北海道日本ハムファイターズに所属している中山晶量(てるかず)選手。
2022年のドラフト会議で北海道日本ハムファイターズから育成選手ドラフト2位で指名を受けました。
最速150kmの速球と、鋭く落ちるフォークを武器に支配下昇格を目指しています。
中山晶量選手は北海道日本ハムファイターズに入団する前から注目されていたようで、独立リーグ時代に朝の情報番組で、ドラフト注目選手として取り上げられていたようです。
その際に中山晶量選手の実家が紹介され、実家が豪邸だということで話題になったそうです。
今回は、中山晶量選手の実家が豪邸だという噂の真相や、家族について調査しました。
<この記事でわかること>
- 中山晶量選手の実家は豪邸なのか
- 中山晶量選手の実家が豪邸なのはなぜか
- 中山晶量選手の実家家族の構成
- 中山晶量選手の経歴
- 中山晶量選手のプロフィール
ぜひ最後までご覧ください!
中山晶量選手の実家・家族はお金持ち!豪邸の理由は?
- 中山晶量選手の実家は地元でも有名な豪邸
- 中山晶量選手の祖父が一般廃棄物の収集・運搬などの事業を行う会社の創業者
ポイントをご覧いただいた通り、中山晶量選手のご家族はお金持ちです。
中山晶量選手の実家は地元でも有名な豪邸なのだそうです。
というのも、中山晶量選手の祖父は徳島市で会社を経営されており、中山晶量選手の父親のその会社で専務を務めているそうです。
つまり、中山晶量選手の実家は会社経営の一族だということですね。
中山晶量選手の祖父が経営するのは「三幸クリーンサービスセンター」という会社で、一般廃棄物の収集・運搬などの事業を行っているそうです。
中山晶量選手は大学卒業後、社会人野球ではなく、地元の独立リーグの「徳島インディゴソックス」に入団する道を選びました。
「徳島インディゴソックス」へ入団後は、祖父が経営する会社の取締役に就任し、役員報酬として金銭サポートを受けていました。
中山晶量選手は徳島インディゴソックス入団後も実家暮らしを続けており、実家から通って練習に参加していたようです。
中山晶量選手は現在(2024年8月6日時点)も会社の公式サイトに取締役として掲載されています。
中山晶量選手は祖父から野球に関して前面的に支援されていたようです。
なんと、祖父は野球にかかる費用を全て負担しているそうです。
社長といっても全額は凄いですね。
中山晶量選手の少年時代には、祖父の経営する会社の本社1階ガレージに中山晶量選手専用の練習スペースが作られているそうです。
この練習スペースにはバッティングマシーンや専用のトレーニング器具がたくさん並べられていて、チームでの練習がない時や雨天時に使用していたそうです。
そんな祖父は、中山晶量選手の試合がある時には応援にも駆けつけていたそうで、会社関係者など4、50人を連れて球場に応援しに行くこともあったそうです。
中山晶量選手の実家の家族構成は5人!両親や兄弟はどんな家族?
祖父、祖母、父親、母親、中山晶量選手の5人家族
中山晶量選手の家族は祖父、祖母、父親、母親、中山晶量選手の5人で、徳島インディゴソックス時代には5人で暮らしていたそうです。
つまり兄弟はいなくて、一人っ子のようにですね。
両親についての情報を調査してみたところ、父親の名前は中山泰利さんであることがわかりましたが、他の家族の名前は明かされていないようです。
そして、家族一丸となって中山晶量選手を応援されているようです。
先述の通り、祖父は練習部屋などの環境を整えるなど金銭面でのサポートを行っていたり、社員を連れて大規模な応援を行ったりしています。
父親の泰利さんは試合が遠方で行われる場合であっても必ず応援に訪れるそうです。
父親の泰利さんは大学野球の経験があるそうです。
祖母と母親は食事の管理や体調管理を徹底しているそうです。
独立リーグに入ってまでプロ野球選手になることを諦めないという強い信念は家族の期待から来るのかもしれませんね。
中山晶量選手は北海道日本ハムファイターズに入団する以前に「家族にはすごく甘えている自覚があって、家族のサポートも受けられて幸せだなって。だからこそドラフトにかかるっていうのが家族に恩返しできるチャンスだと思っています」と語っていました。
ところで、中山晶量選手の名前は珍しく、初見で読み当てるのは至難の業です。
この名前は泰利さんによってつけられたそうで、「沢山の宝を持てるように」との願いが込められているそうです。
中山晶量選手の経歴
最後に、中山晶量選手のキャリアを簡潔にまとめていきます。
徳島文理小学校
生光学園中学校
徳島県立鳴門高等学校
明治大学
徳島インディゴソックス
北海道日本ハムファイターズ
中山晶量選手は徳島文理小学校に通っていました。
徳島文理小学校は徳島県徳島市山城町東浜傍示にある私立小学校です。
さすが経営者一族の子どもとあって、小学校から私立に通っていたのですね。
中山晶量選手は小学3年生から野球を始めます。
小学校卒業後は生光学園中学校に進学します。
生光学園中学校は徳島県徳島市応神町中原にある私立中学校です。
生光学園中学校では、中山晶量選手は硬式野球部に所属します。
中山晶量選手は3年生の時にヤングリーグの全国大会に出場し、2回戦まで進出しています。
中学校卒業後は徳島県立鳴門高等学校に進学します。
鳴門高校は徳島県鳴門市撫養町斎田に所在する公立の高等学校です。
鳴門高校の野球部は県内有数の強豪校として全国的にも有名です。
やはり「野球選手」という将来を見据えて鳴門高校への進学を決めたのでしょうか。
鳴門高校は複数のプロ野球選手が在籍していました。
例えば、元西武ライオンズの潮崎哲也選手や福岡ソフトバンクホークスに所属している板東湧梧選手です。
公立高校であるにもかかわらず、複数のプロ野球選手が輩出しているのは驚きですね。
さらに同級生には北海道日本ハムファイターズに所属している河野竜生選手がいました。
さすが強豪校ですね。
中山晶量選手は1年生から控え投手としてベンチ入りしています。
しかし、高校3年生の時に右ひじを痛め、3年生の夏の甲子園に出場した際にはなんと外野手として出場しています。
さらに、3回戦の4回には逆転のツーランホームラン放っています。
実はこのホームランは送りバントのサインが出ていたのを見逃して打ったホームランだったそうです。
活躍の仕方に野球に対するセンスの良さを感じます。
高校卒業後は明治大学に進学します。
怪我の影響などで、大卒でのプロ入りはかなわなかったようです。
大学卒業後は徳島インディゴソックスに入団します。
徳島インディゴソックスは四国独立アイランドリーグに属する球団で、プロ野球選手が多数輩出しています。
徳島インディゴソックスで中山晶量選手はエース格として活躍します。
そして、2022年のドラフト会議で北海道日本ハムファイターズから育成選手ドラフト2位で指名を受けました。
まとめ:中山晶量選手の実家は豪邸でお金持ち!家族(両親)の家業について調査!兄弟についても
今回の記事のまとめです。
- 中山晶量選手の実家は地元で有名なほど豪邸
- 中山晶量選手の祖父が会社の創業者で父親が同会社の専務
- 中山晶量選手も祖父の立ち上げた会社の取締役に就いている
- 中山晶量選手の実家は祖父、祖母、父親、母親、中山晶量選手の五人家族
今回は中山晶量選手の実家が豪邸だという噂の真相や、家族についてご紹介しました。
中山晶量選手の実家が豪邸だったのは、家族が会社を経営していたからだということが分かりました。
家族のサポートが中山晶量選手のプロ入りを後押ししており、中山晶量選手もその期待に応えようと頑張っている様子が窺えました。
今後の中山晶量選手の活躍にも期待です。
最後までご覧いただきありがとうございました。
プロフィール
出身地 | 徳島県徳島市 |
生年月日 | 1999年2月8日 |
身長・体重 | 188cm90kg |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |