水野達稀選手は、2021年にドラフト会議で3位指名を受けてプロ入りした内野手です。
高校3年生夏に甲子園出場を果たしたものの、1回戦で敗退しています。
高校卒業後、水野達稀選手はJR四国に入社し、野球を続けます。
ドラフト会議で指名される前は、香川県にあるJR四国の宇多津駅で駅員として、みどりの窓口で働いていたことが話題になりました。
ドラフト会議で名前が読み上げられた後も表情を崩さず、
「チームメイトも両親も友達もずっと応援してくれていたのでやっとスタートラインに立てたなという感じがします」
引用:高校野球ドットコム
と感謝の思いを口にしつつも、浮かれない姿から大成が期待されています。
2022年・2023年は1軍の出場機会に恵まれなかったものの、2024年は2022年以来の開幕スタメンを勝ち取り、怪我による離脱があったものの8月14日時点で66試合に出場しています。
俊足であり、守備範囲が広い事を売りにしている選手の為、怪我が無ければフル試合出場も十分あり得る選手です。
そして今回は、駅員からプロ野球選手という異色の経歴をもつ水野達稀選手の実家・家族について調査しましたのでまとめていきます。
水野達稀選手の実家・家族構成は?兄弟が気になる
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調べてみたところ、兄弟がいるという情報が見つからなかったため、水野達稀選手は一人っ子であると考えられます。
実家暮らしの頃は、両親と共に暮らしていたようです。
また、水野達稀選手はドラフト指名後、祖父の義明さんに恩返しを誓っています。
祖父は野球経験者であり、水野達稀選手が進学した丸亀
「何をやるにも応援してくれたし、プロに行って欲しいと何回も言われた。野球を始めるきっかけをくれた人なのでプロで活躍する姿を見せたい」
引用:日刊スポーツ
残念ながら、祖父は水野達稀選手が中学3年生の時に帰らぬ人になってしまいました。
中学3年生の頃から水野達稀選手の野球人生を応援していた祖父に、プロ野球選手になった姿を本当は実際に見せたかったでしょう。
社会人時代に仕事と野球を両立しながら夢に向かって頑張る水野達稀選手の姿を、祖父は空から見守っていたに違いありません。
水野達稀選手の父親はどんな人?
水野達稀選手の父親は伸也さんという名前です。
職業については明かされていませんでした。
幼少期の水野達稀選手との2ショット写真は、検索すれば出てきます。
父親は水野達稀選手が野球を始めるきっかけを作った人です。
水野達稀選手が小学生の頃、父親は草野球をしており家に野球道具が置いてある環境でした。
自然と水野達稀選手は父親とキャッチボールをするようになり、野球を始めることになったそうです。
疑問に思った時に気軽に野球について質問できる相手が幼少期からいるのは、かなり心強そうですよね。
水野達稀選手の公式プロフィールにも野球をはじめるきっかけについて「父親がやっていたから」と書いてあります。
水野達稀選手は丸亀城西高校出身なのですが、父親も祖父も丸亀城西高校の前身である丸亀商業高校の野球部OBです。
しかも、3世代にわたって甲子園出場の経験があるというエリート野球一家だったという情報もあります。
水野達稀選手は丸亀城西高校に進学後、甲子園出場に対して並々ならぬプレッシャーがあったことでしょう。
甲子園出場を果たし社会人からプロ入りした水野達稀選手ですが、壁にぶち当たります。
プロ入り1年目からオープン戦で結果を残したため、開幕スタメンを勝ち取ったものの3打席ノーヒットの結果に終わり、19打席目でやっと初ヒットが出たものの、4月に2軍降格。
プロ2年目は31試合しか出場できませんでした。
プロ1年目の不調の悪夢から、プロ3年目で再び開幕スタメンを勝ち取った時、水野達稀選手は不安な気持ちに駆られてしまいます。
そんな時に励ましてくれたのが父親でした。
開幕2日前に水野達稀選手に電話をかけ、
「打てんかったら、打てんかったでええがー!」
引用:スポニチANNEX
とエールを送ってくれたそうです。
「大雑把な人なんですけど、(気持ちが)ちょっと楽になりました」
引用:スポニチANNEX
父親のエールが効いたのか、2024年3月29日に行われた対ロッテ戦では2本のヒットを放つ活躍。
父親も息子の活躍が嬉しかった事でしょう。
水野達稀選手はプロ2年目までは目の前のこと精いっぱいで、余裕がなかったと語っています。
プロ3年目にあたる2024年から落ち着いて試合に臨むことができたそうです。
水野達稀選手が入団した日本ハムは、長らく2遊間が固定できていない状況です。
水野達稀選手が頭角を現せば、日本ハムとしても大きな戦力になるに違いありません。
水野達稀選手の母親はどんな人?
水野達稀選手の母親は真理さんという名前です。
顔写真・職業・年齢などは公開されていませんでした。
母親も父親と同じく丸亀商業高校出身です。
水野達稀選手のご両親は、高校から長い付き合いをしてきたのではと考えられますね。
水野達稀選手は2024年5月12日に行われた対ロッテ戦で、サヨナラヒットを決めたためお立ち台へ。
この日は母の日だったため、水野達稀選手の母親からすれば最高のプレゼントになったことでしょう。
ヒーローインタビューで水野達稀選手は、少年野球の頃から母親が試合を見に来てくれていたと語っていました。
昔から優しいお母さんだったとも話しており、水野達稀選手のことを少年野球の頃から家族総出で応援していたことが想像できます。
残念ながら母親は観戦しに来ていなかったものの、
「絶対に(テレビで)見てくれていたと思う」
引用:日刊スポーツ
と語り、嬉しそうにインタビューに応じていました。
両親が香川県から引っ越ししていないのであれば、日本ハムの本拠地であるエスコンフィールドに毎回観戦するのはかなり厳しそうです。
しかし、何回かは観戦しに来たことがあるようなので、両親が生観戦している時にお立ち台に立てる日がくるといいですね。
母の日ということで、水野達稀選手にとってのおふくろの味についても質問され、
「〝おふくろの味〟はやっぱりハンバーグですね」
引用:サンスポ
と王道な料理を答えていました。
次に実家に帰省した際は、ハンバーグが用意されていそうですね。
2023年の母の日は、ちょっと高級なドライヤーをプレゼントしたという母親思いな水野達稀選手。
もしかしたら母の日に放ったサヨナラヒットの方が、母親としては嬉しかったかもしれませんね。
まとめ:水野達稀選手の父は野球部OB!実家・家族構成と両親・兄弟はどんな人かまとめ
では今回のまとめです。
- 水野達稀選手は丸亀城西高校出身なのですが、両親と祖父は前身である丸亀商業高校出身です。
- 父親と祖父は丸亀商業高校野球部OBであり、甲子園出場経験があった為、水野達稀選手は高校在学中プレッシャーがあったのではないかと思います。
- 高校3年生の時に甲子園出場を決めた時、水野達稀選手は嬉しいと同時にホッとしたのではないでしょうか。
- 水野達稀選手は2021年のドラフト会議でプロ入りし、1年目からオープン戦で好調だったため開幕スタメンを勝ち取ったものの思うような結果が残せず、すぐに2軍落ちとなってしまいました。
- プロ3年目となる2024年にも開幕スタメンを勝ち取ったものの、2年前に結果が残せなかった記憶がよみがえり、水野達稀選手は不安に感じていました。
- 開幕2日前に父親は電話で水野達稀選手を鼓舞しました。
- 父親からの応援が効いたのか、水野達稀選手は2本のヒットを放つという結果を残すことができ、怪我があったもののプロ野球人生で最も出場試合数が多いシーズンを送っています。
- 水野達稀選手は2024年の母の日に行われた試合でサヨナラヒットを放ち、ヒーローインタビューを受けました。
- 母の日ということもあり、水野達稀選手に対し母親に対する質問が飛び、おふくろの味はハンバーグであることが明らかになりました。
両親が香川県に住んでいるとしたら、なかなか北海道まで観戦には来づらそうですが、両親が生観戦している時にヒーローインタビューを受けられるような活躍をしてほしいですね。
最後までご覧いただきありがとうございました。