福岡ソフトバンクホークス

山川穂高選手の実家・家族構成と両親・兄弟はどんな人?母親とのエピソードが素敵

山川穂高選手家族,山川穂高選手実家,山川穂高選手両親,山川穂高選手兄弟画像引用:Instagram

2023年12月19日に、西武からソフトバンクにFA移籍することが決定した山川穂高選手

2023年は女性トラブルによりほとんど出場機会がなく、あと1年だけでもFA権を行使せず西武に残った方が印象がいいのではないかという意見が野球ファンから多くあがっていました。

ですが、ソフトバンクへの移籍が決定したためネット上では賛否が分かれています。

スキャンダルがあったものの、山川穂高選手は本塁打王のタイトルを複数獲得しており、ホームランバッターとしての実績は十分にある選手です。

2024年シーズンは良くも悪くも、山川穂高選手がどんな成績を残すのか注目され続けるでしょう。

今回は山川穂高選手の両親や、きょうだいがいるかどうかについて調査しましたのでまとめていきます。

スポンサーリンク




山川穂高選手は母子家庭!母親はどんな人?兄弟は?

山川穂高選手両親は、山川穂高選手が生まれてすぐに離婚したそうです。

そのため父親についての情報は、全くといっていいほど出てきませんでした。

山川穂高選手が父親について言及することもないため、会う機会もなかったのではないかと思われます。

山川穂高選手は濃いめの顔であることから、ハーフ説も出ていますがガセでしょう。

山川穂高選手母親は喜代子さんという名前です。

一般人であるため顔写真の公開されておらず、メディア取材も断り続けているそうです。

少年野球チーム「首里マリナーズ」で、山川穂高選手とチームメイトだった母親からは、山川穂高選手と喜代子さんは目がそっくりだという証言がありました。

喜代子さんは小柄だったようなので山川穂高選手の顔は喜代子さん似、体は父親似だと考えられます。

離婚後は再婚することはなく、喜代子さんは女手一つで山川穂高選手を育て上げました。

山川穂高選手には兄弟もおらず、幼少期は喜代子さんと2人暮らし。

息子に野球を続けさせるのは、金銭的に苦しい時もあったと思います。

山川穂高選手が小学生の頃、喜代子さんは沖縄県内の団体で総務・経理担当として働いていたそうです。

現在、母親の喜代子さんは違う職についているか、定年退職している可能性があります。

山川穂高選手は決して裕福ではない家庭だったのに、プロ野球の世界でホームランを打てるようなパワーを身につけるまで育ててくれた喜代子さんに感謝しているようです。

山川穂高選手は喜代子さんについて、「巨人の星」に出てくる明子姉ちゃんのような人だと語っています。

プロ野球選手になるという夢に向かって練習する山川穂高選手を、母親の喜代子さんはそっと見守っていたのでしょう。

 

スポンサーリンク

喜代子さんの一言がなければ、山川穂高選手は野球を続けていなかった!?

山川穂高選手は現在日本を代表するホームランバッターになりましたが、高校時代に一度喜代子さんに「野球を辞めたい」と弱音を吐いたことがあったそうです。

高校野球部は上下関係が厳しく、誰よりも練習しているのにベンチにすら入れてもらえない日々に山川穂高選手は嫌気がさしてしまいました。

裕福ではない家庭でしたが、喜代子さんは山川穂高選手がグローブやバットが欲しいと言えばすぐに買い、仕事が忙しくても少年野球チームの休日の応援や送迎を、積極的に手伝うような人だったそうです。

母親の喜代子さんは、プロ野球になりたいという息子を全力で応援していました。

なので、山川穂高選手が野球を辞めるとなれば、母親の今までの応援は無駄になってしまいます。

母親母親に「野球を辞めたい」と伝えた山川穂高選手は、猛反対されたり泣き崩れたりされたらどうしようと思ったのではないでしょうか。

ですが、母親の答えは意外なものでした。

「別に、いいよー」

「でも、せっかくだから次の大会で負けるまではやってみたら」

引用:週刊ゲンダイ

山川穂高選手にとっては一大決心を伝えたつもりだったと思いますが、喜代子さんの穏やかな口調に拍子抜けしまったそうです。

喜代子さんが「次の大会」と言ったのは、山川穂高選手が1年生の時に11月の時に行われた大会で、この大会に出場できるのは1年生だけだったといいます。

1年生だけが出場できるこの大会で、山川穂高選手は奇跡を起こしました。

4番に抜擢された山川穂高選手は、大会中に人生初のホームランを放ったのです。

山川穂高選手は、この時にホームランを打っていなければ野球をやめていたと後に語っています。

もしかしたら息子の最後の試合になるかもしれないと思ったのか、母親は山川穂高選手はが人生初ホームランを打った大会ではビデオ撮影をしながら観戦していたそうです。

この試合のビデオを見返した山川穂高選手は、自分がホームランを打った瞬間から画面がブレだし、母親の泣き声が入っていたことに気付いたとのこと。

喜代子さんは結果を出せずにへこんでいた息子が、ホームランを打ったことが凄く嬉しかったのだと思います。

人生初ホームランを転機に、山川穂高選手は野球を続けることを決め2年生の時には不動の4番バッターとなりました。

母親母親の「次の大会まで負けるまではやってみたら」の一言がなければ、山川穂高選手はそのまま野球を辞めてしまいプロ入りしなかったかもしれません。

2019年の母の日に、山川穂高選手は日本人選手最速の100号ホームランを放ちました。

ヒーローインタビューで母への思いについて聞かれた山川穂高選手は、

「僕は一人っ子で、お母さんも一人なんで……。あそこまで飛ばせる身体にしてくれて、感謝しています」

引用:週刊ゲンダイ

と母への感謝を語っています。

ソフトバンクでもホームランバッターとして君臨してほしいですね。

 

スポンサーリンク

山川穂高選手の母親はどんな子育てをしていた?

母親は、女手一つで山川穂高選手を育て上げましたが、どんな子育てをしていたのでしょうか。

山川穂高選手1歳から6歳まで通っていた保育園の園長は、母親のことを「子供を黙って見守ることができる人だった」と語っています。

子供はちょっとした身支度にももたつくことがあります。

園長いわく、当時の山川穂高選手が靴を履くのに時間がかかっていても、母親が急かすようなことはなかったそうです。

例え雨が降っている日だったとしても、母親は息子が靴を履けるまで傘を差しながらじっと待っていたと言います。

「早くしなさい!」と言ってしまう母親は少なくないと思いますが、母の喜代子さんのこの姿勢から山川穂高選手はのびのびと育つことができたのではないでしょうか。

喜代子さんは山川穂高選手がやりたいと思ったことに、反対せずどんどんやらせるタイプの母親です。

そのため山川穂高選手は野球の他にも、アイススケートや水泳も幼少期に習っていたそうです。

習い事の月謝支払いの工面も大変だったと思いますが、山川穂高選手が興味を持ったことはやらせたいという親心があったのでしょう。

山川穂高選手に強制することなく育ててきた喜代子さんですが、唯一習わせたのが習字です。

山川穂高選手は達筆で有名ですよね。

習字は保育園の頃から中学3年生まで続けていたそうです。

習い始めた時から山川穂高選手は楽しくないと感じ、早くやめたいと思ってましたが母親に絶対続けた方がいいと言われ、いやいや続けていたとのこと。

確かに山川穂高選手が他にやってきた習い事はスポーツ系なので、じっとして字を書く習い事は楽しくなかったのではないかと思います。

書道以外は何も強制されたことはないんです。野球も強制ではないですし、他のことでも怒られた記憶もないですし、やさしいお母さんなんですけど、書道に関してだけはなぜか厳しかった。「字はきれいであるべき」という考えがあったんだと思います。

引用:melos.media

絶対に習字をやめたかった山川穂高選手でしたが、母親に「書道8段とったらやめていい」と言われたそうです。

その後、山川穂高選手は本当に中学3年生で書道8段を取得。

今となってはサインが達筆だと話題になり、書道で身につけた集中力が野球に活きていると感じているようで、山川穂高選手は習字を習わせてくれた母親に感謝しているようです。

甲斐拓也選手の奥さん(妻)は可愛くて料理上手!甲斐キャノンと嫁の馴れ初めや結婚をまとめ日本を代表するプロ野球選手の通称甲斐キャノンこと甲斐拓也選手の嫁が美人と話題!成功の陰に料理上手な奥さんの支えがあった!馴れ初めの詳細解説や結婚式についてもまとめました。...
近藤健介嫁,近藤健介妻
近藤健介選手の嫁は誰で馴れ初めは?妻が高橋真央の噂はデマの理由や奥さんの目撃情報もまとめ近藤健介選手の嫁は元ファイターガールの高橋真央さんじゃない理由2選!奥さんの目撃情報や子供もまとめ...
有原航平投手妻.,有原航平投手奥さん,有原航平投手結婚,有原航平投手子供
有原航平投手の妻(奥さん)はどんな人?馴れ初めは?子供はいるのかも調査ソフトバングで活躍している投手の有原航平選手!結婚はいつで妻(奥さん)はどんな人なのか調査!出会いや馴れ初めは?子供は何人いるのかも調査しまとめました。...

 

スポンサーリンク

まとめ:山川穂高選手の家族構成と両親・兄弟はどんな人?母親とのエピソードが素敵

山川穂高選手家族,山川穂高選手実家,山川穂高選手両親,山川穂高選手兄弟画像引用:Instagram

 

では今回のまとめです。

  • 山川穂高選手の両親は離婚し、母子家庭で育った。
  • 兄弟はいない為、家族構成は母親と2人。

山川穂高選手は、2013年ドラフト会議で西武にドラフト2位指名されプロ入団を果たしました。

母親が、息子の夢を応援してきてよかったと一番感じた瞬間だと思います。

入団会見で契約金の使い道について聞かれ、山川穂高選手は母親に車を買ってあげたいと答えています。

これからも母親に感謝の気持ちを忘れず、野球に打ち込むことでしょう。

最後までご覧いただきありがとうございました。