村松開人選手は、現在中日ドラゴンズに所属していて、期待の新人選手です!
ためらわない思い切りのいい打撃で、コーチ陣を魅了し続けています。
プロ入り後1軍に昇格し、本塁打を飾り2度のサヨナラ打を打ち、中日ドラゴンズファンを釘付けにしました。
今季はレベルアップするため、練習に打ち込みレギュラー獲得を、目指しています。
今回は、そんな村松開人選手の実家・家族について、ご紹介していきたいと思います!
<この記事でわかること>
- 村松開人選手の両親はどんな人?
- 村松開人選手に兄弟について
- 家族エピソードも
それでは一緒に見ていきましょう♪
村松開人選手のプロフィール
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村松開人選手は、期待の新人選手です。
まずは皆さんに、村松開人選手のことをもっと知っていただきたので、簡単なプロフィールからご紹介します!
名前:村松開人
生年月日:2001年1月6日
出身地:静岡県榛原郡榛原町
身長:171㎝
体重:80㎏
村松開人選手は、2001年1月6日に静岡県榛原郡榛原町(牧之原市)で、生まれ育ちました。
小学校2年生の時に、野球の魅力に気づき始めました。
中学生に上がると、地元の硬式野球チーム「島田ボーイズ」に在籍し、プレーしていました。
この島田ボーイズには1年後輩に、現在横浜DeNAベイスターズで活躍する、森敬斗選手も在籍していたほど、実績のある野球チームです!
静岡県立静岡高等学校に進学し、1年生の秋から遊戯手のレギュラーとして、定着することができました。
高校時代は、なかなか良い成績を残せず、苦難の年となってしまったようです。
明治大学に進学した後は、3年生の春からレギュラーに定着しました。
3年生の春は、リーグ3位の打率3.66という素晴らしい記録を残し、二塁手部門でベストナインも受賞しました。
3年生冬から主将に就任したものの、4年生になった時に右ひざの半月板を損傷してしまい、手術をしました。
半月板の損傷は、スポーツ選手に多く手術をしないと最悪の場合、膝が動かなくなってしまう本当に怖いケガです…。
その後、4年生秋から1番打者に復帰し、明治神宮野球大会に出場することができ、村松開人選手はチームを優勝に導きました!
余談ですが、その頃の明治大学のチームには、現在活躍しているプロ野球選手が多数在籍していました。
1学年上に、現在ヤクルトスワローズの丸山和侑選手。
2学年上に、横浜DeNAベイスターズの入江大生選手・北海道日本ハムファイターズの中山晶量選手。
3学年上に、広島東洋カープの森下暢仁選手・横浜DeNAベイスターズの伊勢大夢選手がいました。
野球大ファンの私から見ると、こんな夢の共演は今ではありえません!
是非、その試合を見たかったなあと、思ってしまいました。笑
その後、2022年にプロ志望届を提出し、同年のプロ野球ドラフト会議で、中日ドラゴンズから2巡目に指名を受けました。
11月27日に、契約金7.000万円・年俸1.200万円で、仮契約を結びプロ入りを果たしました。
村松開人選手の母はどんな人?
そんな村松開人選手を育て上げたご両親は、どんな方達なのでしょうか?
私は気になってしまい、調べてみました!
ですがルーキー選手なだけあって、まだまだ情報が少ないのが事実です…。
なので、ドラフト会議でのご両親へのインタビューから、参照してみました。
まずは、村松開人選手の母から、ご紹介します。
ドラフト会議が終わり、すぐに母へ電話した村松開人選手ですが、その表情はまだ緊張しているのか、すごく硬かったようです。
「ビデオ通話にしてみんなで話せるようにしましたが、それでもまだ表情は硬く、少し心配になりました。ですが、2.3日後にはいつもの開人に戻っていたので、安心しました。」
と語っていて、とても優しい印象を受けました。
母は、1番はやっぱりケガが心配なようで、
「自分がプレーできるように、続けて努力し続けてほしいですね。私たちは応援し続けるのみです。」
と、応援のメッセージも語られていました。
母親というものは、幼いころから食事面でサポートしつつ、心配が尽きないものだと私は思います。
村松開人選手の母(お母さん)は、本当に優しい方で大学の時に手術もしているせいか、心配もありプロになった息子に向けて、嬉しい気持ちはもちろん自己管理もしてほしいという気持ちが、すごく伝わりました。
村松開人選手には、チームに貢献できるよう努力しつつ、ケガに注意してほしいですね!
村松開人選手の父はどんな人?
続いては、村松開人選手の父について、ご紹介します。
村松開人選手は、ドラフト会議でプロ入りした後に、「指名されたよ」と父に伝えたそうです。
「おめでとう」と伝えた後に、「色々な人に感謝の連絡をするから、とりあえず切るね」と、電話を切られてしまったようです。笑
父は、「いつもの息子でよかった」と思ったものの、そこから2.3日は連絡がなく少し寂しかったようです。
大学時代の手術後復帰戦は、村松開人選手の父も見に行っていたそうで、その時のことは今でも忘れられないそうです。
復帰できたことの喜びと、周りの応援する声の大きさから、「息子が本当に周りから愛されていて、周りの方々に恵まれた」と、親としての喜びを語っていました。
その試合1番の拍手を持っていた時のことを思い出すと、「今でも泣ける」と言っていました。
村松開人選手の父は、息子のことをよく理解しているお父さんだと私は感じました。
その理由として、「息子は、あきらめずに目標達成までコツコツ努力できる子。」と語っていますが、その反対に周りに支えられた時に、恥ずかしくて素直に「ありがとう」と言えない子と言っていました。
ですが、その「ありがとう」という気持ちを、行動で表すことができるようで、そんな息子のことを「誇らしく思う」と語っていました。
このような父の発言から、普段家では見られない息子の様子を知っていて、積極的に息子の練習など試合を見に行き、村松開人選手を良く見ている方だなあと、思いました。
実は、村松開人選手の父も高校生の頃は、甲子園を目指していた野球球児だったそうです!
息子の気持ちを理解して、野球に協力的なのも納得できますね♪
村松開人選手は、本当に優しく協力的なご両親に支えられて努力し、プロになるべくしてなった方ですね!
村松開人選手に兄弟はいるの?
村松開人選手には兄弟はいるのでしょうか?
結論から言うと、村松開人選手には兄と姉がいます!
村松開人選手の兄も野球をしていて、立正大学でプレーした後現在は、社会人野球の京葉ガスで活躍しているそうです。
村松開人選手が野球を始めたきっかけが、兄の影響のようですが、その兄はなんと甲子園への出場経験が2回もあるようです!
そんな尊敬できる兄を村松開人選手はライバル視していたそうで、母が兄の甲子園へ一緒に観戦へ行こうとさそっさた時に、
「甲子園は見に行くところじゃなくて、自分が出るところだから」
と断ったそうです。
それほどまでに野球に真剣に向き合い、兄に負けたくないという気持ちをバネに、努力し続けた結果ですね!
兄なくしては、今の村松開人選手はいないと考えると、ファンである私は本当に感謝してもしきれません…。
残念ながら、村松開人選手の姉に関する情報は、今のところありませんでした…。
これからの新情報が楽しみですね!
まとめ:村松開人選手の両親はどんな人?兄弟も野球で活躍!家族エピソードもご紹介
今回は、村松開人選手の実家家族について、ご紹介させていただきました。
まとめると
- 村松開人選手の簡単なプロフィール
- 母はとても優しく、ケガを心配している
- 父は自身も野球をしていた経験から、息子に理解がありよく見ている
- 兄も野球選手で、村松開人選手はライバル視していた
今回調べていて、村松開人選手の実力は家族に支えられたからこそだと、私は思いました。
身近にライバルがいると、成長も早いとよくいいますよね!
プロ入り後も、レギュラー定着に向け努力し続けています。
私は今後も、村松開人選手の活躍を、応援し続けたいと思います。