阪神タイガースにて頼れる代打の神様として知られている原口文仁選手。
勝負強いバッティングは学生時代の練習の成果とされていますが、どのような生活を送っていたのでしょうか?
きっと家族の支えなども大きかったことでしょう。
そこでこの記事では、原口文仁選手の実家の家族にまつわる情報について調査してみました。
<この記事でわかること>
- 原口文仁選手の実家の家族構成は?
- 原口文仁選手の父親はどんな人?エピソード調査!
- 原口文仁選手の母親はどんな人?エピソード調査!
- 原口文仁選手にきょうだいはいる?
ぜひ最後までお読みください!
原口文仁選手の実家の家族構成は?
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<家族構成>
- 父親
- 母親
- 原口文仁選手
- 姉
- 妹
原口文仁選手の実家の家族構成は、父親、母親、原口文仁選手、姉、妹の5人家族だと思われます。
原口文仁選手の入団会見での写真にて両端に写っているのが、原口文仁選手のきょうだいであると思われますが、年齢については不明だったため姉と妹としています。
原口文仁選手の実家は埼玉県寄居町にありました。
原口文仁選手は高校進学時には、東京都板橋区にある帝京高校を選んでいます。
帝京高校には寮がないものの、原口文仁選手はどうしても帝京高校に行きたいということで約2時間ほどかけて高校時代は通学していたそうです。
そのため、練習が終わってから原口文仁選手が家に着くのは午後11時、朝は4時台に起き、始発で電車に乗り帝京高校まで通う生活を送っていたそうです。
それだけ帝京高校で活躍したいという思いが強かったのでしょう。
原口文仁選手の好きな言葉は「感謝」ということで、感謝の気持ちを1番に伝えたいのは家族なんだそうです。
原口文仁選手は実家の家族にかなり感謝をしていて、家族の支えがなかったらプロ入りは難しかったのでは?と思われます。
では、どのような家族の支えがあったのかエピソードについて見ていきましょう。
原口文仁選手の父親はどんな人?エピソード調査!
原口文仁選手の父親の名前は、原口秀一さんと言います。
父親の秀一さんは、原口文仁選手が小学生の頃に憧れていた阿部慎之助選手のサイン会に朝5時から家を出てデパートに一緒に並ぶくらい息子に付き合ってきたそうです。
子供の頃から息子のしたいことに対して付き合ってくれる父親がいるというのは素敵ですよね。
原口文仁選手は「練習場所が欲しい」という意向があり、父親の秀一さんは裏庭の雑木林を切り開いて庭に打撃ゲージを作ったり、水銀灯を灯してくれたりもしていました。
約1ヶ月間をかけて原口文仁選手のためだけの練習場を作ったのです。
また、原口文仁選手は上記でも紹介しているように自宅から2時間かけて帝京高校へ通っていました。
原口文仁選手は高校から帰宅後はランニングをし、そこから深夜2時ごろまで父親の秀一さんと共に打撃練習に務めていました。
長い時間練習をしていたため、父親の秀一さんは利き腕の右腕を痛めてしまったものの、息子のために左でも投げられるように特訓したそうです。
原口文仁選手が今でも勝負強いバッティングができるのは、父親との深夜にまで及ぶ練習の成果があったからということになりますよね。
また、父親の秀一さんは原口文仁選手がサウスポーを打つことができるのは、父親が左投げになったからかもしれないと話していました。
父親の秀一さんも仕事があったかとは思われますが、息子の「生きた球を打ちたい」という想いに応えるために深夜まで付き合ってくれたのは息子への愛が強いからとも言えますよね。
父親の秀一さんは原口文仁選手の試合を見守る際には、原口文仁選手がプロ入りした時につけていた背番号52のユニフォームを着用しているそうです。
プロ入りした時の新鮮な気持ちを持ったまま応援しているということになりますよね。
また、原口文仁選手が2016年5月に「日本生命月間MVP賞」を受賞した際には、父親の秀一さんを甲子園球場に招待したそうです。
父親の秀一さんにとっても原口文仁選手が月間MVPを取った出来事はきっと嬉しい出来事だったでしょうね。
残念ながら父親の秀一さんは、2023年9月24日に埼玉県内の病院にて69歳で帰らぬ人となってしまっています。
原口文仁さんの所属している阪神タイガースがリーグ優勝を決めた10日後の出来事だったということでした。
きっと今後は天国から原口文仁選手のことを応援しているでしょう。
原口文仁選手の母親はどんな人?エピソード調査!
原口文仁選手の母親の名前は、原口まち子さんというそうです。
原口文仁選手は高校時代には始発の電車に乗って通っていたこともあり、母親のまち子さんは早起きをして弁当の用意をしていました。
帝京高校では体づくりの一環として昼ご飯で米を3合食べることがノルマとなっていました。
そのため、母のまち子さんは朝3時50分には起きて栄養が偏らないようにするためにバランスの取れたメニューを考え、弁当を用意していたそうです。
米を3合食べるためのおかずを用意するのは、かなり大変な仕事だったと思われます。
しかもほとんど休みのない練習期間だったと思われるため、ほぼ3年間毎日用意していたと考えると相当な苦労があったことでしょう。
原口文仁選手が帰宅してからは練習で真っ黒に汚れたユニフォームも洗濯していました。
そのまま洗濯機だと汚れが落ちないことから、手洗いをして汚れを落とし、片付けてから寝ていたとのことで、母親のまち子さんが布団に入るのは日付が変わってからだったそうです。
父親も遅い時には深夜2時くらいまでバッティング練習に付き合い、母親は朝から弁当作りや夜の洗濯など、両親の大きな支えによって原口文仁選手は大きく成長しました。
原口文仁選手は3人きょうだい
原口文仁選手には姉や妹と思われるきょうだいがいることは写真から判明しているものの、年齢差などについては不明でした。
名前やどのような仕事をしているのかも不明でした。
ただ両親がこれだけ原口文仁選手のことを支えてきたことを見ていたとは思うため、きょうだいも原口文仁選手のことを応援する気持ちは大きいのだと思われます。
原口文仁選手のきょうだいはきっと今でも原口文仁選手のことを応援し続けているでしょう。
まとめ:原口文仁選手の実家・家族構成は5人!両親、兄弟とのエピソードについて調査
原口文仁選手は実家の家族、両親の支えによって、力強いバッティングや勝負強さが身につき、プロで活躍しています。
きょうだいについての情報はほとんど見つからなかったものの、家族全員で原口文仁選手のことを応援していることでしょう。
練習に付き合ってくれたり、弁当の用意や洗濯をしてくれた両親に対して「当たり前」という気持ちを持たずに「感謝」の気持ちを持っている原口文仁選手は素敵な性格をしていると言えますよね。
では、今回の記事のまとめです。
- 原口文仁選手の実家の家族構成は、父親、母親、原口文仁選手、姉や妹が2人の5人家族で育ってきて、埼玉県寄居町に住んでいたということもあり帝京高校へは約2時間かけて通学していた。
- 原口文仁選手の父親は「練習したい」という気持ちが強かった息子の意向を組み、自宅の裏庭に練習場を作り、高校時代には深夜2時ごろまでバッティング練習に付き合ってきていた。
- 原口文仁選手の母親は自身の睡眠時間を削り、朝は早く起きて米3合と栄養バランスの取れたおかずを用意し、夜には遅くに帰ってくる息子の練習着を手洗いで洗濯し支えていた。
- 原口文仁選手の姉や妹についての情報は見つからず、どのような人たちだったのかは不明であるが、きっと原口文仁選手のことを応援していると思われる。
原口文仁選手は素敵な両親に囲まれて育ってきたということで、自身の家庭でも素敵な家庭を築いてるのではないでしょうか?
応援したくなるような原口文仁選手の育ちでしたね。
今後も原口文仁選手のことを応援していきましょう!