田宮裕涼選手は、現在「ゆあビーム」と呼ばれるという強肩の持ち主の若手捕手です。
現在は捕手だけではなく、外野を守ることもあります。
小学1年生から野球を始め、高校進学後は1年生からレギュラーを勝ち取るという才能の持ち主でした。
しかし、当時のスカウトの間では、「俊足で左打ちのキャッチャーは大成しない」というジンクスがあったため、高校卒業後にプロ入りできるか不透明でした。
田宮裕涼選手の強い要望もあり高校3年生でプロ志望届を提出したところ、無事日本ハムからの指名でプロ入りを果たしました。
プロ入り後は苦難の時期が続き、育成落ちの危機もあったと言います。
2024年シーズンで初めて開幕スタメンを勝ち取り、現在はルックスの可愛さから女性ファンも獲得し人気が急上昇中です。
オールスターにも初出場した2024年は田宮裕涼選手にとって飛躍の年となるでしょう。
今回は若手有望株である田宮裕涼選手の家族について調査しましたので、まとめていきます。
田宮裕涼選手の家族構成は?
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田宮裕涼選手の実家・家族構成は、両親と妹1人だと言われています。
<家族構成>
- 父親
- 母親
- 本人
- 妹
しかし、妹に関しては全く田宮裕涼選手から言及されておらず、信頼できる情報源の記事は全くヒットしませんでした。
妹がいるという情報はどこから発生したのか、本当に妹がいるのかは、取材を受ける機会が増えれば田宮裕涼選手から直接聞けるかもしれませんね。
田宮裕涼選手は父親に関して言及することもほとんどありませんが、プロ初本塁打を放った際、
「記念球は両親にあげたいです」
と言っていたため、両親が離婚していないのは確実です。
家族が取材を一切受けていないことから、実家家族は全員一般人で父親は会社員だと思われます。
田宮裕涼選手の母親はどんな人?野球を始めたきっかけは母親?
田宮裕涼選手の母親も、父親と同じく一般人のようで本名・顔写真・年齢・職業などのプロフィールは公開されていませんでした。
田宮裕涼選手は、野球を始めたきっかけについて母親に勧められたからだと語っています。
小学6年生で千葉ロッテマリーンズジュニアに選出され、中学3年生で日本リトルシニア全国選抜大会で優勝し捕手としてベストナインに選出されるなど、田宮裕涼選手は幼少期から野球の才能を開花させました。
母親が田宮裕涼選手に野球を勧めたのは正しかったといえるでしょう。
母親は田宮裕涼選手がプロに入ってからも、試合をよく見に来ているようです。
“僕に連絡なしに来ていることもあるんですが、スタンドを見ていたら「あれ? お母さんいる」って、なんかいつも気づくんですよね。”
田宮裕涼選手は捕手としての出場が多いため、観客席にいる知り合いの存在に気付くのはかなりの至難の業であるように感じます。
また、田宮裕涼選手の実家は千葉県にあることから、ロッテ本拠地であるZOZOマリンスタジアム以外での試合は球場に行くまでが大変そうです。
連絡もなしに飛行機が必須の日本ハムの本拠地、エスコンフィールドに母親が観戦に来ていたらかなりびっくりしそうですよね。
田宮裕涼選手が気付けるようにバックネット裏や日本ハム側のベンチ近辺の席を確保しているのかなと感じました。
プロに入ってからも連絡なしに遠征していることを考えれば、田宮裕涼選手が少年野球をしていた頃は毎試合観戦しに来ていたことでしょう。
田宮裕涼選手は高校からは寮生活をしていたため、
“高校から寮に入ったので、寂しい思いをさせてしまっていますが、本当に「いつもありがとう」しかないですね。”
と母親に対し感謝しながらも、寮生活後も実家から離れて過ごすことになったことについて少し申し訳なく思っているようでした。
母親にとっては田宮裕涼選手はいつまで経っても可愛い息子の為、アクセスが悪くてもプロ野球選手として奮闘する息子の姿を見に来たくなるのでしょうね。
田宮裕涼選手の母方の家族は野球一家!
田宮裕涼選手は、自身が野球を始めるきっかけについて、
「小1の終わりぐらいで野球を始めたきっかけは、お母さんでした。」
「母親の家系がみんな野球をやっていたので、野球をさせたかったのかもしれないですね。」
と語っています。
田宮裕涼選手の言うように、母方の祖父、2人の伯父も野球経験者です。
祖父の世代から続く野球一家というのは、なかなか珍しいのではないでしょうか。
しかも、田宮裕涼選手は中学卒業後成田高校に進学しているのですが、母方の祖父も2人の伯父も成田高校のOBです。
田宮裕涼選手の高校時代の恩師である成田高校野球部の尾島監督は、田宮裕涼選手の選手について「本当はここに来るような選手じゃない」と成田高校よりも強豪校に行けたのではと謙遜するコメントを残しました。
しかし、祖父の代からずっと成田高校で野球していることを考えると、田宮裕涼選手も成田高校に進学することになったのは運命的なものを感じますね。
伯父の1人である篠原和浩さんは、1990年夏の甲子園に出場した経験もあります。
ただ、母方の家系は野球経験者が多いものの、プロ選手になったのは田宮裕涼選手が初めてだったそうです。
田宮裕涼選手がプロ入りを決めた時は、母方の実家は大騒ぎだったでしょうね。
実家に帰ると、未だに田宮裕涼選手は祖父から打撃指導をうけるそうです。
ただ、言われることは毎回同じ。
「いつも『バッティングは前で打て』しか言われないんですよ。『ボールが近すぎるから、もっと前で打て』としか言われなくって」
引用:日刊スポーツ
高校時代からずっと祖父から同じことを言われていた田宮裕涼選手。
本当に合っているのかも疑問に感じていたことでしょう。
ただ、祖父のアドバイスが正しかったと確信する出来事が起きます。
「監督にもそれ、言われるんで。おじいちゃんの言葉は合っていたんだなって」
引用:日刊スポーツ
なんと新庄監督に祖父と同じことを言われたのです。
幼少期からずっと田宮裕涼選手を見守り続け、田宮裕涼選手のバッティング指導をしっかりしていた祖父も、田宮裕涼選手の打撃が開花するポイントを見抜いた新庄監督もどちらもすごいですね。
田宮裕涼選手は指導者に恵まれ続けている野球人生だといえるでしょう。
2024年シーズンは、8月14日時点で田宮裕涼選手は打率.293という高打率を残しており、100本もヒットを打っています。
祖父の打撃指導が活き、2024年にブレイクしたといっても過言ではありません。
母親と共に、母方の家族も田宮裕涼選手が出場する試合を生観戦しに来ているかもしれないですね。
もし取材に答えてくださるときがあれば、田宮裕涼選手の幼少期のエピソードについて聞いてみたいですね。
まとめ:田宮裕涼選手の母方の家族は野球一家!祖父の打撃指導が今に活きている!
では、今回のまとめです。
- 田宮裕涼選手の実家家族構成に関しては、両親がいることは確定しているものの、ネット上で言われている妹がいるかどうかは確証が得られませんでした。
- 田宮裕涼選手は女性ファンから可愛いと評判なので、もし妹がいたらかなり可愛い顔をしていそうですね。
- 田宮裕涼選手は小学1年生の時に母親に勧められて野球を始めています。
- 母親が野球を勧めた理由は、田宮裕涼選手の母方の伯父2人と祖父が野球経験者だったことが影響しているでしょう。
- 伯父のうち1人は甲子園に出場した経験もありますが、プロ入りした人はいなかったため、田宮裕涼選手のプロ入りが決定した際はかなり嬉しかったのではないかと思われます。
- 田宮裕涼選手は、母方の実家に帰るたびに祖父から打撃指導を受けていましたが、新庄監督にも同じことを言われ、祖父の指導が正しかったと証明されたそうです。
2024年に大ブレイクし、打てる捕手として活躍していることから田宮裕涼選手は指導者に恵まれ続けているといえるでしょう。
家族からも球団からも指導を受け、何年も正捕手として活躍できるようになってほしいですね。
最後までご覧いただきありがとうございました。