
スペインのレアル・ソシエダに所属している日本代表の久保建英(くぼたけふさ)選手。
FCバルセロナの下部組織出身というのはあまりにも有名ですが、学生時代の学歴などご存じでしょうか?
今回は、久保建英選手の学歴や学生時代の活躍について調査しましたので、ぜひ最後まで読んで下さいね‼
<この記事をよんでわかること>
- 久保建英選手の学歴について
- 久保建英選手の学生時代の活躍について
久保建英選手の学歴について

久保建英選手は、2001年6月4日生まれで神奈川県川崎市出身です。
幼稚園について

久保建英選手は「風の谷ようちえん」に通っていました。
風の谷ようちえん
〒215-0023
神奈川県川崎市麻生区片平1510
設立・・・1998年
定員数・・・3歳児 56人
4歳児 64人
5歳児 64人
久保建英選手の出身地である川崎市麻生区にありますので、自宅から近いのかもしれませんね。
風の谷幼稚園の天野優子園長が久保建英選手についてインタビューに答えている記事を見つけました。
「芯が強い子。意志の強さと耐える力を持っていた」
引用元: サンスポ
また、ジャガイモ堀では11,4キロの芋をリュックに詰め40分かかる道を歩いたエピソードを話していました。
幼稚園児がその距離を黙々と歩くというだけでも驚きなのに、さらに重量がある荷物を背負っていたなんて幼少期から足腰が強かったんですね。
他にもお父さんに肩車されて登園していたそうですよ。
小学校について

小学校は川崎市立西生田小学校に入学しました。
西生田小学校
〒215-0001
神奈川県川崎市麻生区細山2-2-1
設立・・・1875年
通学区域・・・麻生区(高石1丁目‐3丁目・多摩美1丁目‐2丁目・細山1丁目‐7丁目)
久保建英選手は小学4年生の時に受けたFCバルセロナの入団テストに合格し、バルセロナ市内の私立小学校に転校しました。
その際にお母さんと弟と一緒にスペインに渡ったそうです。
ただ、寮で暮らしていたという情報もありますので、もしかすると最初だけお母さんが付き添ったのかもしれませんね。
転向当初はスペイン語がわからず苦労したそうです。
「強いていうなら、学校とか寮で個性の強い子が多かったので、その中で埋もれないようにというか、ちょっとでも舐められたら終わりだと思ってたんで、小っちゃいながらに負けないように頑張っていましたけど、体格の大きい子に殴られたりとか、あまり言えないですけど、すごく過酷な環境でしたね。でも、何とかなります。がんばれば」
引用元:サッカーダイジェスト
幼い頃から負けん気が強かったんですね。
中学校について

中学校はバルセロナ市内の私立中学校に進学しましたが、中学2年生の時に帰国しています。
実はFCバルセロナが18歳未満の選手に対する規定違反でFIFAから処分を科されました。
この影響を受けて試合に出ることが難しくなったために帰国を決断したそうです。
帰ってきた久保建英選手は地元の川崎市立西生田中学校に転校しました。
西生田中学校
〒215-0003
神奈川県川崎市麻生区高石3-25-1
設立・・・1970年
通学区域・・・西生田小学校
百合丘小学校
西生田中学校の卒業生には元日本代表で現在横浜F・マリノスでプレーする渡辺皓太選手がいます。
担任だった松村展弘教諭が中学生時代の久保建英選手についてインタビューに答えていました。
「建英は、運動神経はずばぬけていて、何をしてもすごかった。でも特別扱いを拒むように、一生徒として振る舞っていた」
引用元:東京新聞
スペインでの活躍は当時から頻繁に報じられていましたから、小学校時代の同級生がいる西生田中学校に転校したことは久保建英選手にとって良かったのかもしれませんね。
高校について

高校委は通信制の第一学院高校に進学しています。
第一学院高校
全国にキャンパスがある高校
こちらの高校は通信だけでな通学コースもあるようですが、基本的に偏差値という概念がないそうです。
その為学力よりスタイルに合わせて同校を選ぶ生徒が多いみたいですね。
久保建英選手は中学3年生でプロデビューしていますので、サッカーと両立できる同校を受験したと考えられます。
通信制の学校ですが通学しなければいけない日もあり、その時は勉強熱心だったそうです。
「とにかく質問をしまくっていた。数学ではマニアックなことも聞いてくるなど、質問の嵐で有名でした」
引用元:毎日新聞
やはり一流選手は聞き上手なんですね。
通学期間は本校がある高萩市に滞在し、授業を受けていたとのことです。
大学について

久保建英選手は大学に進学していません。
ただ、高校時代の勉強にも真剣に取り組んでいたエピソードを聞くと引退後に大学に入る可能性はあると思います。
もしかするとその時は日本の大学ではなく、スペインの大学かもしれませんね。
スペイン語も堪能な久保建英選手のセカンドキャリアは日本だけにとどまらず、是界の舞台で活躍するのではないでしょうか。
サッカーの活躍

久保建英選手のプロになる前の活躍を調査しました。
幼少期

サッカーは父親の健史さんの影響で2歳から始めているんですね。
健史さんは大手ハウスメーカーのミサワホームの幹部職に就かれています。
学生時代は筑波大学のサッカー部に所属していたそうです。
筑波大学は大学サッカーの強豪校として知られ、過去に井原正巳さんや中山雅史さん、近年では三苫薫選手などを輩出しています。
健史さんは、幼い久保建英選手と毎日サッカーをしたそうですよ。
川崎フロンターレ下部組織

小学3年生の時に川崎フロンターレの入団した久保建英選手ですが、初めから才能が突出していたそうです。
小学4年生の時に開催されたFCバルセロナキャンプではMVPに輝き、FCバルセロナスクール選抜としてソデクソ・ヨーロピアンカップに参加しました。
この大会でもMVPに選ばれ、その後FCバルセロナの入団テストを受け見事合格しています。
当時のFCバルセロナのスタッフが久保建英選手の印象を話していた記事がありました。
「(スクールの練習で)年齢順に並べたんだけど、彼の場合は、年齢の割に信じられないような、違うことをやってのけるので、(練習メニューを)退屈そうにしていた。2、3歳上の子供たちと一緒にしたら、やはり彼が一番だった」
引用元:ABEMA
FCバルセロナ

実はFCバルセロナには13未満の選手はカタルーニャ選手以外とは契約しないという規定があったそうですが、特例で久保建英選手と契約したそうです。
入団後は、地中海カップU‐12トーナメントでMVPと得点王や、リーグ制覇などに貢献しています。
約4年間スペインでプレーしていますが、間違いなくチームの主力選手でした。
あのままFCバルセロナで試合に出場していたら、トップチームと契約していたのではないでしょうか。
FC東京下部組織

日本に帰国後は、FC東京に入団しました。
なぜ古巣の川崎フロンターレではないか疑問がわいたので、調べましたが残念ながら理由はわからなかったです。
FC東京では、中学3年ながらU‐18のチームに昇格するなどすでにジュニアユースレベルではありませんでした。
2016年11月5日にJリーグ史上最年少でプロデビューを果たしています。
その後Jリーグ最年少得点を決めていますが、ただでさえ幼い顔だった久保建英選手が大人の中でプレーし、なおかつ活躍している姿は衝撃的でした。


まとめ:久保建英選手の学歴と小学校から高校時代の活躍

今回はレアル・ソシエダに所属している日本代表の久保建英選手の学歴や学生時代の活躍について調査しました。
- サッカーは2歳で始めた
- 小中学校は日本とスペインの学校に通っていた
- 高校は通信制の学校を卒業
- 大学は入学していない
サッカーだけでなく勉強もできることがわかりました‼