横浜DeNAベイスターズで、中継ぎや抑えの投手として活躍している山崎康晃選手ですが、生まれ育った環境をあまり知られていないかと思います。
私はDeNAベイスターズファンなので、読んでいただいている皆さんにも、山崎康晃選手の事をもっと知ってもらいたいです!!
そこで今回は、山崎康晃選手の家族について、皆さんにご紹介していきたいと思います。
<この記事でわかること>
- 家族構成、兄弟について
- 父親はどんな人?エピソードなど
- 母親はどんな人?エピソードなど
ぜひ最後まで読んでみてくださいね♪
10秒でわかるプロフィール
山崎康晃選手は1992年10月2日生まれ、東京都荒川区出身です。
実家が近く、幼少期のころから親同士も仲の良かった、12歳年上の森本稀哲に憧れて森本も所属していた、少年野球チームに小学校2年生の頃に入り、野球を始めました。
現在の、DeNAベイスターズでの山崎康晃選手は笑顔で気さくな印象ですが、進学した亜細亜大学野球部は、練習環境や指導がとても厳しいことで有名な大学で、「亜細亜大学在学中は、1度も山崎康晃選手の笑顔を見たことがない。」と言われるほどだったそうです。
そこまで厳しい学校は、今では考えられないですよね…。
私が普段からテレビや横浜DeNAベイスターズのYouTubeでみている、山崎康晃選手の印象はまさしく「笑顔が素敵な優しい方」だったので、亜細亜大学時代のことを知ったときは、とてもびっくりしました…。
大学3年生の時に先発投手となり、夏の第39回日米大学野球選手権大会の日本代表にも選ばれました。そこではクローザー(抑え投手)としてチームの優勝に貢献し、4試合無失点9奪三振という実力で、最優秀投手賞を受賞しました。
2014年のプロ野球ドラフト会議では、ほかの選手を重複指名による抽選に外れた横浜DeNAベイスターズから1巡目で指名され、契約金1億5000万円・年俸1500万円という条件で入団しました。
入団後のDeNAベイスターズでも、数々の功績を残し、チームに貢献しています!
私は何回も、横浜スタジアムへ応援しに行ったことがありますが、山崎康晃選手の「~♪や!す!あ!き!」という応援歌が大好きです。笑
実家・家族構成は?姉が美人と話題
山崎康晃選手の日本人の父と、フィリピン人の母・ベリアさんの間に生まれたハーフですが、小学校3年生の時に離婚していて、その後は母子家庭で育ちました。
山崎康晃選手の兄弟が気になるところですが、男兄弟はいなく、姉の山崎麻美さんがいます。
以前「ドラフト緊急生特番!お母さんありがとう」に母親と姉が出演して、姉の麻美さんがとても美人!と話題になっていました。
束の間の家族時間🌴☀️
いつもありがとう😊✨この日は子供達に
ユニフォーム姿を見せてくれて🥺💦
記念にみんなで写真を撮りました😊✨一丸となって戦います🐹💙⭐️
今年も応援よろしくお願いします🥺⚾️🔥#宜野湾キャンプ2024#YasuakiFamily#WeloveBelle pic.twitter.com/oVZP3at38E— 山﨑 麻美 (@ataponchu) February 27, 2024
本当に美人な方で、SNSなどでもファンの間で有名です!
現在の職業についてはわかりませんでしたが、麻美さんのX(旧Twitter)では山崎康晃選手の応援をしていて、幸せそうな家族や一生懸命応援する姿が投稿されていて、とても微笑ましく思います。
父親はどんな人?家族エピソードは?
山崎康晃選手の父親は小学校3年生の頃に離婚されていることもあり、名前や職業などは一切公表されていません。
なのでエピソードなども調べることができませんでした。
そのことから、山崎康晃選手にとって小学校3年生から母子家庭として、姉の麻美さんと山崎康晃選手を一人で育ててくれた母・ベリアさんは、大きな大切な存在だと言えます。
母親はフィリピン人|母とのエピソードにじんわり
山崎康晃選手の母・ベリアさんは、19歳の時にフィリピンの首都マニラの近くにある、゛パテロス”というところから、日本語を学ぶために来日しました。
翌年に結婚して、姉の麻美さんと山崎康晃選手を授かっています。
その後、離婚をきっかけにベリアさんは、故郷であるフィリピンに帰ることも考えましたが、当時幼かった山崎康晃選手の、「野球を続けたい!」と自分から言ってきてくれたことで、日本で母子家庭として頑張っていくという覚悟を決めたそうです。
母親のベリアさんは昼は工場で働き、夜は飲食店という家族のために多忙な日々を送っていました…。
そんな母親の姿を身近でみていた山崎康晃選手が、思春期の頃に書いた母への手紙の中に、「将来はプロ野球選手になって、お母さんを幸せにする」「年収5000万円もらって何でも買ってあげる」という目標が書かれていました。
普通の思春期の男の子は、自分の思いをお母さんに伝えるということを、照れくさくて言えなかったりするのに、それを手紙にする山崎康晃選手は本当にお母さん思いな子で、母のベイアさんも仕事で忙しいにも関わらず、愛を伝えていたから素直で優しい子に育ったんだなあと思い、泣きそうになりました…。
その後、横浜DeNAベイスターズで山崎康晃選手が活躍している中、母のベリアさんが51歳という若さで亡くなってしまいました。
51歳という若さもあり、死因について多くの質問が寄せられましたが、所属する球団やマスコミも、詳細は非公開にしたいという家族の意思を尊重して、報道を規制しました。
ですがその後、山崎康晃選手自ら母・ベリアさんのことをメディアの前でお話しされています。
「3年くらい闘病していました。最初に聞いたときは余命が、2年と言われて…ショックでした。でもその時に自分にできることは何でもしよう、と思ったんです。姉とみんなでサポートしようって、同じマンションの中に部屋を二つ借りました。そこで最後に家族のいい時間を過ごせたと思っています。」
母・ベリアさんは、山崎康晃選手が大人になり収入が安定した後も、フィリピンにある実家へ仕送りをしていたようで、「これからはその仕送りも僕がしますから。逆に母をフィリピンに帰らせてあげたいとも思っていたんですが、コロナ渦もあってそれは叶わなかったですね…」と後悔も語っています。
母・ベリアさんは、山崎康晃選手がプロ入りした後、毎年沖縄で行われる春季キャンプを見学することを楽しみにしていました。山崎康晃選手の応援グッズを買い込んでは、練習中の息子を応援していました。
そんな母・ベリアさんは、闘病中に「キャンプに行きたかったな…」と口にしたことで、いてもたってもいられなくなった山崎康晃選手は、休みの月曜日に飛行機で沖縄へ飛び、母の大好きだったA&Wのハンバーガーとルートピアを買って、そのまますぐ羽田へ戻りました。沖縄の滞在時間は40分ほどだったそうです。
そのときのことを山崎康晃選手は「闘病生活も厳しい状況で、とにかく何でもしてあげたい。そこまでしなければ後悔すると思っていました。さすがにハンバーガーは食べれなかったけど、ルートピアは飲んでくれて『おいしいね』って…。その言葉が聞けたことだけで嬉しかった。」と語っています。
実は母が闘病中であることを、緊急時のために横浜DeNAベイスターズの球団幹部とマネージャーには伝えていたものの、チームメイトたちには一切伝えておらず、練習場にはいれば常に明るい笑顔をみせていたそうです。
「自分のパフォーマンスが崩れたのはその時期だが、絶対に母のせいにはしたくない。母のことを周りに言うことで、気を遣わせることもしたくない。弱いだと思われたくない気持ちもあって、言えなかったですね。」と言っていました。
本当に素敵な子供たちを育て上げていただき、私たちファンが大好きな野球という場所に山崎康晃選手を導いてくれて、本当に心から感謝します。安らかなご永眠をお祈りします。
まとめ:山崎康晃選手はハーフ!両親(父親・母親)について|兄弟は姉が1人で美人と話題
今回は山崎康晃選手の家族のことについて書かせていただきました。
まとめると、
- 山崎康晃選手のプロフィール
- 姉の麻美さん
- 父の情報はなし
- 母の偉大さ・闘病生活について
今まで応援していた、山崎康晃選手の過去にはこんなにも努力があり、これからはもっと今まで以上に山崎康晃選手の活躍を応援したくなりました。
この情報を皆さんにも伝えられたことを、うれしく思います。