こんにちは!tatukoです。
2019年にドラフト6位で巨人に入団し、細身の身体からは想像を超えるストレートの速さが強みの戸郷翔征選手。
菅野投手から後継者に指名され、桑田コーチからも期待されてきた程の戸郷翔征選手はエースとずっと呼ばれてきた選手ですが、プロ入りの時には決して高い評価ではなかった理由は何だったのでしょうか。
その理由は、痛めやすいと言われているアーム式フォームとも言われています。
それでも戸郷翔征選手の場合は、とにかく腕がよく振れる事が凄いですよね!
そして変則的フォームの原点は、父もどうやら関わっているようです。
戸郷選手の家族ってどんな人なんだろう。
そこで今回は、戸郷翔征選手の実家家族がどんなご家族なのかファミリーエピソードと共に調べてみました。
戸郷翔征選手の家族構成
戸郷翔征選手の生まれ育った家族構成は、以下の4人家族のようです。
母親 ヒトミさん
長男 悠大さん(2歳年上)
次男 戸郷翔征選手
戸郷翔征選手の父親はどんな人?
<戸郷翔征選手の父親 プロフィール>
名前:健治さん
職業:長距離トラック運転手
趣味:野球と釣り
父親が野球をやっていた事から、小学校に入る前から父親が野球を教え、小学校1年生から本格的に野球を始めた戸郷翔征選手。
出身地の宮崎県は、野球が盛んなこともあり、父親は戸郷翔征選手が生まれる前から『男の子なら野球』と言っていたそうです。
戸郷翔征選手の強さの原点は父
そして野球だけでなく、肩を強くするためにと、小さい頃から水泳やバレーボール等、いろいろなスポーツをさせていたことが、戸郷翔征選手の強さ原点の1つにあるようです。
小学生時代は家の裏にある駐車場に、父親が趣味の魚釣りで使っていたネットを改良した投球ネットを作り毎日、投げ込み練習をし、さらに走り込みの時も、両親が後ろから車で伴走し特訓をして、小学生のうちに野球の基本を身に着け中学校に進んだそうです。
小学校から中学校に上がる際には、本来行く予定の学区の中学校がマンモス校で野球部員が100人いたことから、両親は「普通の環境で野球をやらせてあげたい」という思いから、小学校6年生のうちに10分ほどの距離に引っ越したそうです。
この頃から息子の野球にかける両親、主に父親の応援がすごかったようですね。
戸郷翔征選手の独特なフォームも父の影響?
戸郷翔征
独特のフォームから繰り出される力のある直球は強打者も唸らせる若きエース pic.twitter.com/bGOM017X0o— カロリーメイター (@IqnXp) June 7, 2022
巨人・戸郷翔征投手の投球フォームスーパースロー. #giants pic.twitter.com/JD9tPuQ5Tp
— tk89navi (@tk89navi) October 21, 2020
戸郷翔征選手と言えば、独特なフォームが有名ですが、変則的なフォームから「すぐに壊れる」と評された時期もあったのは、多くのファンが周知のことですね。
プロ入りが6位だったのも、肩を痛めやすいフォームだからと言う理由が1つにあると言われていましたが、戸郷翔征選手の強さはその後もとどまる事なく、良い意味で、周囲の不安を裏切ってくれました。
時に、これまでも戸郷翔征選手のフォームを矯正しようとした指導者もいたようですが、助言を取り入れてもすぐに元のフォームに戻ったと言っていました。
「僕は『この投げ方で投げたい』というのを貫き通して、今ここまできました」
周囲の意見を、受け止めつつも自分のやり方を貫く戸郷翔征選手は、自分を持っているだけでなく、自分を一番理解し、分を信じる事ができる人なのでしょう。
自分の投げやすさを大切にし、貫ける姿勢が尊敬に値しますね。
「(変化球の)名前は後から知った感じです」
そいういう戸郷翔征選手は、スリークオーター他、6球種の変化球について、すべて独学で身につけたものだそうです。
中学2年で本格的に投手転向した時にはすでに、投球フォームは現在と同じアーム式でしたが、当時の監督は「中学生は自分の体にあった投げやすい投げ方が一番」と修正せず、父親の健治さんも「矯正をしてケガして、野球人生が終わるのはかわいそう。そのままやって、ダメになる方がいい」という方針が一致した事から現在に至るようです。
当時、監督や父親が修正していたら、幼い頃から培った戸郷翔征選手のやり方の力が発揮できず、肩が壊れないようにどころか「型なし」になってしまっていたかもしれませんね。
「理想的なフォーム」は人により異なる事を実証されたと言っても過言ではないでしょう。
2021年の文春のインタビューで投げ方が変わったを指摘した記者に、このように答えています。
戸郷は「大きく変えたという意識はないんです」と答えたうえで、こう続けた。
「体重が増えて、球速も上がって、投げていくうちに自分の投げ方が見つかったんじゃないかなと。だからこそいいピッチングもできましたし、ちょっとヒジの位置も上がったんじゃないかなと思います」
常に自分の感性や感覚を重視して投げている戸郷翔征選手は、感覚が誰よりも研ぎ澄まされている選手なのかもしれない。
戸郷翔征選手の母親はどんな人?
<母親のプロフィール>
名前:戸郷ヒトミさん。
職業:看護師。
看護師をしている母親は、ママさんバレーをやっていたようで、戸郷翔征選手が子供の頃には、体つくりの為に、一緒にバレーボールをやらせたりとサポートしていたようです。
また、名づけ親でもある母。
独特なのはフォームだけでなく、名前の『翔征』も特徴がありますが、「好きなことをやって、その中で1番を目指してほしい」という思いから、兄の名前の漢字『悠』と『翔』の頭文字を合わせて「ゆうしょう」になるように名付けたそうです。
野球への想いは父親が一番強かったと思いますが、母親も、父親と息子2人の夢を一緒に抱き、生活のすべてを投じる思いで協力した事が、息子の大きな功績につながっているのでしょう。
2023年は侍ジャパンにも選抜され、輝かしい爪痕を野球界に残していますが、家族の愛と支えあっての飛躍なのだと思います。
戸郷翔征選手の兄も野球をやっている?
<兄のプロフィール>
名前:戸郷悠大さん。
年齢:2歳年上。
職業:自衛官。
2歳年上の兄の悠大さんは、子供の頃から一緒に野球を楽しんでいた仲ですが、お兄さんは高校ではラグビー部に所属している事から、野球はどちらかというと趣味なのではないでしょうか。
都城高校へ進学して、現在は自衛官として働いているようです。
また、オリックスの山本由伸選手とはド同学年で、部活はちがえども、運動部同士で仲が良かったそうです。
山本由伸選手からは、野球をやっていた弟の戸郷翔征選手に一緒に野球をやろうと誘いがあったものの、兄と同じ高校が嫌だったのか、聖心ウルスラ学園に進んでいます。
兄弟で同じ高校って嫌なものなのでしょうか???
恥ずかしがり屋さんなのかもしれませんね(笑)
戸郷翔征選手野自宅・実家はどこ?
子供の頃はカブトムシ捕りや魚釣りを、自宅の近所で楽しんでいた戸郷翔征選手の現在の実家は、宮崎県都城市にあるようです。
沖水川が流れ、めがね橋がかかる矢ケ渕公園には「かっぱ伝説」がある。同公園でよく練習後にアイシングを兼ね泳いだ。
実家がある都城市は、鹿児島県に隣接し、宮崎県内で宮崎市に次いで2番目に人口の多い市だそうです。
山に囲まれた自然豊かな盆地で、治安もよく伸び伸び子供たちが成長する事が出来る環境なのではないでしょうか。
母のヒトミさんも、人がいいところだとインタビューで言っていましたよ。
戸郷翔征選手のゆかりの地、いつか行ってみたいな。
戸郷翔征選手の家族|父と母も運動神経抜群!兄はどんな人で独特なフォームは父の教え? まとめ
戸郷翔征選手の家族構成から始まり、父親母親とのエピソードをご紹介しました。
今回のまとめです。
- 戸郷翔征選手の家族構成は、父母兄本人の4人家族。
- 父親はトラック運転手。野球が大好きで、父の影響で野球が好きになった。
- 母親は、看護師。趣味のママさんバレーで汗を流していた。
- 兄は、野球ではなくラグビー部で、現在は自衛官。
- 戸郷翔征選手の強い身体は、幼い頃から両親の体つくりの教育や応援による賜物だった。
- 独特な変化球は、自己流だが、子供の頃からの練習で培った財産のようなものではないか。
父親の野球における目は、長けていたのではないでしょうか。
本来コーチとしての先見の明があるのかもしれませんね。
現在の、栄光の陰には想像を超える練習量があって、さらに自分を貫く力や思考の強さがあっての事だという事がわかりましたね。
ご家族の期待以上の結果を出される選手だと思いますので、これからの活躍から目が離せません。
という事で、今回は最後までお読みいただきありがとうございました。
戸郷翔征 選手 プロフィール
読み方:とごう・しょうせい
生年月日:2000年(平12)4月4日生まれ
出身地:宮崎県出身
身長:186㎝
体重:75キロ
右投げ右打ち
小1から野球を始める。聖心ウルスラ学園では2年夏に甲子園出場。3年夏は県大会8強。昨年9月27日DeNA戦でチーム17年ぶりの高卒新人勝利。