
こんにちは!プロ野球を観ると、つい家族のドラマを妄想してしまう“野球マニア兼家族ウォッチャー”のtatukoです。
今回は、千葉ロッテマリーンズの俊足イケメン外野手・藤原恭大(ふじわら・きょうた)選手の「実家の家族」にスポットを当ててみました。
高校時代は大阪桐蔭で春夏連覇を成し遂げ、「甲子園の申し子」とまで言われた逸材。そんな彼を育て上げた家族とは、一体どんな人たちなのでしょうか?
私の経験では、どんな一流アスリートにも“支えてくれた人”の存在が欠かせません。そして今回の藤原家も、まさに感動とユーモアの宝庫でした…!
藤原恭大選手の家族構成|実家は大阪で4人家族!しかも焼き鳥屋!?
藤原恭大選手は、大阪府豊中市出身。
実家の家族構成は、父・母・兄・恭大選手の4人です。
私も以前、大阪に住んでいたことがあるのですが、関西の人ってほんと情に厚い!
まさに藤原家もそのイメージどおりのあったか家族。
ちなみに、藤原恭大選手が野球を始めたのは小学1年生の頃。少年野球チーム「園和北フレンズ」に入り、将来のスターがひっそりと始動していたわけですね。
中学では「枚方ボーイズ」に所属し、全国制覇まで経験。その後は名門・大阪桐蔭高校に進学し、なんと3年時には春夏連覇を達成。これ、プロへの“超特急切符”ですよ!
そして実家がまたすごい。なんと、ご両親が営むのは…焼き鳥屋です!
お店の名前は「花火」。
2016年から大阪府豊中市で営業していました。
しかも、藤原恭大選手が高校生のときに開業されたとのことで、もしかして野球の遠征費を稼ぐためだったのでは…と勝手に妄想してしまいました(笑)
実は私も実家が焼き鳥屋でしたが、青春時代のエネルギー源としては最強ですよ。
もうタンパク質まみれの青春ですよ!
そして、残念なお知らせも…
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お店は、2024年3月31日(日)をもちまして、閉店してしまったようです。
藤原恭大選手の胃袋を満たしてきた焼き鳥屋さんの閉店は寂しいですが、きっと藤原恭大選手選手の好物は父親が作った焼き鳥であることは、今もきっと変わらないことでしょう。
だって、実家が焼き鳥屋だった私も好物が今でも焼き鳥ですから(*^^*)
父・藤原史成さん|職人魂と家族愛がすごい!「送迎2時間半男」の伝説
父親のお名前は、藤原史成(ふじわら・ふみなり)さん。
この方が凄い!
焼き鳥屋「花火」の店主をしながらなんと機械プラントの会社を経営していたとか!
焼き鳥は副業としてはじめたそう。
まさに“職人魂とチャレンジ精神のハイブリッド”ですね!
私の知り合いで飲食店に転向した人もいますが、だいたい1年で撤退してました…。
父親には、それだけ熱意と努力があるということ。
しかも藤原恭大選手が野球に興味を持ったきっかけも、父・史成さんだったそうで、小1のときに野球チームへ連れて行ったのが始まり。
バドミントンの羽根で素振り練習を一緒にしていたエピソードは、まさに“昭和の熱血パパ”そのもの!
高校時代には、毎朝2時間半をかけて藤原恭大選手を学校まで送り迎え。私なんて15分の徒歩通学でも「ちょっと疲れた…」とか言ってたのに、このパワフルさ、まさに“親バカ”という名の最強サポーター!
「まだできる!もっと上を目指せる!」と息子にかけ続けた言葉が、プロ選手の背中を押し続けたのでしょう。
母・藤原道子さん|元モデル級の美しさと、内助の功がすごすぎる!
母・藤原道子さんは、その美貌でも話題に!なんと藤原恭大選手がドラフト指名された際、「えっ!?お母さん、モデルさんですか?」とネットがざわついたほど。

私の経験では、美男美女の子どもって本当に美形に育ちます。しかも性格までイケメンというのが藤原家のすごいところ。
藤原恭大選手が高校2年のとき、右膝をケガしてしまったことがありました。秋の大事な時期で、ウエイトトレーニングや走り込みができなくなるという…これはもう選手生命にも関わるほどの大ピンチ。
そんなときに病院まで送迎をし、支えたのが母・道子さん。「焦らないで、今できることを考えて」と声をかけてくれたそうです。
この言葉、私も人生で10回くらい欲しかった…。
母の支えを受けて、藤原恭大選手は打撃フォームを改善するなど、自分なりに工夫し続け、結果を出し続けました。
まさに「美しさと強さの融合」。これぞ“プロ野球選手の母”の鏡!

藤原恭大選手にきょうだいはいる?兄・藤原海成さんとの“野球DNA”に感動!
さて、ここで気になるのが「藤原恭大選手にはきょうだいがいるのか?」という点。
実は、藤原選手には2歳年上の兄・藤原海成(ふじわら かいせい)さんがいらっしゃいます!
兄の海成さんも野球をしており、なんとあの名門・PL学園の野球部に所属していたんです。
大阪桐蔭(弟)とPL学園(兄)って、もう大阪野球界の“ツートップ兄弟”じゃないですか…!
私の経験では、兄弟や姉妹が同じ競技をやっていると、どうしても「比較される」ことが多いんですよね。
うちの姉はスポーツ万能ですが、私は…体育の授業で2を取った人間です(笑)
それはさておき、海成さんはPL学園の“最後の野球部員”の1人として在籍していたそうです。
PLといえば、甲子園を何度も沸かせた超名門。
ですが、部員減少や指導体制の問題から休部状態に。そんな中でも「最後までやりきる」という姿勢に、グッときました。
海成さんは高校卒業後も野球を続け、大阪経済法科大学に進学。まさに“野球に人生を捧げた男”といった感じです。
現在は、実家の焼き鳥屋「花火」の運営に携わっているとのこと。焼き鳥屋で汗を流す兄、プロ野球で汗を流す弟。これはもう“汗と涙の兄弟ストーリー”じゃないですか!
しかも、藤原恭大選手が野球を始めたのは、そんな兄の影響が大きかったそうです。兄・海成さんは、PL学園時代に甲子園出場こそ叶いませんでしたが、夢は弟に託されたようなもの。
結果として、藤原恭大選手は甲子園で4番バッターとして活躍し、春夏連覇というとんでもない成績を残しています。
私が兄だったら、これはもう泣きます。焼き鳥を焼きながら号泣します(煙で涙か汗かわからないやつ)。
こういった“兄の夢を弟が叶える”構図って、いつの時代も胸を熱くしますよね。
そして、きょうだいで野球を極めた経験が、今の藤原恭大選手の精神力やプレースタイルの芯になっているのだと思います。
まとめ|藤原恭大選手の家族は「焼き鳥と情熱」に包まれていた!

では、今回のまとめです。
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藤原恭大選手は大阪府豊中市出身で、4人家族(父・母・兄・本人)。
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父・史成さんは元・機械プラント会社の経営者で、現在は焼き鳥屋「花火」を営んでいる。
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藤原選手が野球を始めたきっかけは父親の勧め。自宅ではバドミントンの羽根で素振り練習も。
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高校時代には父が毎日2時間半かけて学校に送迎していた。
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母・道子さんは美人と話題になり、ドラフト会議では元モデル疑惑も出たほど。
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母は怪我で落ち込んだ藤原選手に「焦らず今できることを」と励まし、支えた。
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兄・海成さんはPL学園の野球部に所属していた最後の部員の1人。
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兄は高校卒業後も野球を続け、大阪経済法科大学へ進学。
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現在は実家の焼き鳥屋「花火」の運営に携わっている。
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藤原選手が野球を続けたのは、兄・海成さんの影響が大きい。
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兄が果たせなかった甲子園出場・優勝の夢を、弟が実現した。
藤原恭大選手の強さの裏には、間違いなく「家族の物語」がありました。
熱血で行動派の父、穏やかで芯の強い母、そして静かに背中を押し続けた兄。
それぞれが違った形で藤原恭大選手を支え、導いてきた様子が伝わり、思わず胸が熱くなりました。
私の経験上、何かを本気で極める人には、必ず“心の根っこ”を作ってくれた存在がいます。藤原家の場合、それは家族全員。
焼き鳥屋のカウンターの奥には、夢と汗と愛情がじわじわとしみ込んでいる…。そんな温かな光景が浮かびました。
これからも藤原恭大選手がプレーで輝き続けるたびに、家族の応援が心に届いているのだろうなと、勝手に感じてしまいます。