周東佑京選手といえば今となっては侍ジャパンのメンバーとしても活躍するなど、活躍をしている選手ですが、入団は育成選手としての入団でした。
そんな周東佑京選手はどのような実家の家族によって育てられてきたのか気になりますよね!
また、両親やきょうだいとのエピソードなども知ることができたら嬉しいと思います。
そこでこの記事では、周東佑京選手の実家の家族についてや、両親やきょうだいはどんな人なのかについて調査してみました!
- 周東佑京選手の実家の家族構成は?
- 周東佑京選手の父親はどんな人でエピソードは?
- 周東佑京選手の母親はどんな人でエピソードは?
- 周東佑京選手にきょうだいはいる?
ぜひ最後までお読みください。
周東佑京選手の実家の家族構成は?
周東佑京選手の実家の家族構成は、父親、母親、姉、周東佑京選手、妹2人の6人家族なのだそうです。
<家族構成>
- 父親
- 母親
- 姉
- 周東佑京選手
- 妹2人
そして、周東佑京選手の祖母も一緒に暮らしていたということで、7人暮らしの家庭で育ってきました。
4人きょうだいの2番目で育ってきた周東佑京選手ですが、自分以外のきょうだいはみんな女ということで、少し珍しいような関係性となっています。
周東佑京選手の実家は現在は群馬県みどり市にあるそうです。
周東佑京選手が実家にいた頃は群馬県太田市に実家があったとのことなので、引っ越したのでしょうね。
周東佑京選手は小学校2年生の時に「藪塚リトルファイターズ」にて軟式野球を始めています。
中学に上がる時には硬式野球チームである「太田ボーイズ」に所属していました。
高校では群馬県にある東京農業大学第二高校に入学し、高校3年生の時にはキャプテンも務めていたそうです。
甲子園には出場経験がなかったものの、周東佑京選手は2番ショートで試合に出場し、17打数7安打5盗塁という素晴らしい成績を残していました。
周東佑京選手の足の速さは高校生の時から光っていたということがわかりますよね。
高校卒業後は東京農業大学生物産業学部に入学し、硬式野球部に入部し野球を続けてきました。
入学してすぐの1年生の時からレギュラーとして試合に出場し、チーム事情からもさまざまなポジションを任せられてきました。
大学通算で40盗塁をあげ、大学4年生の秋に行われたドラフト会議にて福岡ソフトバンクホークスより育成2位指名を受けてプロ野球選手となっています。
プロに入ってからも努力を重ねた周東佑京選手は、持ち前の足の速さ・盗塁力を活かして2019年のシーズン前に支配下登録をされています。
周東佑京選手の父親はどんな人でエピソードは?
周東佑京選手の父親の名前は周東孝宜さんというそうです。
仕事は運送業を経営しているということなので、経営者の息子として育ってきたのですね。
周東佑京選手は足の速い選手として知られていますが、父親の孝宜さんも足が速かったそうです。
そのため、周東佑京選手の足の速さは父親譲りということになりますね。
父親の孝宜さんは運送業の経営者ということですが、普段はトラックの運転手をしているそうです。
なかなか忙しい生活を送っていそうなイメージがありますよね。
忙しいながらも周東佑京選手が1軍の選手として活躍し出したのは、コロナ禍の頃であったため、活躍していても球場に行けなかったそうです。
テレビで応援する一ファンのような観戦スタイルになっていったとのことでした。
父親としては現地で観たかったとは思いますが、もどかしい気持ちだったでしょうね。
周東佑京選手が野球を始めるきっかけとなったのが父親の孝宜さんだったとのことでした。
父親の孝宜さんは野球好きで、周東佑京選手に野球選手になってほしいと思っていたそうです。
周東佑京選手が小さい頃から夕食時のテレビでは野球中継をつけていたとのことで、ある意味周東佑京選手は野球をやるように道をしるされていたとも言えますよね。
そして、周東佑京選手は小学校2年生の時から野球を始めています。
きっと父親の孝宜さんは息子が野球を始めてくれたことを嬉しく思ったでしょうね。
ちなみに周東佑京選手の名前「佑京」という名前は父親の孝宜さんがつけたそうです。
F1レーサーの片山右京選手から取ったとのことで、「自分の力でのし上がってほしい」という思いがあったそうです。
周東佑京選手は名前の通り、自分の力でのしあがり、見事育成選手から支配下登録されるに至っています。
父親の想いをしっかりと継いで周東佑京選手は頑張っているのでしょうね。
周東佑京選手の母親はどんな人でエピソードは?
周東佑京選手の母親の名前は周東園美さんというそうです。
仕事についても不明で、顔写真なども公開されていませんでした。
母親の園美さんも野球好きで巨人ファンだったそうです。
巨人ファンだった事から小さい頃はよく巨人戦をテレビで流していたとのことでした。
野球好きの両親に育てられたら、子どもも野球好きになっていくのでしょうね!
母親の園美さんは「保育園の頃から徒競走は1番だった」と周東佑京選手の足の速さの話をしていました。
小さい頃から足が速かったということで、練習というよりかは、もともとの素質が大きかったのかもしれませんね。
周東佑京選手に兄弟はいる?
周東佑京選手の兄弟には、男兄弟ではなく、姉1人、妹2人のきょうだいたちがいます。
女きょうだいの内、1人だけ男の子ということなのでかなり可愛がられていたのだと思われます。
周東佑京選手のきょうだいの詳しい年齢構成や名前については公開されていませんでした。
それでもきょうだい仲はいいということで、電話もよくしているそうです。
素敵な関係性で育ったからこそ、周東佑京選手の人間性も素晴らしいのでしょうね!
ちなみに小学校2年生の時に周東佑京選手は野球を始めていたので、1番下の妹はよくグラウンドのすみで遊んでいたそうです。
小さい頃から兄である周東佑京選手の活躍を間近で見て来れたのでしょうね。
まとめ:周東佑京選手の実家・家族構成は6人!両親や兄弟はどんな人?
周東佑京選手の実家の家族は大人数で暮らしていたということで、周東佑京選手は賑やかな家庭で育ってきたことが予想されます。
4人きょうだいのうちの2番目で、自分以外は女の子であったことから、両親からもきょうだいからも可愛がられていたでしょうね。
野球好きの両親に育てられた結果、小学校2年生で野球を始めて、高校ではキャプテンも務めたりと、責任感のある性格に育っていったということがわかります。
では、今回の記事のまとめです。
- 周東佑京選手の実家の家族構成は、祖母、父親、母親、姉、周東佑京選手、妹2人の7人家族で育ち、実家は群馬県にあり、高校は東農大二高に通い、甲子園出場はならなかったものの足の速さは光っていた。
- 周東佑京選手の父親は周東佑京選手に「自分の力でのし上がってほしい」という想いで名前をつけて、自身が野球好きであったことから野球のテレビ中継をつけたりと工夫をして野球好きになるようにしていっていた。
- 周東佑京選手の母親も父親と同様に野球好きで、特に巨人好きであったということから巨人戦をよくテレビ中継をつけていた。子どものころの周東佑京選手も足が速いエピソードを明かしていた。
- 周東佑京選手にはきょうだいがいて、姉が1人、妹が2人と女きょうだいの中で育ってきたものの、きょうだい仲はしっかりとよく今でも電話をするような関係性となっているため、賑やかな家庭であったことが予想される。
周東佑京選手は子どもの頃から足が速かったということから、生まれ持った遺伝子が素晴らしかったのかもしれませんね。
盗塁技術はのちに身につくものであると考えられるため、周東佑京選手にはセンスがあったのでしょう。
今後も周東佑京選手の活躍を応援していきましょう!