学。多くのBリーグ選手を輩出している名門校ですが、 中学時代に全国経験のなかった加藤誉樹さんは最初の1ヶ月は毎日泣いていたといい、半年後には胃潰瘍にまでなってしまったそうです。
強豪校で周りの選手との経験の差などを目の当たりにしてしまうことは、親元を離れた高校生にとっては辛いものだったのでしょうね。最終学年ではマネージャーとしてチームに関わるようになっていたそうです。
大学は慶応義塾大学へ進学。「高校で活躍できなかった分、大学では活躍したい」という思いを胸に大学でもバスケは続けるものの、ケガなどの影響で思うように活躍が出来ず、大学2年生で選手活動に見切りをつけ、全日本大学バスケットボール連盟(学連)で運営側として活動するようになります。
チームから学連へ役員を出すことになり、選ばれた加藤誉樹さん。決断するまでは、選手としてでなければ、体育会のバスケ部にいる意味がないのではないか?とも感じていたものの、バスケと長く携わっていくことを考えた時に、自分にとってプラスになるのではないかと考えを変えたそうです。
逆境ともとれる状況の中で、プラスとなる面に目を向けられるのはすごいことですよね。学連では審判部という部署に所属し、審判をするほか、事務作業もしていたといいます。
大学卒業後は慶応義塾大学大学院健康マネジメント研究科へ進学。卒業後はみずほ銀行へ入社します。大学院ではスポーツビジネスを学んでいた加藤誉樹さんが銀行を受けたのには理由がありました。
「大学でスポーツビジネスを勉強しても、実際のビジネスを経験しないと身についたとは言えない」と。社会に出てお金の流れを学んでからスポーツに戻ればいいと言われ、なるほどと思って銀行を受けることにしました。
引用:オングラウンド
大学3年時に村林 裕さん(元FC東京代表取締役社長)のゼミに入り、大学院時代も村林さんのゼミを手伝う機会があり、アドバイスをもらったそうです。そして、土日祝日が必ず休みで審判の活動を続けられることも大きな理由だったそうです。
まとめ
今回は、Bリーグ最優秀審判賞を8年連続で受賞しており、いずれ殿堂入りになるのではないか?とファンから声も上がる加藤誉樹さんについてまとめてみました。
- バスケ一家に生まれ、幼い頃から競技に親しんできた
- 元日本代表の両親を持ち、自身も選手としてプレーするも強豪校で挫折
- 審判としての才能を開花させ、日本初のプロフェッショナルレフェリーに
- Bリーグ最優秀審判賞を8年連続受賞し、パリ五輪にも選出
- 妹・加藤優希選手もWリーグで活躍中!
ご両親、弟、妹全員がバスケ選手という環境で、ご本人も選手経験がある中、長くバスケに携わることも考え、審判に転向した加藤誉樹さん。
学生時代、選手として思うように活躍が出来なかった経験、銀行員という社会経験も含め、様々なことが最優秀審判賞やプロ契約、五輪での活躍などに繋がっているのではないかと感じますよね。
これからの活躍にもますます期待したいですね!