2018年に行われたドラフト会議で、巨人から育成ドラフト3位指名を受けプロ入りしました。
巨人が高卒選手と育成契約するのは、沼田翔平選手が初だったそうです。
2020年シーズンは新型コロナウイルス流行の関係で開幕が延期となりましたが、沼田翔平選手は調整期間の姿勢が首脳陣から高く評価され支配下登録を勝ち取りました。
巨人の1軍では2020年シーズンに5試合、2021年シーズンには2試合に登板したものの通算防御率9.45と結果を残すことはできませんでした。
2021年シーズン終了後には自由契約を通告され、育成で再契約。
2022年シーズン終了後、沼田翔平選手は巨人から戦力外通告を受けてしまいました。
現役続行志願を表明した沼田翔平選手は、2023年からヤクルトと育成契約を結ぶことができました。
2023年10月22日に行われた「みやざきフェニックス・リーグ」の対広島戦で先発投手として登板した沼田翔平選手は、視察に来ている高津臣吾監督の前で7回2失点の好投を披露。
1度巨人をクビになってしまった沼田翔平選手ですが、ヤクルトで復活を遂げるのではないかと注目を集めています。
またルックスがよく、若いことからヤクルトの次世代スター候補としても期待されているようです。
そこで今回は、『沼田翔平選手の実家・家族|両親はどんな人?兄も野球が凄かった!』と題して沼田翔平選手の両親やきょうだいの情報について調査しましたのでまとめていきます。
沼田翔平選手の実家家族構成は?
沼田翔平選手の家族構成は、両親と兄1人です。
沼田翔平選手は北海道旭川市出身で、高校までずっと旭川市内の学校に進学し続けているため実家も旭川市にあるのではないかと推測されます。
沼田翔平選手は小学校の頃にシラカバアレルギーを発症した関係で1度野球から離れています。
バレーボールに転向し北海道大会で優勝を経験したものの、中学時代からは再び野球に転向するという異色の経歴の持ち主です。
沼田翔平選手が野球をしたりバレーボールをしたりすることを受け入れていたことを考えると、金銭的に困っているような家庭ではなかったことが想像できます。
後に語る沼田翔平選手の兄の経歴を考えても、子供達のやりたいスポーツをのびのびとできるような環境が整っていたと考えられます。
沼田翔平選手の両親はどんな人?
沼田翔平選手の父親に関しての情報は、公けにされていないようで、全く出てきませんでした。
本名・年齢・顔写真・職業全て不明だったため、一般人であることは確かでしょう。
沼田翔平選手の母親は、美智代さんという名前です。
年齢・顔写真・職業に関しては非公表でした。
2024年2月27日に行われた韓国の野球チームであるKIAタイガースとの練習試合では、沼田翔平選手は抑え登板していました。
練習試合は母親が見に来ていたそうです。
母親の前で沼田翔平選手は3者凡退に抑え、支配下登録に向けてアピールに成功しました。
最初、沼田翔平選手のご両親は高校卒業後にプロ入りする事に反対していたようです。
将来のことを考えて大学進学を勧めていたようですが、沼田翔平選手は両親の反対を押し切って大学に進学せずプロ志望届を提出しました。
大学進学しなかったことで家庭内がギクシャクすることもあったかもしれませんが、現在は試合を見に来るぐらいですから沼田翔平選手の決断を尊重し、応援しているのではないでしょうか。
沼田翔平選手の兄はどんな人?高校時代はエースだった?
沼田翔平選手の兄は、真輝(まさき)さんという名前です。
9歳年上なので、沼田翔平選手の幼少期はとても頼りがいのあるお兄さんだったと思われます。
兄の真輝さんは沼田翔平選手と同じく、野球をしていました。
小学生の頃野球から離れてバレーボールに転向した時も、兄が野球をしている姿を見て、沼田翔平選手は野球をもう一度始めようと思えたそうです。
幼少期は、時間があれば沼田翔平選手とキャッチボールに付き合ってくれるような優しいお兄さんだったそうですよ。
兄は旭川北都商業高等学校に進学し、野球部ではエースとして活躍していました。
旭川北都商業高等学校は、校舎の老朽化により2011年に北海道旭川南高等学校に統合され閉校となったため詳しい記録は残っていませんが、真輝さんが所属していた頃、野球部は「真輝さんのチーム」と言われるほどだったそうです。
このままプロ入りも期待されていたかと思いますが、兄の真輝さんに悲劇が襲います。
2009年2月、当時高校3年生真輝さんは、投げ込み中に急に肩が上がらなくなってしまったのです。
まさかの筋断裂でした。
旭川北都商業高等学校は、統合を予定されていたため野球部員の募集を停止していました。
そのため、結果的に高校3年生が酷使されることになってしまったのが原因だと考えられています。
兄の真輝さんは、麻酔を打って試合に登板することもあったそうです。
筋断裂が原因となったのか、兄の真輝さんはプロ野球の夢を諦めることになってしまいました。
真輝さんは釧路公立大学に進学後も野球部に所属していたようですが、プロ志望届を出すことはありませんでした。
筋断裂や高校時代の酷使が無ければ、兄は大学卒業後にプロ志望届を出していた可能性は十分あったでしょう。
兄弟でプロ入りした姿も見てみたかったですね。
兄は自分が諦めることになったプロ野球の夢を弟に託そうと、沼田翔平選手の野球に関するサポートに徹するようになります。
中学生の沼田翔平選手に対し、兄の真輝さんは現在日本ハムに所属している玉井大翔選手の投球フォームを参考するようにアドバイスします。
大学時代に対戦していた縁からなのか、玉井大翔選手の投球動画まで撮影してきてくれたそうです。
高校野球部引退後、進路に悩んでいる沼田翔平選手に対し大学進学を勧める両親とは対照的に、プロ志望届提出を勧めたのは真輝さんでした。
「『夢を求めていいんじゃない』って。背中を押してくれましたね。しっかり。『大学行っても後悔しないと思うし、プロに行っても後悔しないと思う。プロに行ったら、大学に行ったことは分からないから後悔しないよ』と言われて。それなら挑戦しようと思いました」
引用:サンスポ
兄が背中を押してくれたことを、は感謝しているようです。
兄がプロ野球選手になる夢を諦めざるを得なかったこともあり、は真輝さんの分も頑張ろうとプロ野球の世界で努力し続けているのかもしれませんね。
まとめ:沼田翔平選手は兄と二人三脚でプロ入りしていた!
沼田翔平選手の父親に関する情報は全く出てきませんでしたが、母親の美智代さんは、沼田翔平選手が出場する試合を北海道からはるばる見に来るぐらい応援しているようですね。
沼田翔平選手は兄の真輝さんの影響を受けて野球を続け、真輝さんのサポートを受けながらプロ入りを果たしていました。
沼田翔平選手の努力は巨人時代にも知られており、入団当時身長175㎝・体重64kg・体脂肪率5%と線が細かったのですが、2020年12月には78kgまで増量に成功しています。
ヤクルトと育成契約後、体重は80kgに達したそうです。
ただ、現在も沼田翔平選手は育成契約で、結果を残せなければ2~3年で戦力外通告を再び受けてもおかしくない状態にいます。
2023年シーズンは2軍で主に先発だったものの、沼田翔平選手は「与えられた仕事を、喜んで何でもします。」とコメントしており、中継ぎや抑えに転向する可能性があります。
巨人から戦力外通告を受けた後、拾ってくれたヤクルトにはとても感謝しているようで、
「拾ってもらった分、ちゃんと力になりたいなという思いですね」
引用:サンスポ
ともコメントしています。
2023年シーズン終了後のオフシーズンでは、肉体改造や練習の成果が出ている試合が多いので、このまま支配下登録を勝ち取ってほしいですね。
最後までご覧いただきありがとうございました。