
オリックスバファローズに所属していて、チームメイトからも親しまれる性格で活躍している中川圭太選手。
そんな中川圭太選手はどのような実家の家族によって支えられてきたのでしょうか?
両親やきょうだいとのエピソードについても気になるところです。
そこでこの記事では、中川圭太選手の実家の家族について、両親はどんな人なのか、きょうだいはいるのかなど調査してみました。
- 中川圭太選手の実家の家族構成は?
- 中川圭太選手の母親はどんな人でエピソードは?
- 中川圭太選手はいつから野球を始めてどんな子どもだった?
- 中川圭太選手の学生時代エピソード
ぜひ最後までお読みください!
中川圭太選手の家族構成|母子家庭で育った努力家!
中川圭太選手の実家の家族構成は、母親、中川圭太選手の2人家族です。
中川圭太選手の両親は、中川圭太選手が4歳ごろに離婚してしまったそうです。
そのため、中川圭太選手と父親に関するエピソードはほとんど見つかりませんでした。
また、きょうだいに関する情報もありませんでした。
中川圭太選手は一人っ子で育ってきたのでしょうね。
養育費などは払われていたようですが、父親との交友関係などについては見つかりませんでした。
中川圭太選手は4歳の時に両親が離婚したことについて、子どもながらも気づいていたそうです。
そのため、母親に対して「お父さんはいつ帰ってくるの?」と尋ねたこともあったそうです。
当時、母親は「お父さんが忙しいからしばらく帰ってこれない」と返したとのことでした。
咄嗟のウソとなってしまいましたが、母親は中川圭太選手が悲しまないようにするためにウソをついたのでしょう。
中川圭太選手は高校2年生の秋に離婚したことを母親からしっかりと伝えてもらったようです。
中川圭太選手は動揺したものの、母親に対して「嘘つきじゃないよ、優しい嘘をついてくれてありがとう」と話したそうです。
とても素敵な親子関係で育ってきたことがわかりますね。
母・律子さんの愛情エピソード|6万円のグローブに込めた思い
中川圭太選手の母親の名前は律子さんというそうです。
母親の律子さんは中川圭太選手の野球を支えていくことが生きがいだったようです。
母子家庭となっていた中川家であったため、家計が厳しい生活をしており、中学に進学するタイミングで硬式用のグローブが欲しいとお願いして買ってもらう際には、中川圭太選手は欲しかった6万円のグローブではなく、1万円のグローブを選んだそうです。
しかし、母親は中川圭太選手の夢がプロ野球選手になることとわかっていたため、道具が大事だからと6万円のグローブを買ってくれたそうです。
当時、中川圭太選手は絶対にプロになるという強い意気込みをし、結果としてプロ野球選手になり、大学時代になってもそのグローブは使い続けているとのことでした。
とても素敵な母親と子どものエピソードですよね。
母親の律子さんがずっと応援し続けてきてくれたからこそ、中川圭太選手は自身の力を発揮できているのだと思われます。
精神面でも支えてきてくれた存在なのでしょうね。
⚾中川圭太選手が野球を始めたきっかけ|おもちゃのバットからのスタート
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中川圭太選手が野球を始めた詳しい年齢については判明していないようです。
当時、まだ離婚をしていなかった父親が草野球をしていたそうで、草野球の場所に行くとチームの人がキャッチボールをしてくれたとのことでした。
そのため、4歳になる前から野球に触れていたということがわかりますよね。
中川圭太選手はどんどんと野球にのめり込んでいき、家の向かいにあった駐車場にて祖父とおもちゃのバットとボールで野球をしたことが、今までの野球人生の中で一番楽しかったエピソードなのだそうです。
遊びの中で野球に触れていき、そこから「楽しい」という感情が湧いたことで野球を続けていこうと思えたのでしょうね。
中川圭太選手は野球が楽しいものだと幼少期の頃にわかっていたため、サッカーやバスケットボールなどの他のスポーツには興味を示さなかったそうです。
小学校に入学してからはすぐに「尾崎ボーイズ」という野球チームに入団して、本格的に野球を始めています。
それほど中川圭太選手にとって野球は魅力的なスポーツだったのでしょうね。
また、小学生の頃には水泳を習っていた時期もあったそうです。
中川圭太選手にとってはあまり野球につながっていないと感じているそうですが、できなかった水泳を習うことで克服し、選手コースまで行けたのはすごいことですよね。
学生時代のエピソード|小学校・中学・高校・大学での成長

中川圭太選手の小学生時代はピッチャーとして試合に出ていたこともあったそうです。
しかし、なかなかボールがストライクゾーンに入らなかったことで、ピッチャーは続けずに内野手として活躍していました。
中学時代|硬式野球で日本代表に選出!
中学ではもともと軟式野球を続けるつもりでしたが、同じ市内にすごい子たちがいて、その子たちが「泉佐野シニア」に行くと言っていたことから、中川圭太選手もシニアにて硬式野球をすることに決めたそうです。
中学時代は野球を楽しむより、レベルアップの場所であったと話していて、全国大会へ出場した経験も持っています。
中学3年生の時には日本代表のメンバーにも選出され、どんどんと活躍の幅を広げていきました。
当初はシニアでプレーをするつもりがなかった中川圭太選手がここまで成長したのは、きっと相当なる努力があったからでしょう。
いろんな人に刺激を受けて成長をしていったのでしょうね。
高校時代|PL学園での試練
多くの高校からスカウトを受ける中、彼が選んだのは名門「PL学園」。
しかし、PL学園といえば、当時は部内の不祥事が問題となり、試合ができない時期も…。甲子園には出場できなかったものの、結果的には甲子園に出場することはなかったものの、人間として成長した高校生活だったのでしょう。
大学時代|東洋大学で主将に就任!
大学は東洋大学へ進学し、オープン戦の初戦から4番で起用されていました。
4年生ではキャプテンにも就任し、周りからの信頼も集めているような存在でした。
大学時代で結果を残していった中川圭太選手は、ドラフト会議にてオリックスバファローズから7位指名を受けてプロ入りをしています。



まとめ:中川圭太選手の家族・家族は母子家庭!生い立ちエピソードの詳細をご紹介!
今回は、中川圭太選手の実家の家族について、両親はどんな人なのか、きょうだいはいるのかなど調査してみました。
中川圭太選手の両親は、4歳の時に離婚してしまい、母子家庭で育ってきたということもあり、きょうだいについても情報が見つかりませんでした。
母親と共に親子二人三脚で頑張ってきたからこそ、中川圭太選手はプロとしても活躍し続けられているのでしょうね。
では、今回の記事のまとめです。
- 中川圭太選手の実家の家族構成は、母親、中川圭太選手の2人家族で、父親は4歳の時に離婚で家を離れ、きょうだいエピソードについてはなかったため、一人っ子として育ってきたのだと思われる。
- 中川圭太選手の母親は女手一つで中川圭太選手のことを育ててきていて、経済的にも苦しかった時期があったものの、プロ野球選手になりたい息子の夢を叶えるために硬式野球を始める際には6万円のグローブをプレゼントしていた。
- 中川圭太選手が野球を始めた時期は不明瞭であるものの、まだ父親がいた頃に草野球に連れていってもらい、そこでキャッチボールをしたことで野球の楽しさに触れ、小学生になってからは野球チームに所属し、本格的にプレーをし始めた。
- 中川圭太選手の学生時代は、中学では硬式野球チームに所属し日本代表メンバーに選ばれる経験をし、高校では不祥事などで対外試合ができない時期もあったものの人間として成長をし、大学では入部すぐから試合に出場し結果的にキャプテンとしてチームをまとめていくような存在として活躍をしていた。
中川圭太選手は子どもの頃には家計が厳しいような生活を強いられてしましたが、それでもめげずに野球を楽しみ続けてきました。
中川圭太選手のように結果を残すためには、きっと野球を楽しむことが大事なのでしょうね。
今後も中川圭太選手の活躍を応援していきましょう!