
プロ野球・千葉ロッテマリーンズで活躍する髙部瑛斗選手。
俊足巧打で知られ、ファンの間では“走れるイケメン”として密かに話題に(私の友人は「足速い男子=モテる法則」の信者です)。
そんな髙部瑛斗選手ですが、実は子どもの頃「足が遅かった」って知ってました?
「実際に足が遅かった少年が、プロの俊足選手になるなんて…努力は裏切らないんですね!」と、私は思わず感動。
では、そんな彼を支えてきた家族とは、どんな人たちなのでしょう?今回は髙部瑛斗選手の家族構成、エピソード、そしてちょっぴり泣ける話まで掘り下げてみました。
- 髙部瑛斗選手の実家の家族構成は?
- 髙部瑛斗選手の父親はどんな人でエピソードは?
- 髙部瑛斗選手の母親はどんな人でエピソードは?
- 髙部瑛斗選手にきょうだいはいる?
ぜひ最後までお読みください!
髙部瑛斗選手の実家の家族構成は?

髙部瑛斗選手の実家の家族構成は、父親、母親、兄、髙部瑛斗選手、弟の5人家族です。
髙部瑛斗選手は3人きょうだいの次男として育ってきました。
スポーツ家系であったため、髙部瑛斗選手も家族の影響を受けて野球をはじめています。
髙部瑛斗選手は野球を始める以前は足が遅かったそうです。
そのことを父親に指摘されたことで野球を始めたと語っていました。
髙部瑛斗選手といえば現在は俊足の選手としても知られていますが、子どもの頃には足が遅かったというエピソードに驚かされますよね。
かなりの努力の結果、俊足の選手になったと思うため、髙部瑛斗選手は努力が得意な選手なのでしょうね。
父・新聞販売所の所長で元高校球児!
髙部瑛斗選手の父親の名前などについてはわかっていません。
ただ、父親も高校時代は野球に打ち込んでいたことがわかっています。
元高校球児であった父親の影響を受けて、髙部瑛斗選手たちきょうだいは野球を始めていました。
髙部瑛斗選手の父親の職業は新聞販売員の所長なのだそうです。
自営業で新聞販売員の所長を務めているということで、泊まり込みで働くことも多かったそうです。
そのため、髙部瑛斗選手が子どもの頃には父親と顔を合わせる機会が少なかったとのことでした。
髙部瑛斗選手と父親はあまり会わないあまり、父親に対して「きてくれた」という感覚を持つくらいでした。
そのくらい忙しく働き、家庭を支えてきたのでしょうね。
髙部瑛斗選手の父親は落ち着いていることがあまりなく、インドアなことは得意ではないようです。
ゴルフなどで頻繁に外出するタイプとのことで、髙部瑛斗選手も父親の影響を受けてアウトドアなタイプであると話していました。
あまり子どもの頃は父親とのエピソードはなかったものの、しっかりと父親の性格を受け継いでいるということで、親子の縁を感じますよね。
顔を合わせる機会が少なかったものの、髙部瑛斗選手が野球を始める気かけとなった存在が父親であるため、野球の結果については気になっていたのではないでしょうか?
きっと一番に応援してくれるような存在なのでしょうね。
母・優しくてパワフルな家庭の柱
髙部瑛斗選手の母親の名前などについては語られていませんでした。
職業についてもわかっていませんが、もしかしたら専業主婦として家族を支えていたのかもしれません。
髙部瑛斗選手はプロ野球選手になってから、自身のSNSにて「母の日」のタイミングで母親に対して感謝を述べていました。
髙部瑛斗選手は母親のことを「優しくて、パワフルな存在」と語っています。
男の子3人を育てたら、そりゃパワフルになりますよね!
私も一時期、甥っ子2人を同時に預かっただけでフラフラでした(笑)。
また、食生活などでもきっとサポートをしてくれていたのだと思われます。
優しい母親の愛で髙部瑛斗選手は大きく成長したのでしょう。
兄弟はどんな人?
3人兄弟の真ん中で育った髙部瑛斗選手。
どんな兄弟たちなのでしょうか。1人ずつみていきましょう。
兄は美容師でサロンの代表でかっこいい!

髙部瑛斗選手には美容師をしている兄・寛斗(ひろと)さんがいます。
兄の寛斗さんは「INTRO .by Fi-Ne 渋谷」の代表を務めているということで、社長業として美容師をしているとのことでした。
兄の寛斗さんは自身のSNSでも髙部瑛斗選手の活躍を応援している姿が特徴的です。
また、髙部瑛斗選手は兄の寛斗さんの美容院で髪の毛を切っていますが、同僚の選手たちも通っているようです。
髙部瑛斗選手の同僚たちも通っているということで、きっと信頼感が大きい存在なのでしょうね。
兄の寛斗さんも高校時代は東海大甲府高校で野球をしていて、髙部瑛斗選手が東海大甲府高校へ進学したのは兄の影響があったからだと言われています。
子どもの頃から常に信頼関係があったからこそ、兄の背中を追い続け、同じ高校でプレーすることに至ったのでしょう。
弟・晴斗さんとの切ないエピソード
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髙部瑛斗選手には弟の晴斗さんもいます。
しかし、弟の晴斗さんは16歳の時に急性白血病にて亡くなってしまっています。
髙部瑛斗選手が高校2年生の時の冬に病気が発覚し、当時寮生活を送っていたため、かなりの衝撃を受けたそうです。
弟の晴斗さんは「瑛斗が野球をしているところが見たい」と語っており、体調の面で球場にはいけないもののテレビ観戦することを希望していました。
そして、髙部瑛斗選手は甲子園に出場し、ヒットを打ってみせたのです。
髙部瑛斗選手は弟の晴斗さんの影響を受けて、プロ野球選手の夢を叶え、現在も活躍しています。
また、髙部瑛斗選手はガンと闘う子どもたちへの支援活動を行っていて、1本ヒットを打つごとに1万円を寄付する取り組みを続けているとのことでした。
「病気と闘う子どもたちに少しでも力になりたい」という思いを持ち、この活動にあたっているようです。
レギュラーシーズン終了後には弟の晴斗さんの墓前に手を合わせて、晴斗さんに対する感謝や誓いを新たにしています。
髙部瑛斗選手は弟の晴斗さんと共に闘っているということがわかるエピソードでしたね。


まとめ
今回は、髙部瑛斗選手の実家の家族について、実家家族はどんな人なのか、エピソードやきょうだいはいるのか調査してみました。
髙部瑛斗選手はスポーツ一家で育ってきたということもあり、家族の影響を受けて野球を始めたことがわかっています。
特に兄とは切磋琢磨しながら野球をしていたため、兄の背中を追って同じ高校に進学してプレーをしていたというのは素晴らしいエピソードですよね。
では、今回の記事のまとめです。
- 髙部瑛斗選手の実家の家族構成は、父親、母親、兄、髙部瑛斗選手、弟の5人家族であり、髙部瑛斗選手は子どもの頃に足が遅かったことから父親の助言にて野球をはじめている。
- 髙部瑛斗選手の父親の職業は新聞販売員であり、仕事柄泊まり込みで仕事をすることが多かったため、あまり髙部瑛斗選手と顔を合わせる機会は少なかったものの、野球をはじめるきっかけを作ってくれた存在である。
- 髙部瑛斗選手の母親の職業などについては明かされておらず、父親も激務であることがわかっているため、専業主婦として家庭を支えてきたと考えられ、髙部瑛斗選手も母親に対して大きな感謝を持っている。
- 髙部瑛斗選手は兄と弟がいて、兄は美容師として活躍をしていて、髙部瑛斗選手はもちろん同僚の選手たちも兄の美容室に通っている。弟は16歳の若さで病気でこの世を去ってしまっているが、髙部瑛斗選手の野球に対する原動力となっている。
髙部瑛斗選手には16歳にして亡くなってしまった弟がいて、弟の言葉などがあったからこそ、現在はプロ野球選手として活躍をしています。
きっと髙部瑛斗選手は弟と共にプロ野球選手として闘っていると思われるため、より一層応援したくなりますよね。
今後も髙部瑛斗選手の活躍を応援していきましょう!