広島東洋カープに捕手として所属している石原貴規選手。
強肩で正確な送球とパンチ力のある打撃が魅力の選手です。
「小石」という愛称でチームでも親しまれています。
そんな石原貴規選手ですが、双子の弟がいるそうです。
今回は、石原貴規選手の家族と経歴、家族とのエピソードについて調査しました。
<この記事でわかること>
- 石原貴規選手の家族構成
- 石原貴規選手の経歴
- 石原貴規選手と母とのエピソード
- 石原貴規選手と弟とのエピソード
ぜひ最後までご覧ください。
石原貴規選手の家族構成
石原貴規選手は兵庫県宝塚市出身です。
石原貴規選手は父親、母親、弟の四人家族だと思われます。
<家族構成>
- 父親
- 母親
- 石原貴規選手
- 弟
母親と弟の名前が明かされており、母親は石原衣津美さん、弟は石原弘道さんだということです。
石原貴規選手と弟の石原弘道さんは、二卵性双生児だそうです。
石原貴規選手がプロ野球選手になるまでの経歴
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石原貴規選手は小学校二年生から弟と一緒に野球を始めます。
父が野球をやっていたことと、プロ野球を見て「やりたい」と思ったことが野球を始めるきっかけになったそうです。
野球を始めるにあたって、石原貴規選手は弟の弘道さんと一緒に見学に行き、気に入ったチームも同じだったそうです。
さすが双子ですね。
転校を機に小学校三年生から「宝塚リトル」に所属します。
「宝塚リトル」は石原貴規選手と同じ広島東洋カープに所属している小園海斗選手も所属したチームです。
広島東洋カープでは小園海斗選手が一年先輩ですが、「宝塚リトル」では石原貴規選手が三学年先輩だったそうです。
宝塚第一中学校時代は「甲子園リトルシニア」に所属します。
弟の弘道さんも石原貴規選手と同じ「甲子園リトルシニア」に所属します。
中学校を卒業すると創志学園高等学校に進学します。
創志学園は岡山県岡山市にある私立高校です。
先に進路を決めたのは弟の弘道さんだったそうです。
弘道さんは兵庫県の実家を離れて岡山の創志学園への進学を希望していました。
一方、石原貴規選手も創志学園に行きたいと考えていました。
しかし、双子が同時に家を離れていいのか悩み、母親の衣津美さんに言い出せずにいたそうです。
母親思いの兄弟だったのですね。
衣津美さんはふたりの思いを知り「自分が決めたチームでやるっていう約束やったやん」とふたりの思いを後押ししてくれたそうです。
そして、ふたりの兄弟は一緒に創志学園に進むことになります。
石原貴規選手と弘道さんは小学校から高校まで、ずっと同じチームでプレイし続けてきたのですね。
高校時代から、どちらかがミスをすれば片方が遠慮なく注意するようになったようで、チームメイトからは「それで毎回、雰囲気が悪くなるねんけど」とあきれられていたそうです。
石原貴規選手は二年秋から正捕手となります
正捕手として一学年下の高田萌生さん(読売ジャイアンツと東北楽天ゴールデンイーグルスでキャッチャー元プロ野球選手。現在は社会人野球)とバッテリーを組んでいました。
高田萌生さんは読売ジャイアンツと東北楽天ゴールデンイーグルスで投手として所属していた元プロ野球選手で現在は社会人野球の選手として活動しています。
石原貴規選手は三年時に夏の県大会で決勝まで駒を進めるも敗退し、甲子園出場は三年間を通してかないませんでした。
高校を卒業すると天理大学に進学します。
天理大学は奈良県天理市にある私立大学です。
ここで、弟の弘道さんとは別の道を歩むことになります。
弘道さんは「大学まで貴規と一緒はもうええかな」と感じたそうで、関東の強豪私立大学で野球を続けたそうです。
石原貴規選手は大学時代にベストナインを三度受賞したり、四年生時の春に行われたリーグ戦では打率.408を記録し、首位打者を獲得したりするなどの活躍を見せます。
そして、2019年のドラフト会議で広島東洋カープから指名を受けます。
石原貴規選手と母とのエピソード
母親の衣津美さんにとって、石原貴規選手と弘道さんは手のかからない、おとなしい双子だったそうです。
石原貴規選手は高校生のときに「拝啓」から始まる固い文章の手紙を母に向けて何度か送るほどの母親思いな人物のようです。
大学生の頃ははアルバイトもせずに野球に打ち込んでいたという石原貴規選手。
お金がなく、母の日のプレゼントを贈ることができずに申し訳なく思ったのか、母の日のたびに母親に対して「何もできなくてゴメンね」と連絡をしていたそうです。
とても律儀な人柄が窺えますね。
プロ1年目にはフットマッサージ機を贈ったそうです。
初安打の記念球も母親に贈る予定だと明かされていました。
石原貴規選手と弟とのエピソード
「宝塚リトル」時代から創志学園時代までを石原貴規選手と同じチームでプレイした弟の弘道さん。
「双子で良かったことは、キャッチボール相手が近くにいることぐらいですよ」と語っていとこともありました。
お互いに野球の上手さについては認め合っていたそうで、弟の弘道さんは「あの捕手より絶対、貴規の方がうまいわ」と周囲に話していたそうです。
石原貴規選手も「僕は捕手だからプロになれたようなもので、才能は弟の方がありましたよ」と語っていました。
大学からは別々のチームでプレイすることになったのですが、石原貴規選手は年に一度行われる天理大学の関東遠征時に組まれる練習試合で、弘道さんの所属するチームと直接対決するのを楽しみにしていたそうです。
しかし、弘道さんは野球と異なる道に進むために、やむなく大学の硬式野球部を退部することになります。
石原貴規選手にとって弘道さんは、小学生のころから野球に関してお互いを高めあってきたライバルだったわけですから、ショックだったのではないでしょうか。
後に石原貴規選手は弘道さんがいたから自身も頑張れていたということを明かしています。
野球の道を断った弘道さんに対し、石原貴規選手はプロ野球選手への道に挑戦しました。
2019年のドラフト会議当日、弘道さんは、友達と居酒屋に集まって行方を見守っていたそうです。
石原貴規選手の名前が聞こえた瞬間に弘道さんは「ウオー!」と叫んだそうです。
幼いころから近くで見てきたこともあり、自分のことのように嬉しかったのでしょうね。
2019年12月に行われた新入団選手発表記者会見には、弘道さんも同席していました。
弘道さんは石原貴規選手がプロ野球選手になったことについて「正直(プロに)なると思ってなかったので。近い存在が遠くなってしまいました」と語っています。
まとめ:石原貴規選手には双子の兄弟が!?経歴と家族とのエピソードも調査!
今回の記事のまとめです。
- 石原貴規選手の家族は父親、母親、弟の四人
- 母親は石原衣津美さん、弟は石原弘道さん
- 石原貴規選手と弟の弘道さんは二卵性双生児
石原貴規選手は幼いころから双子の弟である弘道さんと切磋琢磨しながら成長してきたということが分かりました。
石原貴規選手にとって弘道さんは一番身近な存在であり、ライバルだったのですね。
幼いころからライバルと切磋琢磨してきた経験はプロ生活でも活きてくるのではないでしょうか。
今後の石原貴規選手の活躍にも期待です。
最後までご覧いただきありがとうございました。