大島洋平選手は、現在中日ドラゴンズに所属し外野手として活躍する、プロ野球選手です。
2009年に行われた、日本プロ野球ドラフト会議で中日ドラゴンズに指名されたので、既にベテラン陣と肩を並べています。
国内FA権や海外FA権を取得するも、行使することなく一生中日ドラゴンズに、捧げると誓うほどの、選手です。
現在は、可愛らしい妻と4人の子供たちに支えられ、野球に真剣に励んでいます。
では、大島洋平選手の幼少期を支えた実家家族は、どんな人たちなのでしょうか?
今回は、大島洋平選手の実家家族について、ご紹介していきたいと思います!
<この記事でわかること>
- 大島洋平選手の生い立ち・実家はどこ?
- 両親はどんな家族?
- 兄弟はいるの?
それでは一緒に見ていきましょう♪
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大島洋平選手の実家・生まれ育った場所
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大島洋平選手は、1985年11月9日に愛知県名古屋市緑区で、生まれ育ちました。
愛知県名古屋市緑区は、名古屋市を構成する16区のうちの、一つの区です。
かつて、織田信長が今川義元を倒したことで有名な、1560年の桶狭間の戦いの舞台でもあり、観光名所として高い人気を博しています。
更に1975年には、地元の特産品「有松・鳴海絞」が日本の、伝統工芸品に指定されお土産としても、最適です。
愛知県名古屋市と言えば、大島洋平選手が所属する中日ドラゴンズのホーム、「ナゴヤ球場」もありますよね!
幼いころから大島洋平選手が、応援していた中日ドラゴンズに入団することは、本当に名誉なことだと、私は思います。
大島洋平選手の母親はどんな人?
現在は結婚し、献身的な妻に支えられている大島洋平選手ですが、幼いころを支えていた実家家族は、どんな人たちなのでしょうか?
まずは、大島洋平選手の母親からご紹介します。
大島洋平選手母親は、幼いころから教え続けたことがあるそうです。
それは、「やるのなら最後までやりなさい」です。
この言葉は、大島洋平選手が野球を始める決意をした小学校4年生の頃から、母親が言い続けた言葉のようです。
小学校4年生から!?決断するには早すぎる…と、私は正直思ってしまいましたが、大島洋平選手はこの言葉を胸に、現在も野球に専念しているようです。
2023年8月26日に行われた、中日ドラゴンズ対横浜DeNAベイスターズの試合で、3回に中前打を放ちました。
それが、プロ野球史上55人目となる「通算2.000安打」を、達成することとなりました。
その後の取材で語ったのは、
「母親の言葉を大事に、こんなに長く、まだ野球をやれている」
でした。
私は、「やるなら最後まで」という言葉は、小学校4年生には早すぎると初めは思いましたが、こんなにも長い間忠実に守り、大島洋平選手が努力することができたのは、母の言葉があったからこそだと、改めて思いました…。
やっぱり、いつまでたっても母の存在は、偉大なものなんですね…。
通算2.000安打を達成した試合は、大島洋平選手の母も観戦に来ていたようで、
「たくさんの応援の中で打ててよかった。本人の努力があったからだと思う」
と、語っていました。
当時球場で応援していたファンたちも、「今日打てば、通算2.000安打行くかもしれない!」と、いつも以上に応援に力が入っていたようです。
そのファンの期待に応えるように、ヒットを放った時は本当にファンたちの声援が、対戦相手のファンまでも感動するほどの、声量でした!
そんなファンに囲まれているのを、大島洋平選手の母は本当に感謝しているように、私は感じました。
このことから、大島洋平選手の母はとても偉大で、息子思いな母だということがわかりました!
地元の名古屋市内では、大島洋平選手の母が講演なども行っていて、とても有名な方になっているようです♪
大島洋平選手の父親はどんな人?
上記で、大島洋平選手の母親についてご紹介させていただきましたが、では父親はどんな人だったのでしょうか?
大島洋平選手の父親は、元々中日ドラゴンズの大ファンだったようです。
大島洋平選手は、そんな父親の影響で野球を始めました!
幼いころから、父親とのキャッチボールに夢中だった大島洋平選手は、当時中日ドラゴンズで活躍していた、立浪和義選手に憧れていたそうです。
そんな大島洋平選手は、若手時代はほぼ無休で練習や試合に打ち込み、現在も完全に丸一日休みにするのは、シーズン終了後の10日間だけのようです。
それ以外は連日バットを振り、シーズン期間以外も体が忘れないよう、染み込ませていました。
そんな努力家の大島洋平選手を、父親は1番近くで常に見守っていました。
そして上記でも紹介した、通算2.000安打の試合に大島洋平選手の父も、観戦しに行っていたようで、
「ぼてぼての内野安打と思っていたが、いつものきれいな安打でうれしかった。感無量。親として非常にうれしい気持ちでいっぱい」
と、記者の前で語っていました。
親としては、これまでの大島洋平選手を近くで見ていたので、本当に言葉にできないほどの嬉しさが、こみ上げてくると私は思います。
小学校4年生の頃に所属していた「名古屋平針HBC少年野球クラブ」では、人数が足りないためキャッチボール相手に、大島洋平選手の父も練習に参加していたこともあったそうです。
このことから大島洋平選手の父親は、とても息子思いで1番近くで支えてくれた人だということが、わかりましたね!
日頃の仕事で疲れているはずなのに、土日には大島洋平選手の練習や試合に、顔を出していたようです^^
大島洋平選手に兄弟はいるの?
素敵なご両親の元育った大島洋平選手に、兄弟はいたのでしょうか?
結論から言うと、大島洋平選手には弟が2人います!
<家族構成>
- 父親
- 母親
- 兄
- 本人
- 弟
名古屋でもっとも有名な3兄弟と、記事にもなっていたそうです。
大島洋平選手の3兄弟は、みんな野球をやっていたそうですが、次男は現在はやめてしまったそうです。
末っ子の三男は、現在も現役選手として社会人野球で、プレーを続けています。
三男の啓太さんが、兄弟の事を過去に記者の前で語っていました。
幼いころの記憶をたどっても、兄弟で喧嘩した覚えはなく、さらに大島洋平選手が両親に怒られていた記憶も、ないようです。
大島洋平選手は、マイペースで常に聞く側に回り、弟たちには背中で引っ張っていくタイプだったと、三男・啓太さんが話していました。
2017年に三男・啓太さんは、当時交際していた彼女にプロポーズするため、大島洋平選手にレストランの予約だけ、お願いしたようです。
プロポーズすることは伝えていなかったものの、共通の知人から知ったようで、ホテルの部屋には大島洋平選手からのサプライズで、シャンパンも置かれていたようです。
「粋なサプライズのおかげもあって、プロポーズは大成功しました。」
と、嬉しそうに三男・啓太さんが話していました^^
大島洋平選手は、とても弟想いなことがわかりますね!
練習や試合中でなければ兄弟たちからの、電話にすぐ出てくれるようで、現在も三兄弟は凄く仲がいいようです。
家族全員が仲良しで、それぞれを応援しあっている、素敵な家族ですごく微笑ましいです^^
まとめ:大島洋平選手の実家・家族・両親はどんな人?兄弟は3人で弟も野球選手!
今回は、大島洋平選手の実家家族について、ご紹介させていただきました。
まとめると
- 大島洋平選手の生まれ育った場所
- 母は偉大な優しい人
- 父は野球のきっかけをくれた、息子想いな人
- 3人兄弟
- 兄弟は現在も仲がいい
今回調べていて、大島洋平選手の実家家族は本当に、愛に溢れた家庭だということがわかりました。
だからこそ、妻や子供たちにも同じように、愛を与え円満な家庭を築けているのですね^^
私はこれからも、大島洋平選手を応援し続けたいと思います!