2023年8月に開催される「FIBAバスケットボールワールドカップ」での活躍も楽しみなところです。
2023年8月15日には合流後初の公式戦が行われたのですが、第2クオーター6分過ぎ右足を負傷してしまいましたね。心配です。
第1クオーターではミドルシュートで得点も決めて、チームをひっぱってきてたのに・・・
第3クオーターで戻ってもベンチで待機で大変。
そういえば渡邊選手って、いろんな意味で日本人離れしてるよね。
ハーフなのかな?
そこで、渡邊雄太選手の生まれを調べるべく、ご両親を含め、ご家族について調査してみたところ、どうやらご家族皆さんが、スポーツ一家だったようです。
そこで今回は、以下についてまとめていきたいと思います。
・渡邊雄太はハーフなのかどうか。
・渡邊雄太の生い立ち。
・渡邊雄太の家族(両親やきょうだい)について
サクッと読めますのでぜひ、最後まで楽しんでくださいね。
渡邊雄太選手のプロフィール
名前:渡邊雄太(わたなべ ゆうた)
生年月日:1994年10月13日
出身地:香川県
出身校:ジョージ・ワシントン大学
身長:206cm
体重:98kg
所属:フェニックス・サンズ(NBA)
ポジション:スモールフォワードまたはパワーフォワード
渡邊雄太選手はハーフ?
結論から先にお伝えしますと、渡邊雄太選手は、ハーフではなく純日本人です。
渡邊雄太選手の生い立ち
香川県出身と言われていますが、渡邊雄太選手手は、1994年10月13日に横浜市で生まれ、4歳の時に父の出身地である香川県木田郡三木町へお引越しをされています。
父親は、香川県出身で、母親は和歌山県出身の純日本人です。
渡邊雄太選手は、両親がバスケットボールをやっていた影響から、幼い頃からバスケットボールに親しんで育ちました。
バスケ一家の渡邊家では、家族でシーズンになるとNBAの試合をテレビ観戦していましたことから、「将来はNBAでプレーしたい」と、小学2年生か3年生の頃でには思っていたそうです。
ハーフと思われる理由
渡邊雄太選手が「ハーフ」と思われる理由は、お顔立ちよりも、なんといっても日本人離れした身長と身体能力ではないでしょうか。
渡邊雄太すげーな。
体格が日本人離れしすぎでしょ。— ほわいとつりー (@hnk_basket_hnk) April 17, 2019
渡邊雄太すげぇ。技術も体格も日本人離れしてる。
— らっくさん じゅうにさい (@spica_Chca) October 8, 2018
改めまして、日本の皆さん。
久慈暁子さんと婚約した渡邊雄太という選手は、この人!日本人離れした体格と身体能力、絶え間ない努力と精神力により、世界に500人ほどしかいないNBA選手としてプレーしこんなダンクも決めてみせる男です👍#渡邊雄太 #yutawatanabe@ESPNNBApic.twitter.com/taATeoWw2b
— CARTER_AF1 (@carter_AF1) May 27, 2022
渡邊選手の身長は206㎝と、とにかく大きいです。
さらに加えて、日本人離れしたリーチやダンクなど身体能力に、驚く人が多いようです。
渡邊雄太選手の家族について
渡邊雄太選手は、純日本人の父親と純日本人の母親の間に生まれました。
きょうだいには姉がいて、家族がみんなバスケのプロの世界で活躍してきたそうです。
父親について
渡邊雄太選手の父親は、香川県出身でお名前は、英幸さんです。
父親の英幸さんも、社会人バスケットボールチームの選手でした。
<父のプロフィール>
身長:190㎝
生年月日:1958年9月28日生まれ。
出身地:香川県出身。
東京都のゼネコン会社、熊谷組の実業団チーム「熊谷ブルーインズ」の元選手。
「熊谷ブルーインズ」は「全日本実業団競技大会」で優勝の実績を持つ強豪チームだったが、1994年に休部
母親について
渡邊選手の母親は、和歌山県出身の久美さんです。
旧姓は、久保田久美さんといいます。
母親も元バスケットボール選手で、日本リーグのシャンソン化粧品に所属し、日本代表で主将も務めた経験があるすごい選手でした。
バスケが好きな人にとっては、お名前でピンと来た人もいらっしゃるかもしれませんね。
<母のプロフィール>
身長:177㎝
生年月日:1961年10月30日
出身地:和歌山県出身
【日本代表歴】
- 1982年アジア競技大会
- 1983年女子世界選手権
- 1986年アジア競技大会
大阪府枚方市立津田中から甲子園学院高校に進学し、全国高校総体で準優勝した。
その後、日本リーグのシャンソン化粧品に所属し、1985-86シーズンに日本リーグMVPを獲得している。全日本にも選ばれ、1983年世界選手権に出場した。主将も務めている。
※wiki引用。
姉について
渡邊選手のきょうだいには、1歳年上の姉がいます。
お名前は、渡邊夕貴さんで、お姉さんも元バスケットボール選手で、アイシン・エィ・ダブリュ ウィングスに所属していました。
なお、2013-14シーズン終了をもって現役を引退されているようです。
ハーフのような身体を作った生い立ち
渡邊雄太選手は、小学1年生の時に、母親が指導をしていた三木スポーツ少年団に入団しました。
家族でNBAのプレーをテレビで見て、将来はNBAで活躍する選手になりたいと、小学校2年生で思ったそうです。
私が小学校2年生の頃は、将来は、「パン屋さんになる」とぼ~っとしながら言っていたのとは大違い。
いまでもよく覚えているのは、初めてロサンゼルス・レイカーズの試合を見たときのことです。画面の向こう側では、こちらがワクワクするようなプレーが繰り広げられていました。
「こんなにすごいバスケットボールの世界があるのか!」
幼い僕にとって、その光景はあまりにも衝撃的で、気がつくとNBAのとりこになっていました。
※東洋経済引用
「NBAの選手になりたい」の一言を聞いた父親は火が付き、特訓の日々がスタートしたそうです。
朝5時に起床し、ランニング・ドリブル・シュート練習の基礎を繰りかえし基本を徹底的に身に着けたとのこと。
さらに中学生になると、近所に設置したゴールで、1日1000本のゴールが課せられたそう。
これを渡邊雄太選手は1日4時間かけて取り組んだというから凄いですね。
ハーフじゃないのに出身大学がアメリカの理由は?
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中高では、将来、NBAでプレーすることを見据えた指導をしてくれた良きコーチと出会い、確かな実績を残した渡邊雄太選手は、高校卒業後、アメリカ留学をしています。
出身大学がアメリカと聞くと、なぜ?と思った人もいらっしゃるかもしれませんね。
渡邊雄太選手がアメリカ行きを決めた理由は、
①子供の頃から「NBA選手になりたい」「アメリカでバスケットをしたい」という思いがあった。
②高校2年生のウインターカップでチームが準優勝した時、アメリカ行きの話が出た。チャンスがあるうちに自分の力を試したいと思った。
③高校の恩師、色摩(拓也)コーチと両親が、全力でサポートしてくれた。
④例がない分、ネガティブな意見を言う人も多かったが、NBA経験のある田臥勇太選手も、渡邊選手のアメリカ行きを後押してくれた。
こうしてアメリカ行きを決断した渡邊雄太選手は、高校を卒業した9月から、大学進学のための準備学校のコネチカット州のセント・トーマス・モア・スクールに通い、そこでも実績残して、2014年2月、NCAA1部のジョージ・ワシントン大学へ進学しています。
なお、当時、日本で生まれた選手がNCAA Iの大学でプレーするのはまだ4人しかいなかったというから、いかに渡邊雄太選手が凄い選手である事がわかりますね。
大学に進学してからは、数々の凄い選手がいる中で徐々に頭角を現し、なんとワシントン・ポスト、ニューヨーク・タイムズなどのメディアにも渡邊選手野の特集記事が組まれた程、注目の選手となりました。
なお、大学在学中には以下のように確かな成績を残し、着実にNBA選手となる夢の実現に近づいていったのです。
【画像】渡邊雄太選手はハーフ?両親のDNAが日本人離れの理由!父・母もアスリート まとめ
今回は、NBAと日本代表のリーダーとして活躍している渡邊雄太選手についてご紹介しました。
子供の頃からの夢を努力によってかなえた渡邊雄太選手。
ハーフと思わる理由。
両親もハーフっぽいのか。
アメリカの大学へ進学した理由
についてのまとめです。
- ハーフではなく、純日本人。生まれは横浜で育ちが香川県。
- 両親も純日本人顔だけど、高身長で身体能力が高い。
- ハーフと思われる程の、渡邊選手の身体能力と身体は両親の遺伝子が凄いから
- アメリカ行きは、子供の頃からの夢で、高校時代に声をかけてもらったからチャレンジしたかった。
家族やコーチ他、バスケに関わってくださった人たちの支えあって、世界で活躍するプロのバスケットボール選手になることができたんですね。
そして、何よりも本人の努力が素晴らしいです。
これからも、渡邊雄太選手の活躍を応援しています!