東洋大学時代にアマチュア球界の左腕最高球速である158㎞/hを記録した経験がある将来が期待される投手の細野晴希選手。
小学2年生から野球を始めた細野晴希選手は、東海大学菅生高等学校中等部3年の夏、都大会ベスト4入りという結果を残しました。
東亜学園高校に進学後、1年生からベンチ入りし、甲子園出場はできなかったもののU-17の東京都選抜に選出されるほど実力が評価されていました。
高校時代から最高140㎞/hと投手としての才能が開花していましたが、東洋大学進学後はさらに球速を伸ばし、4年時には東都大学野球春季リーグ戦で最高殊勲選手、最優秀投手、最優秀防御率、ベストナインの投手4冠を達成しました。
投手としての実績を評価された細野晴希選手は、2023年ドラフト会議で日本ハムから外れ外れ1位指名を受けプロ入りし、今後の活躍が注目されています。
細野晴希選手のプロ入りには、家族の協力があったことは言うまでもないでしょう。
今回は、細野晴希選手の実家家族について調査しましたのでまとめていきます。
細野晴希選手の実家・家族構成と家族の画像について
細野晴希選手の実家・家族構成は、両親と兄1人、妹1人、母方か父方か分かりませんが、祖父母も同居しているそうです。
<家族構成>
- 祖父母
- 父親
- 母親
- 兄
- 細野晴希選手
家族全員仲が良く、プロ入り前は毎試合のように観戦しに来てくれていたと語っています。
細野晴希選手は日本ハムに入団し、実家家族は東京に住んでいることから今後は毎試合観戦は厳しくなるかもしれません。
報道はされていませんが、細野晴希選手がプロ登板した2024年6月18日の対阪神戦は、もしかしたら家族全員で観戦しに行ったかもしれませんね。
フレッシュオールスターに選出されていたものの、残念ながら左肩上腕二頭筋長頭腱炎、左肩甲帯機能不全を理由に辞退しています。
怪我が無ければ、フレッシュオールスターも家族全員で観戦しに行ったことでしょう。
実家の家業・両親の顔画像は?
細野晴希選手の実家・家族は全員一般人のため、兄以外は顔写真、名前を明かしていません。
実家・家族は墓石などを取り扱う「細野石材店」を東京で営んでいます。
石材店については家業と報道されていることから、祖父母よりも前から受け継がれている伝統ある石材店の可能性が高いです。
忙しい中自身の野球人生を支えてくれた実家家族に、細野晴希選手は感謝していることでしょう。
細野晴希選手の引っ越しを手伝いに来た実家・家族!父親は石材のクレーンで冷蔵庫を搬入!
新入団選手が入寮する際、ほとんどの選手は引っ越し業者を利用し、身の回りのものだけを持って入寮するのが一般的です。
しかし、細野晴希選手は家族と協力し荷物を搬入したことで話題になりました。
日本ハムの2軍選手の寮は、本拠地である北海道ではなく、意外にも千葉・鎌ヶ谷にあります。
実家から家電などを運搬しようと思えば可能な距離でしょう。
細野晴希選手は入寮の日、石材店で使われるクレーン付き3トントラックでやってきました。
トラックに積んできた冷蔵庫を父親がクレーンを使って下ろしたそうです。
家電を引っ越し業者を使わずに家族で協力して運ぶのは、異例中の異例の出来事。
細野晴希選手は引っ越し方法について、
「送ろうと思ったんですけど、載せられるなら自分たちで持って行った方がいいなということで。冷蔵庫だったりを一緒に持ってきました」
引用:スポーツ報知
と語っています。
実家にあるクレーン付き3トントラックが引っ越しに使われる日が来るとは、細野晴希選手だけでなく家族も予想していなかったでしょう。
クレーン付き3トントラックは父親が運転し助手席には母親が同乗、細野晴希選手は兄が運転する軽自動車に妹と同乗してやってきました。
球団関係者も家族総出での引っ越し作業に驚いたかもしれませんね。
家族が引っ越し作業してくれたことについては、
「一緒に来たかったというのもあると思う。自分たちで引っ越しすればお金もかからない」
引用:中日スポーツ
と家族の気持ちを分析し、お金に対し堅実な姿勢を見せました。
WBC2023で大谷翔平選手が持ち込んでいたものと同じ、西川のマットレスを入寮時に持ち込んだ細野晴希選手は、コンディションを整えるために睡眠に対してお金をかけようと感じたそうです。
西川のマットレスは2022年頃から愛用しており、起きた時の体の感覚が全く違うと語り、効果を実感している様子でした。
入寮時、細野晴希選手は自身の性格について、
「(家業と)関係あるか分からないけど意志は固い方」
引用:スポーツ報知
と語っていました。
意志の強さが大事になる面は、プロ野球界で多々あると思います。
2024年シーズンは怪我をしてしまいましたが、2025年以降は速球派左腕として活躍してほしいですね。
細野晴希選手を変えた!兄と行った二人三脚のトレーニングとは?兄はどんな人?
細野晴希選手の兄は、晟哉さんという名前で、年齢は細野晴希選手の2歳上です。
長男であることから、いつか石材店を継ぐかもしれませんね。
兄は大学時代やり投げの選手として活躍していました。
そして、大学卒業後はトレーナーの資格も取得し、細野晴希選手のトレーニングメニューを作っていました。
細野晴希選手は高校時代から注目されていたものの、現在とは違い線が細くチームメイトから「もやし」というあだ名まで付けられるほどでした。
高卒投手としてプロ入りするか悩んだ細野晴希選手でしたが、同学年には宮城大弥選手、佐々木朗希選手がおり、高卒投手の逸材が勢ぞろいしていたためプロ志望届の提出を断念。
その代わりに、
「絶対4年後、行ってやるぞっていうのを言い聞かせていました」
引用:NHK
という熱意に溢れていました。
高校野球引退後に取り組んだのが、肉体改造トレーニングです。
兄がやり投げの選手だったことから、野球のボールより重いものを投げることで、ピッチングに繋がる部分があるのではとひらめき二人三脚のトレーニングが始まりました。
兄は細野晴希選手のトレーニングを指導を始めたことについて、
「彼が真剣に向き合っていることに対して力になれることがあれば力になりたいと思っていました」
引用:NHK
とにこやかに語っていました。
兄は細野晴希選手が大学進学後も定期的にスマホでトレーニングメニューを送り、メニューにはモチベーションをあげるメッセージも添えていました。
「トレーナーと選手ではなくて兄から弟へのエールというかメッセージというか僕も面と向かっては照れくさかったりするので文章で応援のひと言を添えたりしています」
引用:NHK
ピッチングの土台となる下半身の筋力を中心にトレーニングを続けた結果、身長180㎝に対し、高校3年夏に73kgだった体重は大学卒業前には87kgにまで増量。
アマチュア球界左腕最速の158㎞/hも、兄とのトレーニングの賜物だったといえるでしょう。
細野晴希選手のプロ入りが決まった際、兄も大きな達成感を抱いたのではないでしょうか。
まとめ:細野晴希選手の実家家族は仲良し!兄と二人三脚で続けたトレーニングがプロ入りに繋がった!
では、今回のまとめです。
細野晴希選手は両親と兄1人、妹1人、祖父母と共に幼少期を実家で過ごしました。
実家は「細野石材店」を営んでおり、細野晴希選手が入寮する際は実家家族総出で引っ越し作業を行ったことで話題になりました。
引っ越し代を節約し、マットレスにお金をかけていたことから、細野晴希選手の堅実な性格が感じられました。
細野晴希選手は高校時代、チームメイトに「もやし」と呼ばれるほど線が細かったのですが、大学時代はやり投げの選手として活躍し、大学卒業後はトレーナーの資格を取った兄の力を借り、二人三脚で肉体改造の為トレーニングを続けました。
高校3年夏から大学4年にかけて体重を14kgも増量に成功し、間違いなくアマチュア球界左腕最速記録である158㎞/hの達成にトレーニングは役立っています。
実績を引っ提げてのプロ入りはプレッシャーを感じることが多いかと思いますが、持ち前の意思の固さでプロ野球界でも活躍してほしいですね。
最後までご覧いただきありがとうございました。