サッカー選手

谷口彰悟選手の実家・家族構成|両親はどんな人?3人兄姉も運動神経が凄かった!

谷口彰悟選手家族,谷口彰悟選手実家,谷口彰悟選手兄,谷口彰悟選手両親

カタール1部アル・ラーヤンSCに加入する谷口彰悟選手

川崎フロンターレ時代は、Jリーグ2連覇を2回も成し遂げた立役者でもあります。

今回は、谷口彰悟選手の実家、家族について、ご紹介していきます。

題して、『谷口彰悟選手の実家・家族構成|両親はどんな人?3人兄姉も運動神経が凄かった!』です。

サクッと読めますので最後まで読んでみて下さいね!

スポンサーリンク




谷口彰悟選手 家族構成は5人

谷口彰悟選手の家族構成は、以下の5人家族です。

父親:登志夫さん

母親:春江さん

姉:友季子(ゆきこ)

兄:慶祐(けいすけ)

本人:谷口彰悟選手

 

スポンサーリンク

両親(父親・母親)はどんな人?

谷口彰悟選手の両親は、父・登志夫さんと母・春江さんという方です。

父・登志夫(としお)さんの職業は不明です。

父親の登志夫さんはサッカー経験者ではありませんでしたが、幼稚園の頃からサッカーを始めていた谷口選手にサッカーに打ち込める環境を与えるために、卒園した体育幼稚園と両親が熊本ユナイテッドSCを設立させたとのことです。

息子のために、クラブチームを作ってしまうなんて凄いですね!

谷口彰悟選手の今の活躍には、父・登志夫さんの存在が大きかったことは間違いないでしょう。

父親とのエピソードでこのようなものを発見しました。

「自分で考えて、筑波大学に進学することに決めました。そのときも父親にプロになりたいとは言わなかったと思います。両親には、自分で考えたことを、やらせてもらってきた感じはします。」

引用元:GIANT KILLING extra

インタビューでは「自分で考えたことを、やらせてもらってきた感じ」と話していますので、谷口彰悟選手の家族又は一般的に収入の中心となる父親は相当な収入があったものと予想することができます。

また、日刊スポーツの記事を読んでみても熊本の震災直後に即仮住まいとしてマンションに引っ越しができる経済力と行動力には驚きました。

子供のために、クラブチームを作ってしまうのですから相当資金があるのでしょうね。

母・春江(はるえ)さんも職業は不明です。

母・春江さんについて谷口彰悟選手がインタビューで語っていました。

「高校のとき、朝練があるから毎日5時21分の始発電車に乗って通っていたんですよね。だいたい4時半くらいになると、母親に『もう遅れるわよ!』って起こしてもらっていました。しかも、起きたらパンとか朝ご飯を用意してくれていて、その上、お弁当を持たせてくれたので、僕より、かなり前に起きていたはずなんですよね。練習を終えて家に帰ってくるのが、だいたい夜の9時くらい。今思うと、感謝しかないですよね。」

引用元:GIANT KILLING extra(一部抜粋)

過酷だった学生時代を乗り越えられたのは、母親の支えがあったからですね。

子供のためにはどんなことでも惜しまない優しい母親ですね。

登志夫さんと共にクラブチームの設立に携わっていますが、アスリート経験者ということもなく、谷口彰悟選手が小学生の頃には陸上や書道、エレクトーンのレッスンにも通わせていたそうです。

谷口彰悟選手がエレクトーンの練習を嫌がるとマンツーマンで徹底的に指導し、勉強面についても厳しかったと、インタビューで語っています。

習い事に関しては厳しく、また谷口彰悟選手はこのことが苦痛だったと大人になった今は語っています(笑)

オンオフの切り替えはやはり大事ということでしょうか。

スポーツ一筋で勉強がおろそかになるのはいけない、という教育方針だったのですね!

 

スポンサーリンク

兄弟について

谷口彰悟選手の兄の名前は慶祐(けいすけ)さんで、歳は3歳離れています。

兄・慶祐さんもサッカー経験者で、熊本県内トップレベルのディフェンダーとして活躍していたそうです。

谷口彰悟選手同様、兄・慶介さんもプロ選手になれたかもしれませんね。

姉は、友季子(ゆきこ)さんで9歳差であることが判明しています。

姉・友季子さんは熊本工業高校出身で、高校時代には、国体女子陸上100mハードルで優勝し、当時の記録(13.67秒)を残しています!

全国優勝しているのですから、陸上選手になれたのではないかと思います。

谷口彰悟選手の家族は全員スポーツに興味があるようで、中でも兄弟は全員幼い頃からスポーツをメインとした第二さくら体育幼稚園に通っていました。

谷口彰悟選手はインタビューで兄・慶介さんと姉・有季子さんについてインタビューで答えています。

「小学校低学年から6年生まで陸上教室に通っていました。1年生から3年生まではエレクトーン、1年生から6年生まで習字にも行っていましたね。でも、イヤでイヤで。姉と兄が習っていたので、特に理由はなく流れで近くの音楽教室に通わされていたんですが、練習がイヤすぎた。

陸上は、姉と兄がすごかったんです。国体優勝だったりインターハイで結果を残したり。特に姉の成績がよく、弟たちもまあまあ優秀だったので、先生と「陸上の道へ行ったらどうか」という話をした記憶ありますけど、僕はサッカーしか考えていなかったです。」

引用元:MELOS

「まぁまぁなスポーツ一家」と谷口彰悟選手が家族自慢したくなる気持ちに納得した結果ですよね。

それにしても、小学校1年生から6年生まで兄弟といくつも同じ習い事をしていたって相当兄弟仲が良かったのだと思います。

 

スポンサーリンク

実家・自宅について

谷口彰悟選手実家は熊本県熊本市東区です。

どのような街なのかというと、熊本市東区は市内に存在する5つの区のなかでもっとも人口の多い街です。

人口密度も中央区に次いで2番目に多く、15 歳未満の幼年人口が多いところが特徴にある。

そんな若い年代の人口が多い熊本市東区の住みやすさの基盤には、生活や交通の利便性の高さや自然の豊富さです。

自然も豊かということで、かなり暮らしやすい環境だったのではないかと思います。

忘れている方が多いかもしれませんが、2016年4月14日21時26分以降に熊本県と大分県に発生した地震です。

震度7を観測する地震が起き、多くの自宅が崩壊してしまったのです。

谷口選手はインタビューでこのように語っていました。

「僕は川崎にいたので実際に見てはいないのですが、家の壁がひび割れ、食器などがすべて床に落ち、足の踏み場もない状態だったと両親から聞き、写真も見せてもらいました。全壊ではなく半壊という認定ですが、家には住めなくなりました。両親と祖母は車中泊を経て、2~3週間の避難所生活を強いられましたが、幸い早いうちにアパートが見つかったので、住まいを移しました。その後、実家は建て直しました。」

引用元:Sportsnavi

これを聞くとゾッとしますね。

改めて災害の恐ろしさを痛感します。

谷口選手自身も被災した経験があるとのことです。

「筑波大時代の2011年3月に起こった東日本大震災で、生活に影響を受けたという。つくば市も震度6弱の揺れで電気、ガス、水道が2日間、ストップしました。コンビニに行っても商品がなくなっていて、事前に備蓄をしていなかったので食べるものに困りました。ちょうどその日は寮からアパートへの引っ越しの日でした。荷物を運ぶことはできましたが、電気が点かず、身をもって災害の怖さを知りました。」

引用元:Sportsnavi

また、大学の施設も被害を受けてサッカー部のグランドが使えなかったとのこと。

いつもある光景が当たり前ではないのだと改めて思います。

いつ災害が起きてもいいように、日頃から身の危険を守る準備が必要ですね。

森下龍矢選手妻,森下龍矢選手嫁,森下龍矢選手結婚,森下龍矢選手子供
【画像】森下龍矢選手の結婚した妻(嫁)は森七菜似の美人!馴れ初めや子供も総まとめサッカーの森下龍矢選手が結婚した妻(嫁)はどんな人?画像・年齢・職業や出会い・馴れ初めを調査!子供は何人?...

 

スポンサーリンク

まとめ:谷口彰悟選手の実家・家族構成|両親はどんな人?3人兄姉も運動神経が凄かった!

谷口彰悟選手家族,谷口彰悟選手実家,谷口彰悟選手兄,谷口彰悟選手両親出典:Instagram

 

谷口彰悟選手の実家・家族について紹介してきました。

今回のまとめです。

  • 谷口彰悟選手の家族構成は5人家族(父・母・姉・兄・本人)
  • 両親は、息子の為にクラブチームを作ってしまう程の行動派であり、一番の応援者。
  • 兄は、熊本県内トップレベルのディフェンダーとして活躍していた慶祐さん。
  • 姉は、高校時代に、国体女子陸上100mハードルで優勝した実力者。

父・登志夫さんは谷口彰悟選手のためにサッカークラブを立ち上げたりと、将来プロになって欲しいのだと幼少期から思っていたのでしょうね。

夢を叶える谷口彰悟選手も、本当にすごいです。

これからも。サッカー日本代表を背負うCBとして頑張って欲しいですね!

プロフィール

本名:谷口 彰悟(たにぐち しょうご)

生年月日:1991年7月15日

出身地:熊本県熊本市東区

身長:183cm

血液型:B型

所属クラブ

  • 熊本ユナイテッドSC(熊本市立長嶺小学校→熊本市立長嶺中学校)
  • 2007年 – 2009年 熊本市立大津高校
  • 2010年 – 2013年 筑波大学サッカー部
  • 2013年8月 – 同年12月 川崎フロンターレ(特別指定選手)
  • 2014年 – 2022年 川崎フロンターレ
  • 2023年 アル・ヤーランSC