吉村貢司郎選手は、2023年11月に行われたアジアプロ野球チャンピオンシップの日本代表に選ばれた経験がある実力派投手です。
吉村貢司郎選手のプロ入りへの道は簡単なものではありませんでした。
大学卒業後もドラフト指名はかからず、東芝で社会人野球を3年続けていたところ、やっとヤクルトからドラ1指名がかかった苦労人です。
2024年のオールスターには監督推薦で出場を勝ち取っており、これからの活躍が期待されています。
プロ入りするまで家族のサポートを受け続けたことから、吉村貢司郎選手はよく家族へ感謝するコメントを残しています。
今回は、吉村貢司郎選手の実家家族について調査しましたのでまとめていきます。
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吉村貢司郎選手の父親はどんな人?幼少期は父親と野球を猛練習していた?
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吉村貢司郎選手の父親は裕二さんという名前です。
年齢は1961年か1960年生まれかと思われます。
職業については詳しく言及されていませんが、自営業であることは明かされています。
父親の裕二さんは元々バレーボールをしていたのですが、野球が好きで研究熱心なところがありました。
そのため野球素人ではありましたが、独自の野球論で吉村貢司郎選手の教育に励みました。
吉村貢司郎選手が少年野球チームに入っている間は、よく野球の指導法について調べていたそうです。
吉村貢司郎選手も父親の研究熱心さについて、
「本やネットでめちゃ勉強してくれた。何か聞けば必ず答えが返ってきた。その場で分からなくても翌日には調べて分かるように示してくれた」
引用:日刊スポーツ
と感謝するコメントを残しています。
吉村貢司郎選手の母親によると、裕二さんは、
「今だけ集中して厳しくするのではなく、大学とか20歳前後になって花が咲くようなやり方で進めていった方がいいんじゃないかという考えがあった」
引用:日刊ゲンダイ
と語っており、元々社会人野球に行ったとしてもプロ野球選手になるために努力させる気でいたようですね。
また、父親は吉村貢司郎選手が長く野球に携われるよう、ケガをしない打ち方・投げ方も研究していたと言います。
そのおかげで、吉村貢司郎選手は國學院大學の2年春までは大きなケガをすることなく野球に取り組めました。
吉村貢司郎選手が人生で1番きつかったと振り返るのが、中学時代の練習です。
少年野球チームに所属している都合上、中学校の野球部に所属できなかったため、平日は学校が終われば15時半から18時まで練習し、家で晩ご飯を食べた後も19時半から21時半まで練習するという2部練習を中学卒業まで続けました。
中学卒業後と共に2部練習は卒業したものの、現在も年末年始は父親とキャッチボールするのが恒例となっているそうです。
しっかり吉村貢司郎選手をプロ野球選手として育て上げた裕二さんは、2023年4月30日、対阪神戦を現地観戦し、吉村貢司郎選手の初勝利を見届けました。
「苦しいチーム状況の中でみんなに支えられながらつかんだ1勝だと思う。これに満足することなく、常に上を目指してみんなに愛される選手になってほしい」
引用:サンスポ
初勝利を祝うコメントには、1勝だけでは満足しないという思いが感じられます。
父親の思いも背負い、吉村貢司郎選手には日本球界のエースと言えるぐらいの活躍をしてほしいですね。
吉村貢司郎選手の母親はどんな人?礼儀に厳しい?
吉村貢司郎選手の母親は身知子さんという名前です。
吉村貢司郎選手がドラフト指名された当時58歳だったことや、4月生まれであることから2024年に60歳になる年齢だと考えられます。
母親は吉村貢司郎選手がドラフト指名を受けた後、自宅の倉庫を改装した玉子焼き屋をオープンしました。
本当はドラフト会議に合わせて開店しようと考えていましたが、周りから止められてしまったようです。
開店をドラフト会議に合わせたかったのには理由がありました。
「私も貢司郎と一緒にスタートしたいという気持ちがあった。私も頑張ろうと思ったんです。」
引用:日刊ゲンダイ
吉村貢司郎選手も、母親の飲食店経営を応援してくれているそうです。
母親によると、吉村貢司郎選手は幼少期から好き嫌いはなく、反抗期もなく手のかからない子供でしたが、高校生になっても球児の中では少食な方だったそうです。
プロ野球選手を目指すなら体格を大きくする必要があると考えた母親は、すごい量のお弁当を吉村貢司郎選手に持たせていました。
「息子のために一升炊きの炊飯器を買って、おかずは別にしてお米だけ縦12センチ×横18センチ×高さ10センチくらいのタッパーに入れていました」
引用:日刊ゲンダイ
昼食と練習後に食べる用のお弁当とはいえ、吉村貢司郎選手は1.6kgものお米を食べていたことになります。
現在吉村貢司郎選手は183㎝85kgと、良い体格に育ちました。
母親が作ったお弁当があったからこそ、体重を増やすことができたのでしょう。
吉村貢司郎選手は、母親と鎌倉にふらっと出かけたり、バスを乗り継いで旅をしたりするなど、とても仲がいい事を明かしています。
一方で母親に1番教わったのは礼儀だとも語っており、感謝の気持ちを忘れないことを教わり、態度に関しては「しっかりしなさい」とずっと言われていたそうです。
吉村貢司郎選手は母親が作る玉子焼きが大好きだそうで、身知子さんが経営する玉子焼き屋の味が気になるところです。
吉村貢司郎選手の活躍も応援したいですが、母親の飲食店経営も応援したい気持ちになりますね。
吉村貢司郎選手にきょうだいはいる?
吉村貢司郎選手には兄が1人います。
兄は侑大さんという名前です。
一般人のようで、年齢や職業など詳しい事は明かされておらず、吉村貢司郎選手に関するコメントも一切残していないようでした。
吉村貢司郎選手とは幼少期から仲が良く、野球を始める前は侑大さんと遊ぶことがとても多かったそうです。
吉村貢司郎選手が野球を始めているので、兄の侑大さんも野球をしているのかと思いきや、サッカーをしていたと母親は語っています。
そのため、母親は兄の侑大さんの後を追って吉村貢司郎選手もサッカーを始めると思っていたそうです。
吉村侑大さんでネット検索したところ、サッカー選手がヒットしますが、2022年に新潟医療福祉大学に入学していることから、吉村貢司郎選手より年下になるので同姓同名の別人です。
吉村貢司郎選手との兄弟エピソードも、いつか明かしてくれると嬉しいですね。
吉村貢司郎選手の父親は野球への研究熱心!母親は玉子焼き屋を経営!兄は野球ではなくサッカーをしていた!
では、今回のまとめです。
- 吉村貢司郎選手の父親裕二さんは、バレーボールをしていたものの、野球は好きというだけで素人でした。
- ですが、父親は研究熱心だったため、吉村貢司郎選手が中学校卒業するまでは2部に分かれた自主練をさせていました。
- 吉村貢司郎選手が野球関連で疑問に感じたことは、すぐに調べて解決してくれるような父親だったそうです。
- 吉村貢司郎選手の母親の身知子さんは、吉村貢司郎選手のドラフト指名を受けた後に玉子焼き屋をオープンしています。
- 吉村貢司郎選手のプロ入りと共に、母親も新しい事に挑戦したいと考えてのことだったそうです。
- 母親とは仲が良く、一緒にふらっと出掛けることもあると吉村貢司郎選手は語っていました。
- 玉子焼きの味は吉村貢司郎選手も折り紙付きで、おふくろの味と言えば玉子焼きと発言したこともあります。
- 母親からは礼儀や感謝の心を教わったようで、両親で教育のバランスがとれていると感じますね。
吉村貢司郎選手の兄侑大さんは、野球ではなくサッカーをしていたこと以外情報がありませんでしたが、いつか侑大さんから、兄弟エピソードを聞いてみたいところですね。
最後までご覧いただきありがとうございました。