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大谷翔平の二刀流はいつからできっかけは柔軟な提案!ピッチャーとバッターどっちが好き?

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2023年のWBCで侍ジャパンを優勝へ導き、世界最高の選手とも称される大谷翔平選手(投手)

特にラストのシーンの試合場面では、まるで1つの映画を見ているかのような情景で、多くの人々に感動と勇気を与えてくれました。

もともと野球に興味がなかった人も、WBCの大谷翔平選手の雄姿を見て、興味を持った人も多いのではないでしょうか。

そこで今回は、野球初心者の方向けに、大谷翔平選手がいつから二刀流なのか、そして二刀流になった理由、さらに、投手と野手(ピッチャーとバッター)どちらが好きなのかを調査しまとめました。

この記事でわかること

・大谷翔平はいつから二刀流なのか
・大谷翔平はピッチャーとバッターどちらが好き?理由は?
・大谷翔平が二刀流になったきっかけ・理由

それでは一緒に見ていきましょう♪

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そもそも二刀流って何?

野球界における「二刀流」とは、投手と野手を兼任する選手の事を言っています。

二刀流の選手は世界を見てもほとんどいないみたいだけど、その理由は、一体なぜ?
これまで二刀流を経験されてきた選手は、ピッチャーからバッターに転向して成功する選手はいたものの、大谷翔平選手のように、シーズンを通して活躍できた選手は初めてだったんだよね。ではなぜ、今まで二刀流が無理だと言われてきたのか理由をまとめたよ。

 

二刀流が無理と言われる理由

①投手として調整に専念する期間が短くなるから。

②投手と打者のどちらか一方だけでもプロ野球で活躍するのは難しいのに、両方で一軍レベルのプロ野球選手に到達できること自体が稀。

③体力面での壁がある。(登板後の疲労のリカバリーが難しい。本来投手が1回登板したら中6日程開けて次回の登板に備えるが、二刀流は備える時間なく登板することになる。)

④故障のリスクも大きくなる。

⑤二兎を追うもの一兎をも得ずと思われている。

大谷翔平選手の成功がきっかけとなり、日本では二刀流選手がこれから育っていきそうですね!

大谷翔平選手の現役引退後の将来は、もしかしたら二刀流を育てる監督になるかもしれませんね♪

 

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大谷翔平が語る二刀流のきっかけ

結論から先に、簡潔にお伝えしましょう。

大谷翔平選手が二刀流になったきっかけについては、ご本人の口から語られた事がありました。

日本テレビで放送されていた人気バラエティ番組『嵐にしやがれにゲスト出演した際、二宮和成さんから二刀流のきっかけを聞かれた大谷翔平選手は、このように明かしています。

「そもそもプロに入る時にはピッチャーで行くものだと自分で決めつけていたというがありますし、最初にメジャーリーグに行きたいと思っていたし、その時はピッチャーで行きたいなと思っていました。

ただ2つやるという可能性は、自分の中でないものだと思っていたので。

その柔軟な発想を日本ハムファイターズは持っていて、僕にそう言う風にやらないかと、僕に話をもってきてくれたのがきっかけですね。」

大谷翔平選手は、日本ハムファイターズには柔軟な発想があって、持ってきてくれたと、言っていますが、日本ハムファイターズがその柔軟な発想を出したのは、とても容易な事ではありませんでした。

提案した栗山監督は提案した時のことを後に「本当に怖かった」と語っています。

監督にとっても、大きな決意があったのです。

ここからは、日本ハムが二刀流を提案した理由と流れを振り返っていきましょう。

 

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大谷翔平の二刀流のきっかけの原点は栗山監督の熱意

大谷翔平選手の二刀流誕生の原点は、ドラフト会議の時に遡ります。

大谷翔平選手の夢は、最初からメジャーリーグで活躍することでした。

大谷翔平選手の人生の1番の転機は、18歳のあの決断の時だったのではないでしょうか。

2012年、当時、高校3年生だった大谷翔平選手は、プロ野球に進むべきか、それとも夢だったメジャーへ挑戦するべきか10月に入っても決断できずに悩んでいました。

ドラフト1位候補だった大谷翔平選手の決断は、各プロ野球界にとっても緊張の時でしたが、そんな中、ドラフト会議4日前に各スポーツ紙が一面を飾ったのは「大谷メジャー挑戦」の大見出しでした。

花巻東(岩手)の160キロ右腕・大谷翔平投手(3年)が21日、同校で会見し、メジャー挑戦を表明した。ドラフト1位候補の高校生が、ドラフト会議前に進路を米球界と宣言したのは初めて。国内との選択に揺れたが、最後は自らの意思で夢の舞台を選んだ。マイナーからのスタート、言葉や文化の違いなど過酷な道のりを覚悟の上で、世界一の投手を目指すことを宣言した。一方、25日のドラフト会議直前の決断に、日本球界には衝撃が走った。

午後5時すぎ。大谷が父・徹さん(50)とともに、会見場に姿を現した。テレビカメラ11台、報道陣約60人が詰めかける中、神妙な面持ちでメジャー挑戦を表明した。

「アメリカでプレーさせていただくことに決めました。(決め手は)やっぱり自分の夢。入学した時からそういう気持ちは強かった。(日米)どちらの憧れもありましたけど、メジャーリーグの憧れの方が強かった」

2012年10月22日 スポニチ出典

各国内の球団は、この決意表明に大いにがっかりしたことでしょう。

諦めていた中、状況は一変します。

2012年10月25日に行われた、プロ野球ドラフト会議で、北海道日本ハムファイターズが大谷翔平選手を、単独1位指名したのです。

指名された時の大谷翔平選手の言葉はこうでした。

「自分の思いは変わらないですし、指名をしていただいたというか、評価をしていただいたというのはすごく嬉しく思っています。

昨日、栗山さんの「指名に行く」というのも聞きましたし(メジャーに行くとすでに発表していたから)ビックリした部分もありましたし、動揺もしたんですけど、今日、こうして指名していただいて、自分の(メジャーへ行く)気持ちは変わらないですけど、評価してくれたことはありがたいです。

自分は、どこの球団に来ていただいても、アメリカでやろうという決断をして、前に発表をさせていただいたので今はかわらないです。」 
今と変わらない淡々とした口調で冷静に、思いを口にした18歳の大谷翔平選手。
入団の意思はないと、はっきりとお断りをしていました。

「二刀流」を作った『大谷翔平君夢への道しるべ』

2012年12月9日、ドラフト会議から1か月半が経った頃、大谷翔平選手は、日本ハムファイターズの入団を決断しました。

なぜあれだけメジャーへ行くという強かった意思が、変わったのでしょうか。

それには、栗山監督の上手な説得と熱意があったようです。

ドラフト会議で大谷翔平選手から断られてからも交渉は続きました。

栗山監督ら日本ハムは岩手に何度も足を運び、情熱を注ぎ、説得をします。

中でも一番、大谷翔平選手心を大きくゆさぶったのは、日本ハム球団が作成した『大谷翔平君夢への道しるべ』と名づけた資料だったのだとか。

そのプレゼン資料は全27ページに渡り、大谷翔平選手の「メジャーリーグで活躍しトップ選手になる」という夢をかなえる為に必要な、プロが研究して作った客観的なデータを集めてまとめたものだそうです。
18歳という年齢でアメリカに渡り、ルーキーリーグからメジャーへと昇格していく道がいかに困難であるかを、韓国の選手を引き合いにして説明し、またNPBを経てアメリカで大成した日本人選手がどういう経路をたどったかを提示した。
さらに決め手となったのは、日本ハムフロント陣や栗山監督による「二刀流育成プラン」の提案だったようです。

最終決断直線の際の、大谷翔平選手の父親の記者会見では、大谷翔平選手の父から「二刀流」と言う言葉が、既に出ていました。

「育成と言う、『二刀流』ということがあって・・・まあ育成プランなんですけど、その中で初めに打者から行ってしまうと、そのまま打者として終わってしまうのではないかということも、本人も気持ちの中で思っておりまして、それが不安になっている2点で今一つ決断しきれない。

※大谷翔平選手の父親の記者会見時のコメント

ちなみにもう1点は、メジャーに行くと発表した後だったので、日本ハムへ入団したら、球団等がバッシングを受け、迷惑をかけてしまうのではという思いもあったようです。

そして4回目の交渉を終え、最終的に日本ハムに入団する事を決意表明した大谷翔平選手は、入団を決意した理由について、記者会見でこのようにお話しています。

「アメリカで長くプレイするためには最初から行った方がいいという考えがだんだん変わってきた。二刀流も僕自身は考えてはいなかったけど、栗山監督に『誰も歩いたことのない道を歩いて欲しい』と言われたことが決断の決め手となりました」

なお、二刀流の提案をしたのは交渉3回目が初めてだったそうです。

その時、大谷翔平選手は、『そんなのもあるのかな』と言う感じでクスッと笑いながら話を聞いていたのだとか。

なんだか大谷翔平選手の笑った情景が想像できますね。

「二刀流」育成のスタート!栗山監督の想いは?

日本ハムへの決意表明をしてもらったら、日本ハム側は、さぞ喜びに満ちた事かと思ったら、栗山監督はうれしかったのは最初の一瞬だけだったと語っています。

これまで前例がない二刀流と言う道ですが、栗山監督も相当、プレッシャーを感じていたようです。

「日本ハムに入ります」と聞いた際、栗山監督は「本当に怖かった。良かったねというのは0.5秒くらい。」と言っていました。

大谷翔平選手は、打つ才能も投げる才能も両方長けていたので、栗山監督は「ピッチャーバッターかを野球の神様以外決められない。決め手はいけない。じゃあ2つやりましょう!できますよ!」そう思ったそうです。

一方で、現実を考えた時に、絶対何とかしなくちゃいけないと思い、とにかく怖かったという思いも後に明かしています。
とても責任を感じていたんですね。

こうして、栗山監督と大谷翔平の二刀流を目指すという前例のない挑戦が始まったのです。

これが二刀流誕生のきっかけであり、原点でした。

 

ピッチャーとバッターどっちが好き?

二刀流の大谷翔平選手ですが、『実はどっちが好き』などはあるのでしょうか。

ちなみに、大谷翔平選手は最初の1年はピッチャーをやっていない事から、バッターの経験の方が1年長いそうです。

そんな中で好きな方は、「ピッチャー」だと言います。

ピッチャーが好きな理由は、背負っている感じがするからだそう。

「やっぱりピッチャーにかかる比重と言うか勝負が決まるという比重が断然高いですし、ゲームを壊してしまう可能性も持っているので、そういう意味ではやっぱり試合はピッチャーの方が、やりがいと言うか、凄く集中してもいきますし。※『嵐にしやがれ』でニノへ語った言葉」

一方で、練習は「バッターの方が全然好きです」と言っていました。

やっぱり投げるって、相当キツイのかもしれませんね。

 

大谷翔平いつから二刀流?

大谷翔平選手が二刀流になったのは、日本ハムに入団してキャンプから、二刀流選手としてのスタートを切ったそうです。

日本ハム前GM・現スカウト顧問の山田正雄さんは日刊ゲンダイのインタビューで、二刀流選手としてスタートできたのは、栗山監督のおかげだと言っていました。

選手は現場に預けることから、起用法も現場に任せているそうです。

普通であれば、前例のないことを、「僕がやってもいいんですか?」と不安になったりするものですが、大谷翔平選手は、何も言わなかったそうです。

不安や悩みがあるようにも見えず、メンタルや考え方は一般的な高卒選手じゃないと山田顧問から見て思ったのだとか。

一方で、両親は前例がない事をしたら「いじめられたり、迷惑になったりしないのか」と不安もあったようですが、さすがプロの選手たちは、人の事なんて気にしていられないくらい、自分の目の前の課題で、精いっぱいのようです。

もし、どんな環境でも、いじめがあるならば、その人が目の前の事に集中していないということなのかもしれませんね。

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大谷翔平の二刀流はいつからできっかけは柔軟な提案!ピッチャーとバッターどっちが好き?まとめ

大谷翔平選手が二刀流になった原点をさかのぼりご紹介しました。

では、今回のまとめです。

・大谷翔平選手の二刀流のきっかけは、18歳の指名の際、日本ハムの栗山監督の熱意によって、二刀流という、誰も経験してこなかった道を切り開き、提案そして育成した事から生まれた。

・大谷翔平選手の二刀流は、日本ハム入団後のキャンプ時から開始。

・大谷選手が好きなのはピッチャーだけど、練習はバッターの方が好き。

・ピッチャーが好きな理由は、試合を背負う立場にありやりがいがあるから。

大谷選手の最初の希望通り、高校を卒業してメジャーにそのまま行っていたら、二刀流の大谷翔平選手はこの世に存在しなかったかもしれません。

栗山監督の、大谷翔平選手を二刀流として育てようという熱意あっての今があるのでしょう。

あれから11年の年月が経過し、2023年のwbcで再び、栗林監督の元、侍ジャパンとして活躍し、信頼関係で強く結ばれている様子に、たくさんの感動をもらえました。

これからも、それぞれの活躍から目が離せませんね。

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