
ソフトバンク・ 石塚綜一郎選手が、長打力と勝負強さで注目を集めていますよね。
また、爽やかでコミュニケーション能力も高く、明るい雰囲気が魅力的ですが、一体どのような環境で育ったのでしょうか。
私の経験では、「あ、この人、絶対いい育ち方してるわ…」と感じる選手って、だいたい家族のエピソードも素敵なんですよ。
そこで今回は、石塚綜一郎選手の両親はどんな人で、兄弟はいるのか、実家家族にまつわる噂の真相について調査してみました。
ぜひ最後までお読みください。
石塚綜一郎選手のプロフィール
まずは、石塚綜一郎選手について、簡単なプロフィールから見ていきましょう!
【プロフィール】
・名前 石塚綜一郎(いしづか そういちろう)
・出身地 秋田県秋田市
・生年月日 2001年6月7日
・身長 181㎝
・体重 91kg
・血液型 B型
・投打 右投げ/右打ち
・所属 福岡ソフトバンクホークス
石塚綜一郎選手は、秋田県秋田市出身ですが、「1学年1クラスで同級生は12人」であり、ご本人曰く「田舎」育ちだったそうですよ。
ちなみに、「同級生の男子全員が野球をしていた」と明かしており、幼少期の頃から野球に情熱を注いでいたことが分かりました。
地元の同級生の皆さんも、石塚綜一郎選手の活躍に喜んでいることでしょう。
出身校は?甲子園には出ていないの?
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次に、石塚綜一郎選手の出身校について見ていきましょう!
【出身校】
・秋田市立岩見三内小学校(岩見三内スポーツ少年団)
・秋田市立岩見三内中学校(秋田南リトルシニア)
・岩手県立黒沢尻工業高等学校
石塚綜一郎選手は、小学3年生の頃から軟式野球を始め、中学時代は硬式野球クラブ(秋田南リトルシニア)に所属していました。
高校1年生の春から三塁手として出場、2年生の秋にチームの正捕手となりますが、甲子園出場経験は無いそうです。
石塚綜一郎選手は、甲子園で大活躍していたイメージがあったので、意外に感じた人も多いのではないでしょうか。
ちなみに、高校3年生の夏に第101回全国高等学校野球選手権岩手大会にて、36年ぶりのベスト4に進出したそうですよ。
そんな石塚綜一郎選手ですが、2019年10月17日にプロ野球ドラフト会議にて、福岡ソフトバンクホークスから育成ドラフト1位に指名されています!
秋田市市内での入団交渉では、支度金300万円、年俸360万円(金額は推定)で契約合意に達し、今後の活躍が期待されているようです。
石塚綜一郎選手は、学生時代からコツコツと努力を積み重ね、プロ野球選手の夢を実現できたことが素晴らしいですよね。
石塚綜一郎選手の家族構成|母子家庭で兄弟はいない?

石塚綜一郎選手は、幼い頃から父親はおらず、母子家庭で育ちました。
母親は女手一つで子育てし、さらに石塚綜一郎選手が野球に専念できる環境まで整えているため、かっこいい女性であることが想像できますよね。
現在のところ、父親に関する情報は一切なく、ご本人もコメントする気持ちはないのかもしれません。
その他、きょうだいがいる情報はないため、1人っ子の可能性が高いといえます。
母親は石塚綜一郎選手を立派に育て上げるため、昼夜を問わず働き、彼のお世話は祖父母がしてくれたそうですよ。
石塚綜一郎選手は、母親と祖父母にたくさんの愛情を与えられ、真っ直ぐな好青年に育ったことが想像できますよね。
ちなみに、高校進学の時には、県内外の野球強豪校から誘いもあったそうです。
しかし、私立校は学費が高額になるため、家族へ経済的負担をかけないように、公立高校に進学したという情報もありました。
このようなエピソードから、石塚綜一郎選手は学生時代から親孝行で優しい性格だったことが伺えますよね。
石塚綜一郎選手の母親、祖父、祖母はどんな人?
石塚綜一郎選手は、温かい家族に囲まれて育ちましたが、母親、祖父、祖母は一体どんな人なのでしょうか。
それでは、石塚綜一郎選手の家族の名前や職業など、詳細について見ていきましょう!
石塚綜一郎選手の母・順子さん|愛情深く、弁当も本気!
石塚綜一郎選手の母親の名前は「順子」さんで、配送業の仕事に就いていたそうです。
母親はどんなに仕事が忙しくても、石塚綜一郎選手の健康面に気を配り、栄養管理や生活リズムをサポートしてくれたそうですよ。
このようなエピソードから、母親は本当に子供想いで、愛情深い女性であることが想像できますよね。
また、小・中学校の校外学習には、おいしいお弁当を作ってくれたエピソードもありました。
石塚綜一郎選手は、母親とのお弁当の思い出について、次のように明かしています。
『友達のお弁当の話をして「こういうおかずがあったらいいな~」「このおかずおいしかったから次もいれてね」とか。そうやって2人で改良を重ねていいものを作っていました(笑い)』
引用:日刊スポーツ
このようなエピソードから、日頃から母親と何でも話し合える関係性だったことが伺えますよね。
また、「2人で改良を重ねて」という言葉から、お2人の仲の良さや可愛らしさを感じた人も多いことでしょう。
その他、石塚綜一郎選手にとって母親は「頑張る源」であり、「幸せにしてあげたい」存在だとコメントしていたんです!
仕事や育児に奮闘する母親の背中を見てきたからこそ、今度は自分が活躍し、親孝行したい気持ちが人一倍強いのでしょう。
その他、プロ初安打、初本塁打したとき、記念球や使用バットを母親にプレゼントしたそうですよ。
石塚綜一郎選手の活躍を一番喜んでいるのは、ずっと近くで見守り続けた母親ですもんね。
また、1軍にいたい理由について、次のようにコメントしていました。
「僕が1軍に多くいれば、観戦に来られる日も増えていくので頑張ります。」
引用:日刊スポーツ
このようなエピソードから、石塚綜一郎選手から母親への深い愛情を感じ、野球で恩返ししたい気持ちが伝わってきますよね。
祖父・有孝さん|キャッチボールが育んだ夢の種
石塚綜一郎選手の祖父の名前は「有孝」さんで、彼にとって父親代わりの存在でした。
石塚綜一郎選手が幼少期の頃、祖父も働いていましたが、仕事帰りにキャッチボールを教えてくれたそうですよ。
ちなみに、自宅近くの公園で練習していたそうですが、祖父と孫のキャッチボールの様子は、微笑ましい光景だったことでしょう。
石塚綜一郎選手の野球の原点は祖父であり、愛情いっぱいに野球を指導してもらったことが想像できますよね。
祖母・栄子さん|石塚少年を包み込んだ存在
石塚綜一郎選手の祖母の名前は「栄子」さんで、母親が昼夜を問わず働いていたため、彼の身の回りの世話を担当してくれたそうですよ。
祖母は石塚綜一郎選手の食事の管理はもちろん、精神的に安心できる存在でしたが、彼が中学生の時に亡くなってしまったそうです。
石塚綜一郎選手は、自分1人の力ではここまで来られなかったことを明かしており、祖母への深い感謝の気持ちが感じられますよね。
現在の活躍を祖母に届けたい気持ちは、とても大きいのではないでしょうか。



まとめ|石塚綜一郎選手の家族構成と愛あふれる育成環境

それでは、今回の記事のまとめです。
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秋田県出身、1学年12人の“田舎育ち”
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小3から野球開始、黒沢尻工業高で捕手へ転向
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2019年、育成ドラフト1位でソフトバンク入り
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父親は不在、母子家庭で祖父母が育児をサポート
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母・順子さんは配送業で昼夜問わず働きつつ栄養管理
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祖父・有孝さんは父代わりとしてキャッチボールを
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祖母・栄子さんは精神的な支えとなるも中学時に他界
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兄弟の情報はなく、恐らく一人っ子
私の経験では、家族との絆が強い人ほど、人生のプレッシャーにも強く、壁を乗り越えていくパワーがあると感じました。
石塚綜一郎選手のような選手を知ると、野球の見方が変わるんですよね。「ただのプレー」じゃなくて、「家族に捧げる一球」っていう視点で見てしまう…。
今後の活躍にも、心から注目していきたいと思います!