東北楽天ゴールデンイーグルスに所属している早川隆久選手は、大学卒業後プロ入りしてからコンスタントに活躍している選手ですよね。
そんな早川隆久選手の実家・家族について気になる人もいるのではないでしょうか?
父の仕事や家族エピソードについても知りたい人はいるでしょう。
そこでこの記事では、早川隆久選手の実家・家族についてや父の仕事、家族エピソードについてまとめてみました。
- 早川隆久選手の実家家族について!
- 早川隆久選手の父の仕事は何でエピソードは?
- 早川隆久選手の母はどんな人でエピソードは?
- 早川隆久選手にきょうだいはいる?
ぜひ最後までお読みください!
早川隆久選手の実家・家族について!
早川隆久選手の実家の家族構成は、祖父、父親、母親、姉2人、早川隆久選手の6人家族です。
<実家・家族構成>
- 祖父
- 父親
- 母親
- 姉2人
- 早川隆久選手
早川隆久選手の実家は千葉県横芝光町で、東日本大震災の時に津波被害にもあったそうです。
早川隆久選手は小学1年生の時にソフトボールを始め、野球に関することに触れてきました。
「家から通える」という条件であったため、近所のソフトボールクラブに入ったそうです。
また、中学に上がってからは交通費をかけて硬式のクラブに入るよりかはという思いで中学校の軟式野球部に所属していました。
中学校までは片道8キロの道のりがありましたが、「トレーニングの一環」と称して早川隆久選手は自転車にて通っていたそうです。
すでにこの時点から努力家な一面が垣間見得ていますよね。
早川隆久選手の進学した高校は木更津総合高校ですが、選んだきっかけは、はとこが在籍していて憧れていたからだそうです。
たくさんの強豪校からの誘いがあったそうですが、自分の行きたい学校をしっかりと選択できたというのは、早川隆久選手の意思の強さが伝わってきますよね。
高校時代は春、夏合わせて3回甲子園に出場し、高校3年生の時にはベスト8の成績を残しましたが、プロには進まずに大学へ進学しました。
大学4年生の時にはキャプテンに就任し、一歩ずつプロへの道を積み重ねてきました。
早川隆久選手は自分のために努力をすることを惜しまなかったものの、相手に対しても尽くす性格をしていて、周囲を思いやる性格をしています。
両親の支えのもと、大きく成長した早川隆久選手は大学4年生の秋にドラフト会議にて指名されて、東北楽天ゴールデンイーグルスに指名されています。
4球団競合の上でプロ入りしていて、それほど早川隆久選手が魅力的な選手であったことがわかりますよね。
では、どのような家族のもとで育ってきたのか見ていきましょう!
早川隆久選手の父の職業は?父親とのエピソードも
早川隆久選手の父親の名前は、早川徳治さんというそうです。
仕事については公けにされていないようです。
早川隆久選手が小さい頃には一緒にキャッチボールをしていたり、バッティングセンターにも付き合ってくれていたそうです。
早川隆久選手のきょうだいは姉が2人いるということで、念願の男の子だったのかもしれませんね。
そのため、一緒にさまざまなスポーツを楽しみたいと思っていたのかもしれません。
早川隆久選手は野球の他にはバスケットボールや陸上などもやってきたそうです。
小さいころからさまざまなスポーツをしてきたからこそ、今の野球選手としての活躍につながっているのでしょう。
父親の徳治さんは「真の敵は己の中にある」という言葉を早川隆久選手に贈ったことがあるそうです。
努力がどれだけ大切なのかを父親の徳治さんから教わったということで、スポーツの技術面だけではなく、精神面も教えてくれる素敵な父親であることが判明しています。
早川隆久選手の母はどんな人でエピソードは?
早川隆久選手の母親の名前は、早川優子さんというそうです。
母親の優子さんは、早川隆久選手が野球選手として育っていく上でさまざまなサポートをしてくれていました。
たとえば早川隆久選手はスライダーを投げますが、そのスライダーは母親の優子さんが変化球の本を買ってきてくれたことがきっかけで覚えたそうです。
きっと母親だからこそ、「この本を読めば何かレベルアップにつながるのかも」という思いを持っていたのでしょうね。
また、ハッキリとしたことも言うそうで、早川隆久選手が小学生の時に地元のマラソン大会で思ったような成績を残せなかったこともあるそうです。
その際には、母親の優子さんが早川隆久選手に対して「努力しなかったらそれまでの実力だよ」と声を掛けたとのことでした。
早川隆久選手は母親の優子さんにハッとさせられたようで、「努力が大事」ということがわかったそうです。
優しいながらも力強く支えてくれる母親のもとで育ったため、メンタル面も強く育ってきたのでしょうね。
ちなみに母親の優子さんは、早川隆久選手が小学校低学年の頃にはノックも打ってくれていたそうです。
早川隆久選手がなかなかうまくノックを捕球できずに不機嫌なそぶりを見せていると「そんなに不貞腐れてやるなら野球をやめなさい」とも言われていたそうです。
それでも野球をやめずに続けてきたのは、早川隆久選手は本当に野球が好きなのでしょうね。
現在ではこまめに連絡をして、早川隆久選手の活躍を応援しているとのことでした。
早川隆久選手に兄弟はいる?
早川隆久選手の兄弟には、男兄弟はいなく、姉が2人います。
年齢は7歳上と2歳上なのだそうです。
姉たちは早川隆久選手のことを「人に興味がなさすぎる」と言っているそうです。
きょうだいが言うからこそ、事実なのかもしれませんね。
また、早川隆久選手は周りに振り回されずに自分勝手な子どもだったそうです。
末っ子だからこそ自由にできるというところもあったのかもしれません。
きっと可愛がられて育ってきたのでしょうね。
早川隆久選手がプロ入りして初任給をもらった時には、姉2人と相談して両親に腕時計をプレゼントしたというエピソードもあるそうです。
家族思いなきょうだいと一緒に成長してきたことで、早川隆久選手も優しい性格に育っていったのでしょうね。
まとめ:早川隆久選手の父の職業は?実家・家族構成は6人で家族エピソードも総まとめ
早川隆久選手の実家の家族について調査してみたところ、両親には比較的厳しく育てられてきたことが判明しました。
それでも両親のことを嫌いにならずに大切にしているということで、早川隆久選手にとって両親は大事なことを教えてくれた存在なのでしょうね。
早川隆久選手は現在でも読書をする習慣があるとのことでしたが、それは母親が小さい頃から本を読む習慣をつけさせてくれたことで今の習慣があるということで素敵な両親ですよね。
では、今回の記事のまとめです。
- 早川隆久選手の実家の家族構成は、祖父、父親、母親、姉2人、早川隆久選手の6人家族で、小学校1年生のときに自宅から通えるソフトボールのチームに所属し、中学の時には片道8キロの距離を自転車で通い、軟式野球部に所属していた。
- 早川隆久選手の父親の仕事については不明でしたが、早川隆久選手がやりたいといったスポーツをやらせてくれていて、野球の他にもバスケットボールや陸上などもやっていた。
- 早川隆久選手の母親は優しい面もあれば厳しい面もあり、スポーツ選手としての精神面を鍛えられてきたり、変化球の本を買ってきて早川隆久選手がスライダーを覚える手助けもしていた。
- 早川隆久選手には姉2人がいて、7歳上と2歳年上であり、歳の差があることからも早川隆久選手は周りに振り回されず自分勝手な子どもとして成長していて、末っ子だからこそ姉たちには甘やかされて育ってきたのだと思われる。
早川隆久選手は自分には努力をしようと厳しくしていますが、周りの人には世話を焼くなど優しい性格をしていました。
それは努力の大切さを両親が教えてくれて、スポーツを通して仲間の大切さを知ったから、そのような性格になっていったのでしょうね。
今後も早川隆久選手の活躍を応援していきましょう!