オールスターゲームに史上初めて投打の二刀流で出場し、ピッチャーとして勝ち投手となった日本の宝、大谷翔平選手。
今日本中、そして世界中が彼に夢中です。
大谷翔平選手の人気の理由は、野球が上手なのはもちろんの事、礼儀正しさと親しみやすさを持ち合わせた、その人柄にもあるようです。
やはり大谷選手の活躍のその背景には、彼を育て見守り続けてきた、両親の存在が大きいでしょう。
実際に、大谷翔平選手の野球が最強なのは、本人の努力はもちろんですが、野球選手だった父親の指導や、バトミントン選手だった母親の両親二人の遺伝の要因が大きいようです。
そこで今回は、大谷翔平選手のご両親(父・母)や兄・姉のご家族についてご紹介します。
大谷翔平選手プロフィール
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名前:大谷翔平
生年月日:1994年7月5日
血液型:B型
出身地:岩手県奥州市
出身校:花巻東高校
身長:193㎝
体重:92キロ
家族構成:父、母、兄、姉。3人きょうだいの末っ子。
投打:右投左打
経歴
北海道日本ハムファイターズ(2013-2017)背番号は「11」
ロサンゼルス・エンゼルス(2018-)
父親の影響もあり、小学校3年生の頃から野球を始め全国大会に出場していた大谷翔平選手は、小学校5年生にはすでに110km/hという早い球を投げていました。
当時の大谷翔平選手は、出身地が同じく岩手県出身のプロ野球選手・菊池雄星選手に憧れ、彼の出身校である花巻東高校へ進み、「ドラフトで菊池雄星を越える8球団から1位指名を受ける選手になる」ことを目標に掲げ、練習に励んでいました。
・高校1年生 「4番・右翼手」最速147km/hを記録
・高校2年生 最速151km/hを記録。「みちのくのダルビッシュ」と呼ばれ話題となる。
・第93回全国高等学校野球選手権大会初戦の帝京高校戦では骨端線損傷により、4回途中から登板し、当時高校2年生最速タイ記録の150km/hを記録した後に治療に専念。
・3年生になる直前の第84回選抜高等学校野球大会初戦で敗退してしまうも、3年生の夏の岩手大会の準決勝・一関学院高校戦でアマチュア野球史上初となる160km/hを記録。
・3年生の9月に第25回AAA世界野球選手権大会の日本代表に選出し、最速155km/hを記録するも敗戦。
・3年生の9月18日、プロ志望届を提出。
ドラフト会議ではファイターズが大谷を1巡目で単独指名し交渉権を獲得し、に北海道日本ハムファイターズもドラフト会議で1位指名しました。
大谷翔平選手はかねてからアメリカでやる事が目標だったことから、指名挨拶のため日本ハムから訪問を受けた際にも面会しなかったのですが、その後、2度目の訪問で指名挨拶を受け、両親を交えた入団交渉を4度に渡り行い、前年までダルビッシュ有が着用していた背番号11、投手と打者の「二刀流」育成プラン等を提示された結果、2013年に、将来的にはメジャーへ行くと志し、日本ハムに入団しました。
その時の提示された年俸は、契約金1億円+出来高払い5,000万円、年俸1,500万円(推定)というものでした。
大谷翔平実家・家族構成
さて、ここからはさっそく大谷翔平選手のご家族のお話をしていきましょう♪
まず、大谷翔平選手の実家・家族構成は以下の5人家族です。
父親:大谷徹さん
母親:大谷加代子さん
兄:大谷龍太さん 6歳年上
姉:大谷結香さん 2歳年上
弟:大谷翔平選手
大谷翔平選手の父親ってどんな人?画像・名前・仕事・勤務先・年齢などのプロフィール
大谷翔平選手の父親の名前:大谷 徹
大谷翔平選手の父親の生年月日:1962年生まれ
大谷翔平選手の父親の出身地:岩手県
大谷翔平選手の父親の出身校:岩手県立黒沢尻工業高等学校出身
大谷翔平選手の父親の仕事・経歴:元三菱重工横浜野球部の社会人野球プレイヤー
大谷翔平選手の父親の徹さんは三菱重工横浜で社会人野球のプレーヤーでした。
大谷選手が小学2年生から野球を始め「水沢リトル」に入ると、父親はチームのコーチをかって出た後、監督も務めています。
さらに大谷翔平選手が中学進学後に「一関リトルシニア」を巣立った後も少年野球指導を続け、2014年には徹さんは「金ケ崎リトルシニア」を立ち上げ監督を務めています。
大谷 父指導の金ケ崎リトルシニアを8・6オリ戦に招待― スポニチ Sponichi Annex 野球 https://t.co/pjlzaQ518n
— mamo_shohei_0705 (@Mamosho0705) August 1, 2017
という事で、大谷翔平選手の父親がいかに野球を愛しているかが分かったところで、少し、徹さんの野球人生を、学生時代から振り返ってみましょう。
大谷翔平の父・徹さんの学生時代から社会人まで
父親の勧めで中学校2年生から野球を始めた大谷翔平選手の父・徹さんは、エース兼4番打者として活躍し、県内の野球強豪高校からも注目を集める程野球が上手な少年でした。
高校を卒業後は、出身校の黒沢尻工野球部OBの先輩の紹介で、三菱重工横浜のセレクションを受けさせてもらえることとなり、野球選手として入社しています。
社会人野球の1日ってどんな感じなのか気になりますよね。
お仕事は午前中の3、4時間くらいで、資料作成やコピー取りなど簡単なものだったようです。
そして、午後から、野球部の練習に明け暮れるという毎日を送っていたそうです。
ちなみに同期には、阪急(現オリックス)に入団した飯塚富司さんもいらっしゃったそうですよ。いかに、父親の野球の才能も期待されていたレベルなのかがわかりますね。
ところが父親の徹さんが24歳の時に、野球部の臼井喜久男監督から呼び出されます。
監督は選手の士気を上げる為にわざと、「おまえなんかもう、使わないぞ」と言うつもりで「来季は戦力として使うつもりはない」と伝えると、大谷翔平選手の父親は戦力外通告を受けたと真に受け、「そっちがその気なら、辞めてやる――」とカッとなって辞めてしまったそうです。
そして父親の徹さんは三菱重工横浜の野球部を引退し、同時期に大谷翔平選手の母親である加代子さんと結婚をしました。
横浜から岩手へ引っ越しをしたのは、大谷翔平選手の父親が28歳の時で、長男が3歳の時でした。
お兄さんは大谷翔平選手野6歳年上なので、この時は、まだ大谷翔平選手は生まれてませんね。
岩手県出身の父親の徹さんは、子育ての為に持ち家が欲しいけれども、東京や神奈川で持つとなると相当なお金がかかるうえ、「子供たちが伸び伸びと暮らせるには、やはり田舎の方がよいのではないか。」と考えます。
子供にも野球をやらせたかった徹さんは、田舎の環境のほうがいいと思ったのです。
横浜出身だった妻は、戸惑いはあるものの理解し、「岩手の自動車メーカー工場での求人募集がある」と求人を探してきてくれ、就職活動を応援してくれたそうです。
父親の徹さんはその後、奥州市付近にある自動車のボディーメーカーで車体を造る過程のラインに携わる仕事をされましたが、2016年に翔平さんサポートや、少年野球チーム監督業に専念するという事で退職しています。
大谷選手の兄も野球をやっていましたが、お兄ちゃんが野球を始めたころは、父親は新し仕事で多忙だったのでしょう。
兄には野球の指導を十分してあげることが出来なかったことを申し訳ないと思いながらも、弟の大谷翔平選手の時は、自分がかなえられなかった夢を託すかのようにたくさん野球を指導していきました。
父親の現役時代、レギュラーとして試合に出場していたのは1年ごとのペースではありながらも、主力に近いところでプレーしていたことから、大谷翔平選手の小学校時代には監督を、水沢南中時代に所属した一関市にあるシニアリーグのチームではコーチを務めています。
大谷翔平選手の野球の基礎はまさに父親の指導者の賜物だったのです。
大谷翔平選手の母親ってどんな人?画像・名前・仕事・年齢などのプロフィール
大谷翔平選手の母親の名前:大谷加代子
大谷翔平選手の母親の生年月日:1963年生まれ
大谷翔平選手の母親の出身地:横浜市旭区
大谷翔平選手の母親の出身校:神奈川県立横浜立野高校
大谷翔平選手の母親・経歴:三菱重工横浜製作所に実業団選手 バトミントン
大谷翔平選手の母親がバトミントンを始めたのは、小学校5年生の時でした。
当時の自宅の近くのクラブチームにメンバーとして所属していました。
中学3生の時、神奈川県代表のメンバーに選ばれ、全国大会へ出場すると、準優勝という好成績を残しています。
大谷翔平選手の母親の加代子さんは、92年のバルセロナ五輪に出場した陣内貴美子さんとの、何度も対戦した事があるのだそうです。
中学卒業後は、神奈川県立横浜立野高校に進学し、インターハイに出場するなど輝かしい実積を残していらっしゃいます。
そして三菱重工横浜に入社し、勤労部安全衛生、安全保安課に勤務、バドミントン部に所属していた頃に、徹さんと出会いました。
大谷翔平選手の兄ってどんな人?画像・名前・仕事・年齢などのプロフィール
大谷翔平選手には6歳年上の兄と2歳違いのお姉さんがいます。
翔平選手は末っ子なんですね。
大谷翔平選手の兄の名前:大谷龍太
大谷翔平選手の兄の生年月日:1988年3月20日
大谷翔平選手の兄の出身地:神奈川県横浜市
大谷翔平選手の兄の出身校:岩手県県立前沢高校
大谷翔平選手の兄・経歴:社会人野球チームのトヨタ自動車東日本硬式野球部に所属
大谷翔平選手の兄・龍太さんは幼い頃は、地元のスポーツ少年団で野球をしていました。
冒頭でお伝えした通り、この頃は、父親は多忙な時期だった為、龍太さんに手取り足取り野球を教えてあげる事やキャッチボールに付き合う時間が取れなかったそうです。
そんな幼少期を過ぎ、中学時代に軟式野球部に所属しました。
岩手県立前沢高等学校でも野球を続け、卒業後は一般企業に勤めながら、約100年続く伝統あるクラブチームクラブチーム水沢駒形野球倶楽部に4年間所属していました。
その後、高知ファイティングドッグスに入団し、プロをイメージしていたそうです。
「プロ野球は小さい頃からの夢。実力はなかったんですけど、やるからには上を目指したいと思っていました。でも正直、高校までは野球を本格的に教わったことがなくて、独学みたいなところがありましたからね。」
その後、2012年父親が勤務していた自動車メーカーが新たに硬式野球部を発足するという事で、トヨタ自動車東日本岩手工場の野球部に誘われ、入部しています。
父は、兄の龍太さんに野球を教えてあげられなかった事を、申し訳なかったと思っているそうです。
でも弟の成功はきっと、栄誉な事だと感じているはずだね。
2018年の事ですが、兄が所属していたトヨタ自動車東日本が、創部7年目で社会人の都市対抗野球に初出場する事が決まった際、弟の大谷翔平選手からLINEの連絡が来たそうです。
この時のLINEの内容は、たったの5文字
「おめでとう」
絵文字も何もなく、非常にシンプルな5文字でしたが、大谷翔平選手らしいですね(笑)
お兄さんも5文字で「ありがとう」と返信したそうです(笑)
兄弟のベタベタしていない感じがまたよいですね。
大谷翔平選手の姉ってどんな人?画像・名前・仕事・年齢などのプロフィール
大谷翔平選手の姉の名前:大谷 結香
大谷翔平選手の姉の生年月日:1992年
大谷翔平選手の姉の出身地:岩手県奥州市
大谷翔平選手の姉の出身校:不明
大谷翔平選手の姉・経歴:看護師
大谷翔平選手のお姉さんは、学生時代にバレーボールに打ち込んでいたそうです。
姉の結香さんは27歳の時に、大谷翔平選手の母校である花巻東の野球部で部長を務める流石裕之さんと2020年に結婚をされています。
ごく近しい身内や佐々木監督以外、交際していた事実を知らなかったそうで、みんな驚いたのだとか(笑)
なかなかやりますね( ´∀` )
2020年1月に東京都内のホテルで行われた披露宴では、日本ハムから栗山監督、厚沢ベンチコーチなど豪華な面々がそろい和やかな宴の時間をすごされたようですね。
ちなみに栗山監督が乾杯の音頭を取ったそうですよ。これまたすごいことですね!
/https://drafanclub.jp/shohei-otani-muscle/
大谷翔平選手の実家・家族はスポーツ万能で凄い!家族構成は父親・母親・兄・姉の5人 まとめ
という事で今回は大谷翔平選手のご家族についてご紹介しました。
大谷翔平選手が野球の才能に長けているのは、ご両親からもらった遺伝子が大いに占めているのと、やはり、あの時父親が決断した、地方への移住というのは大いにあるような気がします。
東京や横浜にいたら、遊ぶところもたくさんあるし、野球に専念する環境はどちらかというと岩手県だと思いました。
また、岩手の人柄って、本当に皆さんすごくいいんですよね。
何度か仕事で訪れた事があるのですが、いつもそう思っていました。
新幹線の水沢江刺駅を降りると、大谷選手の懸垂幕が大きく張られていて、地域が誇る大スターであり凄く愛されているのが伝わってきます。
美味しい魚で育ったのもよいのではないでしょうか。
そして、皆さんが、今一番気になるのは、大谷翔平選手が一体どんな方とご結婚されるかというところですね。
結婚なんてニュースが飛び込んできたら、ロスになる人多いんだろうな・・・
今はとにかく、大谷翔平選手が野球に専念し、好成績を出し続けられますよう応援します!
という事で、今回は最後までお読みいただきありがとうございました。