アドゥ・ブライト・健太選手は、2021年10月11日に行われたドラフト会議で、中日ドラゴンズから1巡目で指名を受けました。
そして、契約金1億円・年俸1600万円で契約し、プロ入りを果たしました。
私はブライト健太選手と、地元が同じで同級生ですが、ドラフト会議でブライト健太選手の名前が呼ばれたときは、本当に感動してしまいました…。
今回は、そんなブライト健太選手の実家家族について、ご紹介していきたいと思います。
<この記事でわかること>
- ブライト健太選手の母について
- ブライト健太選手の父について
- 兄弟はいるの?
それでは一緒に見ていきましょう♪
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ブライト健太選手の母はどんな人?
ブライト健太選手は、東京都足立区にある団地で育ちました。
プロ野球選手にまで育て上げたブライト健太選手の母親は、どんな人なのでしょうか?
ブライト健太選手の母親・陽子さんは専業主婦です。
母親・陽子さんは、高校時代にテニスとバスケットボールをしていて、スポーツに全力で取り組んでいたようです。
ブライト健太選手は父親の方が注目されがちですが、実は母親・陽子さんもスポーツをしていたという、スポーツ一家ということがわかりました!
ブライト健太選手は肌の色から、度々道行く人・すれ違いざまの知らない人から、心無い言葉を浴びせられたり、罵倒されたりすることがあったようです。
その時ブライト健太選手は、ぐっと我慢したり幼いながらに反抗したりもしていました。
ですが、そんなブライト健太選手に向けて母・陽子さんが、「あなたは日本とガーナの2つのパワーを持っているの。ハーフじゃなく”ダブル″なのよ」と、声をかけたようです。
本当に優しくて、寛大な心を持っている方ですね!
「ハーフではなくダブル」
この言葉は、世界中の人種差別に悩む方たちや、周りの方達・テレビでも放送してほしいほどの言葉です。
私は人種差別が本当に嫌いです。
見た目だけで判断せず、中身を見てその人を愛してほしい。
実際にブライト健太選手の中学時代は、彼の持ち前の明るさやムードメーカー的存在、仲間思いで何事にも全力で取り組む姿を周りが良く見ていました。
そのため、ブライト健太選手の周りには、常に友達がいて人気者でした!
その明るさは、プロ入りした今でも健在のようで、中日ドラゴンズの練習風景を見ても、声出しやチームメイトを笑顔にしている所を、良く見かけます。
母親・陽子さんは、ブライト健太選手の精神安定剤ともいえる方です。
他にもドラフト会議の前日、とても緊張していたブライト健太選手に、「宝くじに当たるようなものなんだから、”当たらなくて当たり前”という気持ちでいれば、いいんじゃない?」と声をかけたようです。
その言葉で、ブライト健太選手の緊張は一気に解け、「しっかり爆睡できそうです。笑」とコメントしていました。
これを知った時は、母親・陽子さんの存在・言葉は、偉大だなと思ってしまうほどです。笑
自分の心が、沈んでしまっている時や緊張している時は、陽子さんのような存在がいると、本当に救われます。
ブライト健太選手は2023年に結婚されたので、これからは妻(奥さん)が支えてくれるようですね^^
ブライト健太選手の父親はガーナ人で日本語が上手!
ブライト健太選手の父親・ジョンさんは、ガーナ人で20代の頃に仕事で来日し、本当に日本語はペラペラです!
身長がかなり高く、がっちりとした体格です。
母国であるガーナでは、バレーボール・陸上・ボクシングと幅広くスポーツに関わってきました。
特にボクシングに力を入れていたようで、プロライセンスを取得しているほどだそうです。
ブライト健太選手も身長が高く、体格や俊足・足のサイズまで、父の遺伝子を受け継いでいるようですね!
家庭では、英語と日本語が飛び交っているようですが、ブライト健太選手は英語が話せないことを覚えています。笑
中学時代にも、初めて会った方に自ら「俺英語は話せないよー!」と面白く自己紹介していて、一瞬で人気者になっていました。笑
ですが、父親・ジョンさんが話していることはわかるようで、「話せないけど聞き取ることはできる」と言っていました。
そんな父親・ジョンさんは、日本に来るまで色々な国を渡っていたようで、「苦労をいろいろしてきた。息子にはそうなってほしくない。」と語っていました。
大学入学時には、「Be yourself(自分らしく)」「Never give up(諦めないで)」と書かれたものを額縁に入れて、渡していました。
ブライト健太選手は、この言葉を幼いころから言われていたそうで、「心が折れかけた時や、自分を見失いそうになった時に、この言葉に支えてもらいました。」とコメントしています。
ブライト健太選手が、野球を始めるきっかけを作ったのも、父・ジョンさんです。
野球を始めた時に、現在ブライト健太選手が尊敬する、ジァッキー・ロビンソン選手の存在を教えてもらったそうです。
このことから、ブライト健太選手はプロ入りした時に、ジャッキー・ロビンソン選手の背番号42番を希望しました。
そんな多くの教えを与えてくれた父・ジョンさんのことを、「感情の波がなく、人としてかなわない」と敬意を、ブライト健太選手は表しました。
父親・ジョンさんは、本当に心が豊かな方で苦難にも負けない、強い思いを持った方だということがわかりました。
ブライト健太選手の第二の父!?
ブライト健太選手には、第二の父と呼んでいる方がいます。
それは、中学野球部・クラブチームともに、一緒に野球をプレーしていた親友の父です。
ブライト健太選手とその親友は、野球はもちろん学校内・プライベートでも、常に一緒にいて、「一番長い時間を共に過ごした」と言ってもいいほどの、存在でした。
その親友の家にも良く遊びに行っていて、野球に打ち込み勉強をあまりしていなかった”息子”(ブライト健太選手)に対して、1冊の本を渡してきました。
渡した理由として、「勉強はできなくてもいい。だけど文字だけは読めるようになっておけ」ということです。
それがきっかけに、ブライト健太選手は本を何冊も読むようになったそうです。
第二の父とは、実家に帰った時などに必ず会いに行き、普段からよく電話もしているそうです。
第二の父は、息子の友達たちを良く招いては、子供たちと同じ目線で遊び、よく相談などもうけている、本当に優しい方です。
ブライト健太選手は、周りの方々にも恵まれていたようですね!
そんな支えてくださった方たちのためにも、これからも活躍していってほしいです^^
ブライト健太選手に兄弟はいるの?
ブライト健太選手に兄弟はいるのでしょうか?
結論から言うと、ブライト健太選手には弟が一人います。
ですが、弟に関しての情報は一切報道されていないため、プライバシー保護のためにも詳しくご紹介することを、控えさせていただきます…。
家族思いのブライト健太選手なので、その意思を尊重します!
まとめ:ブライト健太選手はハーフではなくダブル!?素敵な両親と兄弟について同級生の私がまとめ!第二の父についても
今回は、ブライト健太選手の実家家族について、ご紹介させていただきました。
まとめると
- ブライト健太選手の母は、とても優しく心の救世主
- ブライト健太選手の父は、寛大な心を持ち野球のきっかけを与えてくれた存在
- 第二の父の存在
- 兄弟はいる
ブライト健太選手は、本当に家族思いで仲間思いな方です。
ハーフであることから、心無いことを言われることもありました。
ですがそんなことに負けず、夢を叶えた姿は多く方に影響を与えたようです。
それも、父親や母親の教えがあったからこそと、語っていました。
両親の支えがあったからこそ、今のブライト健太選手がいると考えると、本当に感謝してもしきれないほどですよね!
私はこれからも、ブライト健太選手の活躍を期待し、応援し続けたいと思います^^