こんにちは!tatukoです。
米プロバスケットボールNBAの日本人初のドラフト1巡目指名で「ワシントン・ウィザーズ」に入団した八村塁選手。
日本人とベナン人のハーフとして生まれ、両親からもらったすばらしい遺伝子を、自らの努力によってその才能を開花させ、今最も注目を集めているバスケットボール選手ですね。
203cmの長身を生かした豪快なダンクは、まさに100年に一人の逸材と言っても過言ではないでしょう。
八村塁選手の人気の理由は、強さだけでなく、、礼儀正しく謙虚な人柄が魅力でもあるようです。
そこで、今回は以下についてまとめています。
- 八村塁選手の実家の家族構成
- 八村塁選手の父はどんな人?(国籍・画像・仕事・バスケの経験等)
- 八村塁選手の父はどんな人?(国籍・画像他)
- 八村塁選手のきょうだいについて
- 八村塁選手の実家の場所について
ササっと読めますので、ぜひ最後まで読んでみて下さいね♪
八村塁のプロフィール
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【生年月日1998年2月8日
バスケットボール選手になったきっかけ
今や、バスケ界を牽引する人物として脚光を浴びている八村塁選手ですが、幼少期はバスケではなく、当時マリーズで活躍していたイチロー選手に憧れていたことから、野球少年だったそうです。
そんな八村塁選手がバスケットボールと出会ったのは、13歳の時です。
中学生だった八村塁選手に、当時同じ野球部のチームメートが、毎朝『バスケやろうよ。入部テストを受けようよ』と誘ってきたそう。
バスケの興味がそれほどなかった八村塁選手にとってはそのお誘いが最初は「すごく厄介」だったと語っています。
断っていたのですが、2週間連続で誘われ続けるので、バスケの入部テストを受けたところ、コーチにすごく気に入られたそう。
バスケが未経験だった八村選手でしたが、最初から跳躍力がエリート級だったようです。
「中学時代のコーチは最初の練習で目の前でこう言いました。『お前はNBAに行くんだ』。僕は若くて、バカだったので、彼の言葉を信じました。そうだ、NBAに行くんだ、ってね」
八村は笑顔でこう振り返ったという。そして、野球少年は高校卒業後に海を渡り、米カレッジ界のスターとなった。
※THE ANSWER編集部 出典。
こうして、世界が注目するバスケットボール選手・八村塁選手が誕生したのです。
そのお友達に感謝ですね♪
八村塁の名前の由来は?
両親が付けたのかな?名前の由来は?
八村塁選手の名前の名付け親は、両親ではなく、祖父だそうですs。
名前の由来は、こんなきっかけから。
☆命名 塁の名付け親は野球好きの祖父。由来は野球のベース。
※スポニチ出典
なんと、バスケではなく、「野球のベース」からインスピレーションを得ていたのですね。
NBAのドラフト指名の時にも「NAME, RUI, MEANS “BASEBALL BASE” IN JAPANESE」と名前の説明が書いてあったそうですよ。
『塁』って響きも凄くカッコいい名前ですよね。
なんかキラキラネームで、八村塁選手の人生を象徴しているかのようなお名前です。
八村塁の実家の家族構成と両親の写真
ここからは、早速、八村塁選手の家族構成についてご紹介しまう。
八村塁選手の家族構成は、以下の6人家族です。
父:ザカリジャビル
母:八村麻紀子
本人:八村塁
弟:八村阿蓮(あれん)
妹①:八村安美菜(あみな)
妹②:八村まり
それぞれの活躍が素晴らしいので、お一人ずつご紹介していきますね♪
ドラフト会議の指名の際も両親が揃って出席し、喜び合っていた様子から、仲睦まじい夫婦なのかと思いきや、八村塁選手のご両親は、八村塁選手が中学校1年生の時に、離婚をされているそうでうす。
長男である八村塁選手手がまだ中学生と言う事は、弟や妹達はもっと小さかったので、母親が女手一つ子供達を育て上げたのは、大変だったのではないかとも思うのですが、離婚後の子供達は普通の父親とも会っていたので、「女で一つで育てたというわけでもない」ことを、母は週刊誌のインタビューで明かしています。
夫婦としての籍は外したけれども、子育てに関しては、離婚前と変わらず、協力し合って育てたということなのではないでしょうか。
円満離婚だった事が伺えます。
八村塁選手の両親①父親はエリート
- 名前:ザカリ・ジャビル
- 出身地:アフリカ・ベナン共和国
ベナン人として有名な、駐日ベナン大使・ゾマホンさんよりも前に、日本に訪日した父親のザカリさん。
父親のサガリさんは日本語の他、フランス語など7か国語を話し、学生時代は、奨学金でカイロ大学に留学するほど優勝でまさにエリートだったようです。
父親の現在の詳しい仕事については明かではありませんが、八村塁選手の生まれた富山県で居酒屋を経営していたとも言われています。現在は閉店してしまったのだとか。
また、父親も実は元バスケットボール選手という経歴があります。
どのくらいの実力があったのかはわかりませんが、八村塁選手のバスケットボールに適した身体能力と肉体のすばらしさは、まさに父親ゆずりなのでしょう。
八村塁選手の両親②母親は語学堪能
- 名前:八村麻紀子さん
- 出身地:富山県
- 職業:外国語活動講師
母親の麻紀子さんはニュージーランドに留学経験があり、語学が堪能で、英語とフランス語の教室を開ていたそうです。
仕事で忙しい中、県営住宅の清掃など、共同作業には必ず参加するなど、近所付き合いもしっかりとしていることから、良好な人間関係を築くのが上手な方のようです。
八村塁選手のいつ何時も謙虚なところは、周囲との調和を重んじることのできる母親の背中を見て育った事から、自然と身に付いたのかもしれませんね。
母は、息子(八村選手)が保育園の頃から、何かスポーツをさせた方がいいなと思っていたそうえす。
その理由は、保育園の時からすでに、他の子と違っていたのでしょう。
エネルギーがあり余っている感じるくらい活発で力も強かったそう。
母の見立てどおり、小学生の頃は野球と陸上に打ち込み、中学生でスケットボール部に入部するとメキメキと上達していったそうです。
八村塁のきょうだいは4人
4人きょうだいの長男として生まれた八村塁選手。
きょうだいそれぞれがスポーツの世界で活躍していて、やはり両親の遺伝と教育の賜物であることが伺えます。
どんなごきょうだいたちなのでしょうか。
八村塁の弟
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- 名前:八村阿蓮(あれん)さん
- 生年月日:1999年12月20日
- 身長:198㎝
八村塁選手の弟の阿蓮さんも、持ち前の身体能力を活かしてバスケをしています。
弟の阿蓮さんは、中学1年生から本格的にバスケットボールを始め、高校1年生の時にU―16の日本代表に初選出します。
さらにU―18日本代表とU―22日本代表も経験し、その後、男子プロバスケットボールB1リーグの群馬クレインサンダーズに所属し、活躍。
阿蓮さんの昔からの夢は、兄と一緒に日本代表に入り世界で戦える選手になることです。
その夢がまさに実現し、2023年からはサニーサイドアップとマネジメント契約をし、世界と戦う選手への第一歩を歩んでいます。すばらしいですね!
なお、学年で2つ違いの弟さんとは、高校時代、八村塁選手が3年生の時に、阿蓮さんは1年生でした。
当時同じバスケ部で、練習中、塁選手は阿蓮さんに、かなり厳しく指導していたそうです。
弟さんを気にかけての愛ある指導の結果、着実にお兄さんに近づいている阿蓮選手。
年々似てきましたね。
八村塁の妹①
八村塁の妹・安美菜、日本一挑む バスケ全国高校選手権https://t.co/HSdCAn0GdY
女子の明星学園(東京)で、米プロNBA・ウィザーズで活躍する八村塁の妹、八村安美菜(あみな)(3年)が湯沢翔北(秋田)との1回戦に出場した。
— 朝日新聞名古屋編集局 (@asahi_nagoya) December 23, 2019
- 名前:八村安美菜(あみな)さん
- 生年月日:非公開 4歳年下説あり
- 身長:174㎝
八村阿蓮の上の妹さんの安美菜さんも、兄の刺激を受け、中学校1年生の頃からバスケをやっていました。
東京の明星学園を卒のバスケ部では、リバウンドが得意で、センターポジションで活躍するも、「性格が優しすぎるところが弱点」と監督から指摘されていたようです。
2019年に、今後については「まだバスケットを続けるかどうか決めていない」と言っていましたが、その後、バスケでの報道がないことから、離れているのかもしれません。
選手としての活躍だけではない世界だと思いますから、今後、バスケットボール界に携わるお仕事をされるかもしれませんね。
八村塁の妹②
- 名前:八村まり
- 生年月日:不明
きょうだいの中でも末っ子の妹・まりさんについては情報がほとんどなく、バスケの報道がないことから、バスケの選手にはなっていないのかもしれませんね。
末っ子のまりさんを、八村塁選手はものすごくかわいがっているようです。
八村塁選手の中学時代は、ハーフということが当時の地元ではめずらしかったことから、いじめにあった経験があり、バスケ部のメンバーが守ってくれていたようなのですが、同じように、弟や妹がいじめられたときには、八村塁選手が、殴り込みに・・・いや守りに行っていたそうです。
兄弟喧嘩をすることはあっても、外の人から来られると、許せないという兄心があったようです。
そして、年の離れた下の妹さんの時は、もうお兄さんがすでにバスケ界のヒーローになっていたわけですから、妹さんがハーフだからといっていじめられる事はもうなかったのではないでしょうか。
むしろヒーローの兄のおかげで、クラスの人気者になっているかもしれません。
高校最後の大会の際の優勝記念撮影で、いちばん下の妹さんを抱っこして写真撮影をしていた2人の姿がとっても微笑ましく、素敵です。
ハーフである事を誇りに感じている、八村塁選手。
妹さんにもそのように伝えているようなお写真ですね。
八村塁の両親が住む実家の場所はどこ?
八村塁選手の出身地は富山県富山市です。
富山市立奥田小学校と奥田中学校を卒業していることから、ご実家の住所は、富山市奥田双葉町付近にあるのではないでしょうか。
ちなみにその後は、バスケの強豪校として有名な仙台大学附属明成高等学校を経て、ゴンザガ大学へ進学しています。
そして、八村塁選手が小学生のときから住んでいたのは、3LDKの県営住宅だったそうです。
奥田双葉町にある県営住宅かもしれませんね。
ちなみに現在、八村塁選手が住む、ワシントンの自宅がものすごくハイセンスハイクオリティなので併せてご紹介します。
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八村塁選手のお洒落なお部屋空間は、北欧デンマーク発祥のインテリアブランド「BoConcept(ボーコンセプト)」で揃えていて、八村選手がNBA入り後にこちらのインテリアブランドと契約していることから、ボーコンセプトさんが八村塁選手オンアメリカの自宅をトータルプロデュースしたそうです。
アメリカの自宅は一人で住んでいますが、家族がよく来てくれることから、家族が来た時に、ゆったりくつろげるように大きな家具やたくさん座れるソファーにこだわったそう。
その様子はYouTubeで見ることが出来ますよ。
八村塁の両親も凄い!家族構成をまとめ|父はエリート・母は語学教師できょうだいは4人 まとめ
八村塁選手の輝かしい功績と素晴らしい人格は、父の遺伝子の凄さと、母の謙虚さの2つの要素が作り上げた賜物と言っても過言ではないでしょう。
ハーフと言う偏見を経験した中で、ネガティブになってしまうのではなく、ペナン人の父親と日本人の母親のハーフである事に誇りをもち、自分がやるべき道に邁進された強いメンタルは、家族やバスケの仲間に支えられ応援されてのことだと思います。
それもこれも、八村塁選手がたくさんの人から愛される人だったでしょう。
これからのさらなる活躍が楽しみですね。
アスリートヘッドライン24はそんな、八村塁選手を応援しています。