2017年のドラフト会議でソフトバンクから育成4位指名を受けてプロ入りした投手の大竹耕太郎選手。。
2018年シーズンから1軍入りしたものの、2020年以降は登板機会に恵まれなくなり、2022年シーズン終了後、現役ドラフトで阪神に移籍することになりました。
現役ドラフトが初めて行われた年でもあり、移籍した選手がどのような結果を残すか注目されていましたが、大竹耕太郎選手は移籍1年目で2桁勝利を達成するなど主力として活躍。
阪神の1985年以来の日本一にも貢献しました。
2024年シーズンはリーグ2連覇、日本一はならなかったものの2年連続の2桁勝利を達成。
将来1億円プレイヤーになることが期待されています。
ご家族もきっと大変よろこばれていることでしょう。
そこで今回は、そんな大竹耕太郎選手の実家・家族について調査しましたのでまとめていきます。
大竹耕太郎選手はハーフ?
大竹耕太郎選手の事を調べていると、多くの人が、『ハーフ』ではないかと思っていて、検索をしているようです。
結論から先にお伝えしますと、大竹耕太郎選手は身長が高く小顔で、彫りが深い顔立ちであることから、ハーフ説が出ていましたが両親ともに日本人です。
両親ともに現地観戦していることがあり、その時の顔写真が公開されています。
顔画像に関しては、この後、両親それぞれのエピ―ドと共にご紹介いますね!
大竹耕太郎選手の父親はどんな人?野球経験者?
大竹耕太郎選手の父親は、紳一郎さんという名前です。
大竹耕太郎選手とは36歳差であることが明かされているため、1959年生まれなのではないでしょうか。
誕生日は9月10日です。
父親は熊本県内の小学校の校長として働いていましたが、2019年に定年を迎えています。
父親には「定年前に息子に支配下を勝ち取ってほしい」という願望があったようで、見事大竹耕太郎選手は2018年シーズンに支配下登録を勝ちとり、願いを叶えることができました。
父親によると、周りから大竹耕太郎選手について孝行息子と言われることもあるようで、誇りに思っているに違いありません。
定年してからは、大竹耕太郎選手所属のチームを応援を楽しんでいるのではないでしょうか。
父親は大竹耕太郎選手のインスタグラムで顔写真が公開されています。
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大竹耕太郎選手は、父の日に勝利投手となったり、父親の誕生日に大学4年生のリーグ戦で1年ぶりの勝利投手となるなど、父親関連の日に野球で良い事が起きているようです。
ソフトバンクに所属していた2018年の優勝旅行では、父親と一緒に高校3年生ぶりのキャッチボールをし、ランニングするが見られました。
父親は中学時代に野球、高校・大学時代は陸上部に所属していたと明かされており、大竹耕太郎選手の運動神経の良さは父親譲りのようですね。
優勝旅行中に父親は、
「ローテーションを守って2桁勝ってほしいです」
引用:サンスポ
と語っていました。
時間がかかったものの、阪神移籍後5年越しに2桁勝利を達成しています。
父親は甲子園で現地観戦したこともあり、
「よくストライクが入るなと思いますよ。行かないと分からないですよね、あの応援」
引用:日刊スポーツ
と阪神ファンの応援に驚いたとか。
熊本県在住のため、なかなか甲子園現地観戦は難しいかもしれませんが、九州に地元凱旋する際はまた現地観戦して父親パワーで大竹耕太郎選手の勝ち投手の権利を呼び寄せてほしいですね。
大竹耕太郎選手の母親は超がつくほどの心配性だった!?
大竹耕太郎選手の母親は、和子さんという名前です。
大竹耕太郎さんのご両親登場 pic.twitter.com/dI7FSLsYRJ
— ラヴィちゃん (@kazenoraby) November 17, 2023
母親の職業は教師で、大竹耕太郎選手は両親ともに教師という勉強系の家庭に育っています。
もしかしたら両親は、職場結婚したのかもしれませんね。
母親の年齢は大竹耕太郎選手の父親の2、3歳年下です。
母親は大竹耕太郎選手の幼少期について、勉強しなさい・野球しなさいという言葉は一切かけなかったとか。
土日の野球の試合は応援に駆け付けていたそうで、野球に一生懸命な大竹耕太郎選手をずっと支え続けていました。
大竹耕太郎選手によると、母親はとても心配症で実家に雷や雨が近づくと、
「雷が危ないので今は帰らないようにしてください」
引用:日刊スポーツ
とメールを送ってきていたそうです。
学生時代は心配性だと感じていたものの、現在既婚者となった大竹耕太郎選手は、家族が心配になる母親の気持ちが分かるようになってきているのではないでしょうか。
阪神移籍後の2023年5月27日、初めて両親が甲子園で現地観戦した日に、大竹耕太郎選手は当時キャリアハイとなる6勝目を記録しました。
勝利投手の権利がついた際、大竹耕太郎選手はベンチで号泣。
そんな大竹耕太郎選手の姿をみて、両親も涙が出そうになったそうです。
母親によると、大竹耕太郎選手の性格は、
「冷静というかクールだけど、心の中は感受性が豊か」
引用:日刊スポーツ
だと語っています。
ソフトバンク時代、なかなか結果が出せず悔し涙を流す大竹耕太郎選手の姿を両親は見てきました。
阪神に移籍後、チームに貢献し続ける大竹耕太郎選手の姿を、家族は喜んでいることでしょう。
大竹耕太郎選手にきょうだいはいる?高校時代の大竹耕太郎選手のお弁当を作っていた!?
<きょうだい構成>
姉 6歳年上 名前は沙季さん
大竹耕太郎選手の兄弟には兄や弟ではなく、姉が1人います。
名前は沙季さんで、大竹耕太郎選手の6歳年上です。
2018年3月18日に姉の結婚式が行われ、大竹耕太郎選手は自身のインスタグラムで花嫁となった姉との2ショットを公開しています。
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年が離れていることもあってか姉とは仲が良く、大竹耕太郎選手は何でも姉に相談していました。
大竹耕太郎選手の高校時代、共働きの両親に代わって弁当を作っていたのも姉です。
「両親も共働きで忙しく、私は大学生で時間もありました。野球をする上で栄養面も大事だなと思いましたので、本人の野球を応援したいなという気持ちで毎日作りましたね」
引用:デイリー
大竹耕太郎選手が作ってもらっていたのは三段弁当だったそうで、弟の体格をよくするために姉は毎朝頑張って作っていたのでしょう。
大学時代になかなか結果が出せず、苦しんでいる状況を見ていた姉は「無理しなくてもいいんじゃない?」と大竹耕太郎選手に声をかけたそうです。
しかし、大竹耕太郎選手は苦しい中でも「自分から野球をとったら何も残らない」と姉に返し、練習を頑張っていました。
姉は、大竹耕太郎選手のどんなに厳しい状況になっても逃げないところを、弟ながら尊敬していると言います。
それでも大竹耕太郎選手は大学4年生の時にプロ志望届を出すか悩んでしまいます。
大竹耕太郎選手は姉に背中を押され、プロ志望届を提出した結果、育成指名ではありますがプロ入りできました。
もし姉に背中を押されなければ、プロ入りは1、2年後になってしまっていたかもしれません。
苦労している弟の姿を知っているからこそ、阪神に移籍してからの大竹耕太郎選手の活躍には涙がとまらなくなったことも。
「うれしそうにガッツポーズをしているところや仲間と笑顔でやっている姿を見られるのが一番、うれしいんです。とても楽しそうにやっているので」
引用:デイリー
と、大竹耕太郎選手が楽しそうに野球に取り組む姿をみて、嬉しく思っているようです。
姉は大竹耕太郎選手にとって、既婚者の先輩でもあります。
結婚した今も、夫婦円満のためのアドバイスを姉に求めていそうですね。
まとめ:大竹耕太郎選手の両親は教師だった!姉とは仲が良く弁当を作ってもらっていたことも!
では、今回のまとめです。
- 大竹耕太郎選手の実家家族は両親と姉です。
- 父親は熊本県内の小学校で校長をしており、母親も教師をしていました。
- 現在は2人とも定年を迎えているので、大竹耕太郎選手の応援に全力をかけているはずです。
- 父親は中学時代に野球、高校・大学時代は陸上に取り組んでおり、2018年のソフトバンクの優勝旅行では、大竹耕太郎選手とトレーニングする姿が見られました。
- 母親は大竹耕太郎選手の少年野球時代から、土日は試合の応援にかけつけていました。
- 雷や雨が降りそうなときは連絡してくるほど、心配性な一面もあります。
- 姉は大竹耕太郎選手の6歳上で、大学に通いながら高校野球を頑張る大竹耕太郎選手のために三段弁当を毎朝作っていました。
- 大竹耕太郎選手は姉に何でも相談するそうで、大学4年時にプロ志望届を提出するか悩んでいたところ、背中を押してくれたのは姉でした。
姉も大竹耕太郎選手も現在は既婚者となったため、今も夫婦円満のためのアドバイスを姉から聞いていることでしょう。
最後までご覧いただきありがとうございました。