阪神タイガースのキャッチャーである梅野隆太郎選手といえば、すでに暖かい家庭を築いていて、野球選手としても活躍しているため、順風満帆に過ごしている選手ですよね。
梅野隆太郎選手の結婚記念日は母にまつわる日だったということですが、どんなエピソードがあるのでしょうか?
しっかりしている性格の梅野隆太郎選手の育ち方について気になる人は多いかと思います。
そこでこの記事では、梅野隆太郎選手の実家の家族にまつわる情報について、調査してみました。
<この記事でわかること>
- 梅野隆太郎選手の実家の家族構成は?
- 梅野隆太郎選手の父親はどんな人?エピソードについて調査!
- 梅野隆太郎選手の母親はどんな人?エピソードについて調査!
- 梅野隆太郎選手にきょうだいはいる?
ぜひ最後までお読みください!
梅野隆太郎選手の実家の家族構成と生い立ちもチェック!
<家族構成>
- 父親
- (母親)
- 梅野隆太選手
- 弟
梅野隆太郎選手の実家の元々の家族構成は、父親、母親、梅野隆太郎選手、弟の4人家族でした。
でしたと言うのは、後半で改めてご紹介しますね。
さて、梅野隆太郎選手の実家のある場所についてですが、福岡県筑紫郡那珂川町に実家があります。
生い立ちと高校時代・大学時代について
梅野隆太郎選手は以下でも紹介していますが、小学生の頃に野球を始めています。
最初は野球の楽しさに夢中になっていましたが、中学生に上がった時は「那珂川シャークス」という野球特待生の集まるチームに所属し、さらに高みを目指すようになっていました。
梅野隆太郎選手はチーム内で切磋琢磨し、レベルアップしたことで、高校に進学する際には強豪校からの誘いもあったとのことでした。
自分の身をレベルの高いところに置くと頑張れるタイプだったのでしょうね。
梅野隆太郎選手の進んだ高校は、福岡工大附属城東高校でした。
野球のレベルが高かった梅野隆太郎選手は特待生待遇で入学し、1年の夏からベンチ入りをしています。
野球の強豪校である福岡工大城東高校で特待生入学できるのは素晴らしい実力ですよね!
梅野隆太郎選手は高校時代も通算24本のホームランを打ち、チーム内で活躍をしていたということもあり、プロへ進むのかと囁かれていたものの、「まだ身体もできてないし勝負できない」という理由で福岡大学へ進学しています。
梅野隆太郎選手はしっかりと自己分析ができて、将来の夢を叶えるためにどうしていったらいいのかをわかっている選手ということがわかりますよね。
梅野隆太郎選手が福岡大学に進学してからは、1年生の春から試合に出場し、4年生の夏には日米大学野球選手権大会の日本代表のメンバーに選ばれたこともありました。
梅野隆太郎選手はリーダーシップに長けた性格ということもあり、福岡大学野球部内でもキャプテンを務め、日本代表メンバーとしてもキャプテンを務めていました。
誰からも頼られるような存在であったということがわかりますね。
そして、大学4年生の秋にドラフト会議にて阪神タイガースから4位指名を受けています。
梅野隆太郎選手はしっかりと自己分析をした上でプロへ進めてすごい選手ですよね!
梅野隆太郎選手の父親はどんな人?エピソードについて調査!
父親の名前は、梅野義隆さん。
父親の職業は内装業の経営者。
梅野隆太郎選手の父親の名前は、梅野義隆さんというそうです。
梅野隆太郎選手の名前の「隆」という文字は、父親の義隆さんの漢字の一文字を取ってつけていたとのことでした。
大事にされているということがわかりますね。
父親の義隆さんの仕事は内装業を経営していたということで、社長のような役割を担っていたのだと思われます。
父親の義隆さんの休日は、片縄ビクトリーのコーチをしていたそうです。
片縄ビクトリーというのは、梅野隆太郎選手が小学2年生の頃から所属している少年野球のチームでした。
そのため、梅野隆太郎選手は父親と息子の二人三脚で野球を始めたということになります。
父親がコーチをしていたというだけあって、梅野隆太郎選手もチームに馴染みやすかったのではないでしょうか?
父親の義隆さんは「やろうと思ったことは最後までやり遂げろ」という考えを持っていて、野球を始めた梅野隆太郎選手に対してもその言葉を投げかけていました。
そのような言葉がけがあったからこそ、梅野隆太郎選手は今でもプロ野球選手として活躍し続けてられているのでしょうね。
梅野隆太郎選手の母親はどんな人?エピソードについて調査!
梅野隆太郎選手の母親の名前は、梅野啓子さんというそうです。
母親の啓子さんは梅野隆太郎選手が小学4年生の時に、34歳の若さで卵巣がんのため亡くなってしまっています。
母親の啓子さんが亡くなってしまう前に、野球に夢中になっている梅野隆太郎選手を見て、「プロ野球選手になれるならそうしてあげてください」と父親の義隆さんに伝えていたそうです。
梅野隆太郎選手はそんな母の想いを背負い、プロ野球選手になったのです。
自分でもプロ野球選手になりたいという想いがあって頑張れたのもあるでしょうが、母の気持ちというのは大きかったでしょうね。
梅野隆太郎選手はすでに結婚をしていますが、結婚記念日は母親の啓子さんの誕生日からとったそうです。
梅野隆太郎選手はとても家族想いで、母親の気持ちを大事にしている選手で素敵ですよね。
きっと天国から母親の啓子さんも、プロ野球選手になった梅野隆太郎選手のことを喜び、誇りに思っていることでしょう。
梅野隆太郎選手は2人兄弟の長男
梅野隆太郎選手に2歳年下の弟が1人いて、名前は梅野啓さんというそうです。
梅野隆太郎選手が父親からの名前を1文字もらっていますが、弟の啓さんの名前は母親の啓子さんの名前の1文字をもらったということがわかりますよね。
梅野隆太郎選手の弟は、梅野隆太郎選手がインスタグラムのストーリーズにて顔写真を公開したことがありました。
写真を見る限りではあまり似ている感じもしませんでしたが、弟の啓さんもイケメンなので、イケメン兄弟として地元でも知られていたのではないでしょうか?
弟の啓さんが野球をしていたことや、兄弟エピソードなどについては明らかになっていないものの、仲のいい兄弟だなということは写真を見る限りでは伝わってきました。
きっと弟の啓さんも兄である梅野隆太郎選手の活躍を応援していることでしょう!
まとめ:梅野隆太郎選手の実家・家族は父子家庭|両親とのエピソードやイケメン兄弟も総まとめ
梅野隆太郎選手の家族は梅野隆太郎選手がプロ野球選手になることを誰よりも望んでいました。
特に若いうちに亡くなってしまった母親の啓子さんは父親の義隆さんにも「プロ野球選手になれるならさせてあげてください」と頼むくらい祈っていました。
家族の想いも背負って、しっかりとプロ野球選手になる夢を叶えた梅野隆太郎選手は素晴らしい選手ですよね!
では今回の記事のまとめです。
- 梅野隆太郎選手の実家の家族は4人家族で、梅野隆太郎選手はプロ野球選手になるために一つずつ手順を踏んで夢を叶えていった。
- 梅野隆太郎選手の父親は自営業をしている傍ら、少年野球のコーチを務めていて、梅野隆太郎選手に対し「やろうと思ったことは最後までやり遂げろ」という教えをしていた。
- 梅野隆太郎選手の母親は、梅野隆太郎選手が小学4年生の時に亡くなってしまったものの、プロ野球選手になって欲しいという想いを誰よりも持っていた。
- 梅野隆太郎選手の弟は何をしている人かは不明であったが、梅野隆太郎選手が公開した画像では似ていないもののイケメンであった。
梅野隆太郎選手はとても家族想いな選手で、自身の結婚記念日も母親の誕生日という素敵なエピソードも聞けました。
今プロ野球選手として頑張っているのも、自分の夢もあったでしょうが、きっと家族の想いも大きいことでしょう。
今後も梅野隆太郎選手の活躍を応援していきましょう!