スペインリーグ。ラ・リーガ・レアル・ソシエダに所属し、「和製メッシ」と称賛されてきた久保建英選手。
3歳の頃からサッカーを始め、天才サッカー少年として頭角を現すのに時間がかからなかったのは、両親の教育あってのことのようです。
実の弟さんもサッカー選手という事で、2人の兄弟をプロに育てた父親・母親がどんな人なのかに迫ってみたいと思います。
そこで今回は、以下の内容と分かりやすくまとめています。
- 久保瑛史選手の両親について
- 久保建英の弟のサッカー選手としてのキャリア
- 家族エピソード
それでは一緒に見ていきましょう。
久保建英の家族構成は4人家族
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久保建英選手の家族の家族構成は以下のは4人家族です。
- 父親:久保建史(くぼ たけふみ)
- 母親:名前不明
- 本人:久保建英(くぼ たけふさ)
- 弟:久保瑛史(くぼ えいじ)
では、お1人ずつ見ていきましょう!
久保建英の両親①父親はどんな人?
まずは父親についてご紹介します。
久保建英の父親プロフィール
- 名前:久保建史(くぼ たけふみ)
- 生年月日:1971年
- 出身地:和歌山県
- 学歴:筑波大学 体育専門学群 卒業
- 職歴:ミサワホーム㈱ 平成6年入社
父親もサッカー経験者だけど・・・
父親の久保建史さんもサッカー経験者のようです。
とはいえ、大学時代は、筑波大学でサッカー部に所属していたのですが、レギュラーではなかったとのこと。
報道の取材によると、筑波大学ではサッカー部に4年間在籍すると、ほとんど3軍までくらいまで行けるものらしいのですが、父親はそれすら叶わなかった選手と書かれていました。
しかも、OBの皆さんが口をそろえて「記憶にない」と語っていたそうです。
ところが、父親の凄いところは、子供のサッカーの才能を伸ばす力に長けていたのです。</strong>
父親は大学在学中から、地域の少年サッカーの指導に当たっていた人で、『おれ、バルサに入る! 夢を追いかけるサッカー・キッズの育て方』という著書を出しています。
著書には、親子の9年間の試みを全公開されていました。
久保建英選手は、原則13歳以上しか受け入れてなかった組織であるスペインのFCバルセロナ(通称バルサ)の下部組織「カンテラ」に、弱冠9歳にし契約を交わしている事は、ファンにとって周知の事と思います。
そして、その才能を伸ばしたのは、紛れもなく父である久保建史さんの育て方にあったのです。(もちろん母親も)
父親の建史さんは息子2人に、以下の4つの事を意識して息子たちと向き合ってきたそうです。
- サッカーを好きになる為に、勝つように仕向け、徹底的に褒めた。
- 足裏の感覚を養う為、裸足で遊ばせる。
- 一緒に練習をする。
- 良い指導が受けられるかどうかを見極めてスクール選びをした。
父と息子の練習の時間は、出勤前の朝の1時間程だったそうです。
練習をしながら、コミュニケーションをとる時間は、建英選手の日々の成長を確認できたと言います。
具体的には久保建英選手が子供の頃は、主に、親子でできるドリル形式の練習をやっていたとのこと。
成長と共に、バルサが求める選手になるための練習も一緒にしたそうです。
スクール選びについては、そのサッカースクールがその子にとって学ばせたい内容を指導してくれるかどうや、サッカーの上手な子がいて、ともに切磋琢磨できる環境にあるかも大事なことのようです。
そして何よりも大切にしてきたことは、子供のサッカーが好きという気持ちを第一に優先してきたことだと言います。
天才サッカー少年をこの世に生み出したのは、まぎれもなく、父親のサッカー教育の原点あってこそだったようですね。
父親の仕事は大手企業
さて父親の職業にも少し触れていきたいと思います。
父親の建史さんの職業はミサワホーム㈱の人事部長とのこと。
大手企業な上に、役職もすごいです。
親子そろって、別の世界ではありますが、まさにエリート親子ということですね!!
久保建英選手の両親②母親が美人!
久保建英選手の母親は、一般人なので、お名前は公けにされていないようですが、2017年、試合前にワールドカップ行きを祝したセレモニーがピッチで開催された際、母親から花束贈呈が行われ、母親が公の場に登場したのです。
久保建英選手が小学4年生の時にバルセロナ入団テストに合格した時には、弟を連れて一緒にスペインへ移住するなど、久保建英選手のサッカー人生を支えていたという母親です。
父親は日本で仕事をしていたため、スペイン留学中は、母親が1人で息子たちを育てていたので、さぞ心細い事もあったのではないでしょうか。
住み慣れない土地で、息子を支えるなんて並大抵の覚悟では出来ないですよね。
また、母親は東大卒と噂されていますが、はっきりとはわかっていません。
久保建英の母親の教育がすごい!両親の教育方針4選!
父親の教育も素晴らしいのですが、母親の教育方針も、また視点が凄いと話題です。
母の教育①:次男のように
母親は長男である久保建英選手を『次男のように育てたい』と父親に伝えたことがあったそうです。
その理由は、スポーツ界で成功しているのが次男に多いから。
どういうことかというと、長男は周りを見過ぎて、自分の気持ちをストレートに表現できずすぐに行動できないところがあるからのようです。
母親のこの考えは、サッカー選手になる上で正解だったようで、年上のお兄さんたちと練習をさせたり、遊んだりしているうちに自分でいろいろ考えて工夫し、積極性が出たそうです。
母の教育②:おもちゃは置かない
妻の考えでは、家の居心地が良いと外遊びをしたがらなくなるというので、いくつかの頂き物以外、家におもちゃは置きませんでした。
出典:https://books.bunshun.jp/articles/-/3075
両親2人とも教育方針が同じベクトルを向いているのがまた、久保建英選手のサッカー選手としての才能を開花させたのだと思いますが、母親の視点が先ほどから凄いですよね。
子育ての専門家のように、教育に関しての気づきの力が凄いなと思いました。
無理に子供に何かをやらせるのではなく、自然と子供が外で遊びたいやサッカーをやりたいと仕向ける教育法が本当に素晴らしいですね。
補足ですが、おもちゃどころか、リビングにはソファも置かないようにしていたそうです。
ソファーの代わりに、リビングに大きさのさまざまなボールを転がして置いたところ、いつもボールを蹴って遊んでいたそうです。
両親の教育③自主保育
ここからは、母だけでなく、両親の教育法を交えてご紹介します。
両親の教育④絵本読み聞かせ
両親が意識して行っていた教育の1つに、本の読み聞かせがあります。
父親も母親も、本を読み聞かせしてもらって育ったことから、子供への読み聞かせはごくごく自然な事でもあったようです。
祖父母から送られてきた本もあり、自宅には400冊もの絵本があったそうです。
そして毎日、本の読み聞かせをしたことから、足りなくなり、毎週20冊以上本を借りるほど大量の本を読み聞かせしてあげていたというから、驚きです。
つまり、ほぼ毎日1冊読み聞かせをしてあげていたということですね。
しかも、どちらか片方ではなく、父も母もそれぞれが行っていたとのこと。
そして久保建英選手に本を読んであげている時、わからない事があると、つど質問をしてくるようになったそうです。
考える力と想像力を働かせる能力が身に付くことから、サッカーでも重要な理解力や判断力、集中力などが磨かれることから、とてもよい教育だったようです。
久保瑛史の弟もサッカー選手!プロフィールは?
- 名前:久保瑛史(くぼ えいじ)
- 生年月日:2007年
- 出身地:神奈川県川崎市
- 身長:170㎝?
- ポジション:MF
- 所属チーム:レアル・ソシエダ下部組織カデーテ(U-16)
弟の久保瑛史さんもサッカー選手で、優れたボールタッチと展開力が魅力です。
生年月日については2007年しか明かされていませんが、5~6歳年下ということになりますね。
それだけ離れていれば、久保建英選手にとって弟の瑛史さんはとても可愛い存在でしかなかったのではないでしょうか!?
弟の瑛史さんがサッカーを始めたきっかけは、兄の久保建英選手かと思いきや、父親である健史さんの影響でした。
そして、2011年の4歳の時、久保建英選手がわずか10歳でスペインのFCバルセロナ下部組織カンテラへの入団が決まり、瑛史さんも母親と共に3人でスペインへ行くことになり、4年後の2015年に日本へ帰国しました。
帰国後、本格的にサッカーを開始した弟の瑛史さんは、小学生時代に横浜F・マリノスプライマリー、中学時代は横浜F・マリノスジュニアユースに所属しています。
略歴をまとめました。
・日本クラブユースサッカー選手権(U-15)2019年:ベスト4
・全日本U-15サッカー選手権大会2020年:2回戦
・全日本U-15サッカー選手権大会2021年:2回戦
全国大会にも出場しており、輝かしい成績をあげています。
2022年の15歳の頃にも横浜F・マリノスジュニアユースに在籍していたのですが、ソシエダの下部組織カデーテ(U-16相当)のトライアルに参加し夏頃にはスペインに渡り、現在でもカデーテで活躍しているそうです!
2023年1月21日の公式戦ではボランチ(アンカー)でプレーしています。
弟・瑛史選手もトップチームでプレーしている姿を一刻でも早く見たいですね!
久保健英がスペイン・FCバルセロナを退団した理由!
久保建英選手の家族構想とは離れてしまうのですが、世界最高峰であるスペイン・FCバルセロナを退団してしまったのか?
恐らく疑問になられた方がいるかもしれません。
その理由を解説していきたいと思います。
実は、2014年から、FIFAにより、外国人登録や獲得方法に問題ありという査察を受けていたスペイン・FCバルセロナ。
違反行為としてチェックを受けていた契約選手の中には、久保建英選手も含まれていたのです。
これにより、FIFAの公式な裁定が降りるまでは、試合に出場できなくなった久保建英選手。
伸び盛りの年齢なのに、公式戦で出場できず、実力を発揮する場所が持てませんでした。
このために、両親と話し合った結果、久保建英選手は、日本に帰国してプレーする道を選んだのです。
試合に出ない限り成長することはないですからね。
そして18歳となった夏、2度目のスペイン挑戦の場として選んだのは、バルセロナではなくレアル・マドリードだったのです。
なぜ古巣FCバルセロナではなく、宿敵レアル・マドリードを選んでしまったのでしょうか。
久保建英選手は、バルセロナに5年契約で年俸100万ユーロ(約1億2000万円)以上を求め、さらに2年目のシーズンにトップチームでプレーできる契約を望んでいたそうです。
ですが、バルセロナは応じることなく、より良い条件を提示した宿敵レアルが6年契約で久保を獲得されてしまったのだ。
まさしく「禁断の移籍」になってしまいました。
久保建英選手は、二度とバルセロナに戻ることはなでしょう。
https://drafanclub.jp/directed-by-hajime-moriyasu-children/
【画像】久保建英選手の両親(父親・母親)の教育が凄い!母は美人!弟のサッカーでの活躍も まとめ
今回は久保建英選手の家族について紹介してきました。
『久保建英選手の両親(父親・母親)の教育が凄い!母は美人!弟のサッカーでの活躍も』のまとめです。
- 久保建英選手の父親は、サッカー経験者だが現役での活躍はそれほどしていない。
- 父親は子供の能力を伸ばす才能に長けていた。
- 母親の教育方針もすばらしく、久保選手のサッカーの才能を伸ばした人物でもある
- 母親が美人。
- 弟の瑛史選手は、カデーテでプレーしている選手で、足が速く将来を期待されている選手。
久保建英選手が幼少期にスペインで活躍できた理由は、やはり父の資金面ももちろん、母のサポートがあったからではないでしょうか。
今後の日本代表を背負う選手になるともいます。
今後の久保建英選手に期待ですね!
久保建英 プロフィール
- 名前:久保建英(くぼ たけふさ)
- 生年月日:2001年6月4日
- 出身地:神奈川県川崎市麻生区
- 身長:173㎝
- 体重:67㎏
- ポジション:MF
- 背番号:14
- 利き足:左足
- 所属:レアル・ソシエダ
学歴・ユース経歴
- ・風の谷幼稚園
- ・川崎市立西生田小学校 ※小学校4年生の時にFCバルセロナ下部組織カンテラのアレビンCに入団
- ・バルセロナ私立小学校
- ・バルセロナ私立中学校
- ・川崎市立西生田中学校
※2016年の中学校3年生の時、飛び級でFC東京U-18に昇格
※U-16日本代表、U-19日本代表にも選出 - ・都内の全日制高校
※高校1年生の時にFC東京チップチームに登録されたため、高校を通信制に転校 - ・第一学院高校(通信制)
※2017年11月1日、FC東京とプロ契約締結 - 「天才サッカー少年」と呼ばれ続けた久保建英選手の学歴は上記の通りですが、幼少期からサッカーの才能を開花させれていることがわかります。
所属チーム
- 2016-2018年 FC東京U-23入団
- 2017-2019年 FC東京
- 2018年 横浜F・マリノス(ローン移籍)
- 2019年-2022年 レアル・マドリード入団
- 2019年-2020年 マジョルカ(ローン移籍)
- 2020年 ビジャレアル(ローン移籍)
- 2021年 ヘタフェ(ローン移籍)
- 2021年-2022年 マジョルカ(ローン移籍)
- 2022年- レアルソシエダ入団