1軍出場通算10試合の選手ながら、2024年3月6日・7日に開催された欧州代表戦のメンバーにサプライズ選出されたことで話題となりました。
田村俊介選手は、野球のために小学校卒業後親元から離れ、高知県の野球強豪校である明徳義塾中学校に進学しました。
中学3年生で出場した全国大会では、準優勝と結果を残しています。
全国大会準優勝後に親元に戻り、出身地である京都府舞鶴市の和田中学校に転校しています。
高校は再び親元を離れ、愛知工業大学名電高等学校に進学しました。
高校時代は1年からベンチ入り、2年秋から主将を務め3年生で甲子園出場を果たしています。
甲子園では1回戦敗退となってしまいましたが、試合後に田村俊介選手は二刀流でのプロ志望を名言したのです。
現在二刀流で成功しているのは大谷翔平選手のみ。
2021年10月11日に行われたドラフト会議で広島から4位指名を受け、プロ入団した田村俊介選手は二刀流として成功できるか注目が集まっています。
カープのドラフト4位新人、愛工大名電高から入団した田村俊介選手。京都府舞鶴市出身で、母校の小学校には「田村ネット」が設置されています。
小学校時代にガラス割りすぎて…名電主将の母校にネット:朝日新聞デジタル https://t.co/T9eIQsM8FM #carp #広島 pic.twitter.com/tnM5RivbLk
— 朝日新聞カープ担当 (@asahi_carp) February 12, 2022
ご家族も指名には、さぞ喜ばれたことでしょう!
そこで今回は、田村俊介選手の実家家族がどんな両親なのか、兄弟含め、家族情報を調査しましたのでまとめていきます。
田村俊介選手の家族構成は?
田村俊介選手の家族構成は、両親と姉1人です。
2011年のドラフト会議で田村俊介選手が指名を待つ間、ご家族はテレビ取材を受けていました。
コロナ禍ということもありマスクをしている状態ではありますが、ご家族全員顔写真は公開されています。
父親は俊之さん、母親は安代さん、姉は安優(あゆ)さんという名前です。
年齢や職業などは公開されていませんでした。
取材を積極的に受けてくれるタイプのご家族なので、田村俊介選手のエピソードがどんどん明らかになっていくことを期待したいですね。
田村俊介選手の父親はどんな人?小学生時代の田村俊介選手のあることに苦労!?
田村俊介選手の父親である俊之さんは、小学校卒業後に親元を離れて明徳義塾中学校に行きたいと言い出した息子を止めることはしませんでした。
ただ、「絶対に野球をやめるな」とは釘を刺したそうです。
田村俊介選手は小学生の頃から恵まれた体格をしており、小学6年生の時には慎重172㎝体重75kgにまで成長していたため、高校生に間違われることもあったとか。
ただ、小学生離れした恵まれた体格だったためか、思わぬデメリットが発生してしまいます。
2014年8月、田村俊介選手が小学生時代所属していた京楽少年野球クラブの児童たちは、学童軟式野球の西日本大会で準優勝したことを報告するため、市長を表敬訪問していました。
児童たちの中には、当時小学5年生の田村俊介選手もいました。
当時の市長に「何かしてあげられることはありませんか」と聞かれ、田村俊介選手は挙手して言いました。
「僕の打球がフェンスを越え、家のガラスがよく割れるので困っています」
引用:朝日新聞デジタル
翌年3月に市長は田村俊介選手の要望を聞き、高さ12m・幅27mのネットが設置されましたが、それでも何発かはネットを越えてしまったそうです。
父親はガラスを割ってしまったことについて、安代さんと共に謝罪に行くことも多かったと言います。
「右翼後方の家の窓ガラスは全部割りました。俊介を小さい頃から知っている方なので『何枚割ってもいいですよ』と言ってもらってはいましたが、弁償が大変で」
引用:朝日新聞デジタル
田村俊介選手が卒業してからはネットを越えるほどの打球を放つ生徒は現れておらず、窓ガラスを割られたことのある方は「田村ネット」と呼んでいました。
田村俊介選手自身も「5、6枚以上はガラスを割ったと思います。申し訳ないなと思っていました」と証言しており、弁償自体は大変だったと思います。
ドラフト会議で田村俊介選手が4位指名された際、俊之さんは涙をハンカチで拭っていました。
明徳義塾中学校への進学の他にも、野球一筋の田村俊介選手について悩むことはあったかもしれませんが、ドラフト指名で全て報われた気分だったと思います。
父親は田村俊介選手の意見を尊重して、プロ野球選手になるという夢を純粋に応援できる柔軟な考え方ができる父親だと感じました。
田村俊介選手の母親はどんな人?寂しがり屋?
明徳義塾中学に行きたいと田村俊介選手に言われた際、母親は父親とは違い、複雑な心境だったようです。
広島テレビ公式YouTube【カープ公認】金鯉チャンネルで、母親は「寂しい。めちゃくちゃ寂しくて心配」と語っていました。
中学生から自分の夢を追いかけて、親元を離れたいと言い出す子供はなかなかいないでしょう。
高校生になってから野球強豪校に進学して寮生活するという話ならよく聞きますが、中学生から寮生活はあまり聞きません。
まだまだ成長期の我が子を、近くで見守りたかったという気持ちが安代さんにはあったのではないでしょうか。
田村俊介選手は、母親が作ってくれるキンパやハンバーグが大好きだったそうです。
もしかしたら寮生活中も、冷凍して送ってもらっていたかもしれませんね。
母親の気持ちとは対照的に、田村俊介選手は野球漬けの生活を送れることがとても楽しく、寮生活が辛いと感じることはなかったそうです。
田村俊介選手がドラフト4位指名でプロ野球選手になれることが決まった際、母親は嬉しくて舞い上がってしまったとのこと。
田村俊介選手に対して心配することが多かったと思いますが、息子の夢が叶って母親もほっとした気分だったでしょう。
田村俊介選手の姉はどんな人?
兄弟は姉が1人の2人姉弟(きょうだい)
姉の安優さんによると、田村俊介選手は子供の頃から負けず嫌いだったそうです。
幼少期にバドミントンなどで姉弟で遊ぶことがありましたが、田村俊介選手が勝つまでは絶対にやめなかったとか。
田村俊介選手の負けず嫌いな性格は、プロに入っても変わることはありませんでした。
2022年シーズンは怪我により2軍調整。
2023年シーズンは開幕1軍を勝ち取ったものの、4月20日と9月17日の中日戦でデッドボールにより負傷するという不運に見舞われ、1軍でシーズン完走することはできませんでした。
そんな中で侍ジャパンにサプライズ選出。
2024年2月17日に行われたロッテとの対外試合では2ランホームラン。
2024年3月7日に行われた欧州代表戦第2戦でも、ヒットを放っています。
2軍調整中もなんとしても1軍に上がりたいという田村俊介選手の気持ちと、積み上げてきた今までのトレーニングが活きた2024年オフシーズンとなりました。
田村俊介選手と遊んでいる時に、田村俊介選手が勝つまで勝負に付き合った姉の安優さんのおかげで、負けず嫌いな性格が今も変わらなかったのかもしれませんね。
まとめ:田村俊介選手は幼少期から野球一筋!どんどん我が道を進む家族を応援できる温かい家庭だった!
今回は、『【カープ】田村俊介選手の実家・家族構成|両親や兄弟の素敵なエピソードをご紹介』と題して、田村選手のご家族についてご紹介しました。
田村俊介選手が中学生から親元を離れて、野球一筋の生活をしたいと言い出した際、息子の意思を尊重できたご両親はすごいですよね。
田村俊介選手は学生時代、野球漬けの毎日を楽しんでいたものの、家族に寂しい思いをさせていたことは感じていたようです。
そのためドラフト4位指名を受けた際は、家族への恩返しができたことにホッとしている様子でした。
2年連続で不運な怪我に見舞われてしまったものの、広島でレギュラーとなっている選手を早く追い越せるように頑張りたいと語っていた田村俊介選手。
今まで野球一筋の人生を応援してくれた家族の為にも、2024年シーズンは1軍で大活躍する田村俊介選手を見たいですね。
最後までご覧いただきありがとうございました。