その中で、2023年ではセレッソ大阪の毎熊晟矢(まいくま せいや)選手が招集されました。
選手層が厚いポジションで見事トルコ戦で代表デビューを飾っています。
今後もコンスタントに代表に定着できるのか、注目されていますよね。
そんな期待十分の毎熊晟矢選手の家族や、どのような環境で育ったなどの生い立ちなどを今回は調べてみました。
(目次)
・家族構成について
・毎熊選手の経歴
・幼少期について
・まとめ
毎熊晟矢選手の家族構成について
家族構成は父親・母親に、姉が2人いる5人家族です。
・父親
・母親
・7つ上の姉
・4つ上の姉
・本人
毎熊(まいくま)という苗字はとても珍しい感じがしますが、毎熊選手の出身地は長崎県です。
調べてみると毎熊という苗字は長崎市や諫早市に多いようですね。
毎熊晟矢選手の両親・兄弟はどんな人?
父親や母親について、これまで多くを語られていない為、どんな両親なのかは、公けにされていませんが、ご両親2人とも、長崎出身なのだそうです。
長崎県出身ですが、生まれは大分です。幼稚園まで大分で過ごし、小学校から長崎です。
出典:セレッソ大阪HP引用。
お引越しをされていることから、父親の仕事が転勤の多い仕事だったのではないでしょうか。
父親がサッカー経験者で始めたのかと、気になったのですが、「親が何かスポーツをさせたいと思った」という表現から、サッカーにこだわってはいなそうなので、サッカー経験者というわけではないのかもしれませんね。
サッカーを始めたきっかけは、親が何かスポーツをさせたいと思ったらしく、幼稚園の年中の頃、大分トリニータのスクールに入りました。
出典:セレッソ大阪HP引用。
そして、兄弟には兄や弟さんではなく、冒頭でお伝えした通り、7才上と4歳上のお姉さんがいることもわかりました。
毎熊選手は末っ子ですが、初めての男の子ということで、産まれた時はご両親はとても喜んだんではないでしょうか。
一番上のお姉さんとは7才年が離れています。
子供のころの7才はとても年の差を感じますが、幼少期はお姉さんにもお世話してもらっていたのかもしれませんね。
とても暖かい家族の印象を受けます。
現在の毎熊選手の年齢は26歳ですので、2人のお姉さんの年齢は30代になっていますね。
残念ながら両親やお姉さん達のお名前などは分かりませんでした。
もしかすると毎熊選手が今後ワールドカップ代表などに選ばれた場合は、家族のインタビュー姿がテレビでみれるかもしれません。
毎熊晟矢選手の経歴もチェック!
ここで、家族にとっても関わりが深い、これまでの経歴についても触れておきたいと思います。
長崎県で生まれた毎熊選手ですが、どのようなサッカー人生を送ってきたでしょうか。
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(経歴)
生年月日:1997年10月16日
年齢:26歳
出身地:長崎県
身長:179㎝
体重:69㎏
ポジション:ディフェンダー
(出身校)
東福岡高等学校→桃山学院大学
(所属チーム)
V・フォーレン長崎
セレッソ大阪
(代表歴)
2023年日本代表初招集
毎熊選手の出身高校は福岡のサッカー名門の東福岡高校です。
地元長崎には多くのJリーガーを輩出している国見高校もありますが、東福岡高校に進学されているんですね。
東福岡高校には、特待生として入学しています。
プロになる実力があるので、おそらく中学生の頃は他の高校からスカウトがあったのではないでしょうか。
県外の高校に入学したことにより毎熊選手は、高校の時に実家を出たことになります。
ご両親は末っ子でとてもかわいがっていたと思われるので、15歳の毎熊選手と離れるのはとても寂しかったんではないでしょうか。
東福岡といえば全国的にも有名ですよね。
高校サッカーファンであれば97年の帝京高校との国立競技場で行われた雪の決勝戦を思い出すのではないでしょうか。
このときの東福岡は、高校歴代最強チームの一つとして名前が上がりますよね。
OBもすごい選手がいますが、長年日本代表のサイドバックを務めていた長友佑都選手も東福岡出身です。
毎熊選手が高校生の頃は、すでに長友選手は世界で活躍していたので憧れていたのかもしれませんね。
毎熊選手の世代はインターハイと全国サッカー選手権大会を制して2冠を達成しています。
全国大会などは子供の晴れ舞台ですし、家族も応援に駆け付けていたのかも知れませんね。
大学は関西の桃山学院大学に進んでおり、卒業後は地元長崎のV・フォーレン長崎でプロになっています。
地元のチームに入れたのはうれしかったではないでしょうか。
親戚や友達もたくさんいるでしょうし、なにより家族の前でプレーできますから。
実際にご両親は何回もスタジアムに足を運んでいたそうです。
在籍期間は2年間と長くはありませんでしたが、早くかたチームの主軸として活躍していましたね。
その後はセレッソ大阪に移籍していますが、毎熊選手は大学生時代を大阪で過ごしていますので慣れ親しんだ地域のチームです。
幼少期について
毎熊選手は実は、幼稚園までは大分で暮らしていました。
サッカーを始めたきっかけは親がスポーツをやらせたくて大分トリニータのスクールに入れたことです。
ご両親もスポーツを何かしていたのでしょうか。
友達と入部したそうですが、トリニータの試合を見に行くと「かっこいい」と思い、サッカーにのめり込んだそうです。
そのあと、長崎県佐世保市に引っ越し、さらに長崎市に引っ越しました。
引っ越しの理由はわかりませんが、もしかすると親の仕事の都合かもしれませんね。
両親がどのような仕事についているのかは判明しませんでしたが、転勤がある会社なのではないでしょうか。
その場合は支社がある企業なので、規模が大きい会社に在籍していた可能性があります。
小学校は長崎市立城山小学校で、小学3年まで黒髪フットボールクラブジュニアでプレーし、それからJFCレインボー長崎でサッカーに所属しています。
JFCレインボー長崎は県内でも屈指の強豪チームのようです。
強いチームだと練習や遠征など親御さんが協力しないといけないイメージですので毎熊家も週末はサッカー漬けだったのかもしれませんね。
中学校は長崎市立淵中学に進学しますが、淵中学OBには芸能界のスター福山雅治さんがいます。
毎熊選手とはだいぶ年が離れていますが、現在接点があるのか気になりますよね。
中学生のころは、部活動に入らず、元Jリーガーの大久保誠さんが創設した「FOOTBALL CLUB BRISTOL(ブリストル) U-15」に入団しています。
FOOTBALL CLUB BRISTOL(ブリストル) U-15
定員:1学年15名前後
入会費:3,000円
月会費:9,000円
年会費:15,000円
練習日:水曜 金曜 土曜 日曜
チームのサイトを調べました。
毎熊選手が所属していた当時ともしかしたら違う点はあるかもしれません。
クラブチームですので、部活動と違い月謝がかかるんですね。
ここから日本代表が誕生したので教育に関しては間違いないのではないでしょうか。
大分トリニータスクールから始まり中学生まで4つのクラブチームに毎熊選手は在籍していますね。
もちろん本人に才能があったのでしょうけど、ご両親もお子さんのためならばしっかりサポートをしていたのが伺えます。
お姉さん2人にも同様の教育をしていたと思いますので、毎熊家は収入もしっかりしていたと思われます。
まとめ:【サッカー】毎熊晟矢選手の両親(父・母)や兄弟について調査!
今回は、今注目のサッカー日本代表の 毎熊 晟矢選手とその家族について調べました。
・毎熊の苗字は長崎に多い。
・家族構成は、両親と姉2人の5人家族。
・幼稚園まで大分で育った。
・サッカーは親のすすめで始めている。
・両親の仕事は、転勤がある会社に勤めている可能性がある。
あまりご家族の現在についての情報が少なかったのですが、日本代表まで登りつめた毎熊選手を家族全員で応援していると思います。
今回調べることによって毎熊選手のことについてより深くすることができました。
ぜひ所属チームのセレッソ大阪はもちろん日本代表でも毎熊選手も応援しましょう。