磐田ジュビロU-18から明治大学へと進学し、プロの道へと駆けあがった森下龍矢選手。
そこで今回は、『【サッカー】森下龍矢選手の父親もスポーツ経験者?家族構成は4人!これまでのキャリアも』と題して、名古屋グランパスに所属する森下龍矢選手の家族について紹介していきます。
森下龍矢選手の家族構成
森下龍矢選手の家族構成は、以下4人家族だと思います。
父親
母親
森下龍矢選手
妹
名古屋グランパス公式サイトのプロフィール欄に兄弟は「自分と妹」と書いてあるので、4人家族ではないでしょうか。
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笑顔が素敵な森下龍矢選手。
奥さんだけでなく、家族の仲も良さそうですね!
森下龍矢選手の父親について
「長友佑都選手の後継者」と呼ばれる森下龍矢選手。
どんな父親に育てられたか気になるところです。
多くのアスリートの父親が同じようにスポーツ経験がある人だったりする事も多いのですが、森下龍矢選手はこれまで父親の事を話した事がほとんどなく、森下龍矢選手の父親の情報は公けにされていませんでした。
ジュビロ磐田のアカデミーにも所属していたということもあり、甲斐甲斐しく森下龍矢選手のサッカーを支えてくれた父親であることは想像できますよね。
最強明治!
家族の情報が少なかったので、最後に、父親はじめ家族が見守ってきたであろう森下龍矢選手の大学時代からの苦悩や頑張りについて遡って見ていきましょう。
2019年度の大学サッカー界で、明治大学は突出していた。
関東リーグ、総理大臣杯、インカレ、さらにアミノバイタルカップと東京都サッカートーナメントも制して、5冠を達成。
出典:4years
瀬古樹選手(現川崎フロンターレ)、加藤大智選手(名古屋グランパススクールコーチ)、中村帆高選手(現FC東京)、安部柊斗選手(現RWDモレンベーク)、中村健人(現鈴鹿ポイントゲッターズ)、そして森下龍矢選手(現名古屋グランパス)が明治大学からプロ入りしています。
明治大学サッカー部は地上最強ということですね!
当時、J3んだったブラウブリッツ秋田を天皇杯で倒しているのもあり、プロに負けない集団だったのでしょう。(2回戦では惜しくも川崎フロンターレに0-1で敗れています。)
半端ないです!(笑)
しかし、入学当初から高いレベルであったと思う一方で、現実は違ったようです。
例年、1年生から2~3人はトップチームの練習に入り、誰かは試合に出られていたのですが、森下龍矢選手の代は、その例に漏れてしまったのです。
周囲の視線も冷めていく中、必死に生き残りの策を探したといいます。
「オレたちは弱いから、どうやって先輩を越えていこうかと考えていました。毎日、学年ミーティングをしていましたね。寮生活でも、誰かがミスをしてしまったら、普通は先輩に謝ったり、同期同士で反省すると思うんですけど、僕らはそのミスをどうやってごまかすかをみなで考えていました(笑)。チーム単位で考える癖というのは、弱かったからこそ身についたんだと思います」。
引用元:49years.
その強みを、森下龍矢選手は「協調性」だと表現しています。
天狗になることはなく直向きにチームで成長していったのでしょうね。
「1人はみんなのために、みんなはひとりのために」。
『1人では成し得ない目標も、みんなで叶えられる。』
チームスポーツの素晴らしいところです!
就職希望だった?!
森下龍矢選手は大学2年生になっても試合に出れない日々が続きました。
かつて明大OBの長友佑都(FC東京)がそうだったように、森下龍矢選手は2年生の途中まで応援席で太鼓を叩き、仲間たちのために、自ら考えたチャントを歌っていたそうです。
「正直、複雑な感情はありました。みんながヒリヒリした戦いを経験しているのに、俺は何をやってんだろうって。特に、中村健人(鈴鹿ポイントゲッターズ)や佐藤亮(ザスパクサツ群馬)、安部柊斗(モレンベーク=ベルギー)とか、同級生が試合に出ていると、悔しかった。応援の気持ちが1割、ドロドロの嫉妬の感情が9割でしたよ(笑)。ただ、3つ上の先輩に河面旺成さん(名古屋グランパス)がいて、僕とは圧倒的にレベルが違っていた。あまりのすごさに“あ、俺、4年間試合に出られないかもしれないぞ。就活どうしよう” って現実的に考えちゃいましたね」
引用元:Number Web
こうして葛藤の日々を過ごしていた森下龍矢選手。
3年生になって、徐々にトップチームでの出場機会を得るようになりました。
それでも森下龍矢選手は、自分にプロレベルの才能があるのか、確信を持てずにいたようです。
3年の秋から、就活を始めていたのだが、4年生になった途端才能が開花されたのか、スタメンに抜擢され始めたのです。
全日本大学選抜にも選ばれプロの道への第一歩が見えてきたのです。
それでも、就活を続けていた森下龍矢選手ですが、大手保険会社「三井住友海上」から内定をもらったのです!
学業を怠らず励んでいたのでしょうね。
就活での自己分析は、サッカー選手としての自身を見つめ直すことにもつながったんではないでしょうか。
就活自体が、選手としての成長につながることを感じたと森下龍矢選手は語っています。
就活と同じく、サッカーでもめきめきと頭角を現しました。
全日本大学選抜に続き、2019年には三笘薫(現ブライトン)、旗手怜央(現セルティック)、上田綺世(現セルクル・ブルージュ)らとともに、ユニバーシアードのメンバーに選出され、優勝に貢献したのです。
この活躍をJクラブが放っておくはずがないでしょう。
就職活動中に、古巣のジュビロ磐田、続いてサガン鳥栖から加入オファーが届いたのです。
当時、サッカーと就活を切り離して考えていたようです。
人間としても素晴らしい一面を持っていますね。
サッカーで活躍しているのにも関わらず、決して楽な方に流されないところに、森下龍矢選手の芯が伺えますね!
ジュビロ磐田、名古屋グランパスともに「今は就活を本気でやらせてください」と伝えたそうです。
もちろん磐田には本当にお世話になったし、愛着も感じていました。ただ、サッカー選手になるんだったら新しい冒険がしたい、自分が全く知らない環境でプレーしたかったんです。だから、プロに行くなら鳥栖と決めました」
引用元:Number Web
サガン鳥栖か三井住友海上か2つの選択肢に絞られました。
明治大学の先輩が三井住友海上サッカー部の先輩に相談して、自分の思いと迷いを正直に伝えたとのこと。
すると、保険のプロたちから意外な言葉が返ってきたそうです。
「サッカー選手への道があるんだったら、行って来い! それは、俺らの夢でもあるんだから」
引用元:Number Web
この言葉を機に、森下龍矢選手はプロへの道へ進むことを決意したのです。
森下龍矢選手1人では解決できなあった悩みを解決してくれた三井住友海上サッカー部の先輩たち。
2023年6月15日には、ついにA代表デビューを果たしたのです。
https://drafanclub.jp/directed-by-hajime-moriyasu-children/
まとめ:【サッカー】森下龍矢選手の父親もスポーツ経験者?家族構成は4人!これまでのキャリアも
今回は森下龍矢選手の父親についてや経緯について紹介してきました。
プロになれないと思っていた学生時代に転機が訪れ、企業に就職するかプロの道に進むか相当悩んだのではないでしょうか。
人生は選択の連続です。
日本代表にも選手され、今後の活躍次第で海外に移籍するのではないでしょうか。
もがき苦しんだサッカー人生。
苦なく精一杯頑張って欲しいですね!
プロフィール
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名前:森下龍矢(もりした りょうや)
愛称:モリ・デカ
生年月日:1997年4月11日
年齢:26歳(2023年6月時点)
出身地:静岡県掛川市
身長:170cm
体重:65kg
ポジション:ディフェンダー
利き足:右
所属:名古屋グランパス(2023年10月時点)
所属チーム
- 掛川JFC01
- ジュビロSS掛川(掛川市桜ヶ丘中学校)
- ジュビロ磐田U-18(静岡県立磐田西高等学校)
- 明治大学
- 2020年 サガン鳥栖
- 2021年 名古屋グランパス